岡﨑乾二郎「メディアとは?芸術とは?」

第13回メディア芸術祭最終日の2010年2月14日に行われたテーマシンポジウム「メディアとは?芸術とは?」の冒頭で、アート部門審査委員の岡﨑乾二郎氏によって話された内容の要約のまとめ。 議論のハッシュタグは #media_medium でお願いします。 //関連リンク 続きを読む
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四谷アート・ステュディウム @art_studium

○25 「二次過程」で発生、付与される意味を、作者は与り知れない(関与できない)。この過程を、いかに意識化するか、さらには関わるか。そしてその方法化。

2010-03-18 17:38:39
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○26 特定ジャンルとしては確定しえないメディアアート。にもかかわらず以上の自覚をもつゆえに、メディアアーティストとしか呼ぶほかない活動をはじめる一群のアーティストたちが第一次大戦後に登場する。

2010-03-18 18:00:02
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○27 この自覚を最初に明瞭に発言したのはT・S・エリオット(1889年生)である。「伝統と個人の才能」(1919)でエリオットは、芸術家は無から制作するのではなく、むしろ過去の遺産を加工する媒介(メディウム)であると述べる。

2010-03-18 21:00:07
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○28 いわばエリオットのいう作家は「一次過程」ではなく「二次過程」の作業こそを行う。そのとき作家は自分の仕事を正確に理解できないが、作品には過去の作品群に眠っていた潜在的可能性が融合、昇華している。

2010-03-19 00:00:13
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○29 同世代にはエズラ・パウンド(1885年生)、ル・コルビュジェ(1887生)、ジャン・コクトー(1889年生)、マルセル・デュシャン(1887年生)がいる。

2010-03-19 03:00:13
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○30 芸術作品は特定の個人(作家)によって作られるのはなく、まさにメディア(「二次過程」)によって生み出されると自覚したアーティストたち。彼らはヒトラー(1889年生)とも同世代である。

2010-03-19 06:00:13
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○31 作品ではなく、作品が社会に流通し、伝播する過程、つまりメディアにこそ彼らは関与しようとした。個人の作家として振る舞うのではなく、その作家を作家とする,人を人とする過程を操作する、隠れたオルガナイザー。当然それは政治的過程とも交差する。

2010-03-19 09:00:09
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○32 「二次過程」による干渉、校閲、修正、改竄。「二次過程」つまりメディアの作業過程はそもそも政治の場である。

2010-03-19 12:00:06
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○33 主体(意識)はメディア=「二次過程」によってこそ構成される。先に人間がいるのではなくメディアによって人間がつくられる。

2010-03-19 15:00:03
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○34 メディア=「二次過程」によって付与される作者の与り知れぬ(関与できない)意味、そしてそこで捏造される作家という個性。この過程に、あえて作者(特定される個人)であることを括弧に入れ、入り込もうとする。アーティスト自身が無名のメディアとなることで。

2010-03-19 18:00:04
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○35 「二次過程」によってこそ「一次過程」は創造=捏造されてしまう。本当の創造を行なっているのはアノニマス(無名)の誰か。「一次過程」と「二次過程」の間の構造的な不可視性あるいは隠蔽性である。

2010-03-19 21:00:12
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○37 マルセル・デュシャンは、その名高い講演『創造的過程』(The Creative Act)(1957)で http://j.mp/dh2zpm

2010-03-20 03:00:11
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○38 この講演でデュシャンは、さらに明確に芸術創造の核心は、二次過程と一次過程のずれ、その変質過程(transmutation)の間に、意図せず作りだされる、(不活性物質=いわば残り滓としてそれは示される)と位置づける。

2010-03-20 06:00:12
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○39 不活性物質=inert matter、咀嚼=解読しきれぬ抵抗物。

2010-03-20 09:00:08
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○40 芸術(art)という語は何を意味するか。デュシャンは次のように解釈する。そこには必ず《意図したが実現しなかったもの》と《意図しなかったが実現してしまったもの》のずれが存在する。この二つの算術的関係が、(芸術を芸術とする)芸術係数(art coefficient)である。

2010-03-20 12:00:07
四谷アート・ステュディウム @art_studium

補足01 係数(Coefficient)とは、複数の項(変数)によって構成される関数が含む定数のことである。たとえば、ある人物の応答能力を《質問とそれに対する応答》の2項による関数として考えることができるだろう。そして、その能力はその関数に含まれる係数に示される。

2010-03-20 12:31:16
四谷アート・ステュディウム @art_studium

補足02 例えば質問者の問をxとし応答者の答えをy とする 。対話者により《 y=3x》とか《y=0.5x》などの式が得られる。3あるいは0.5が応答係数である。それぞれ与えた1つの問を3倍の情報にして返す。あるいは半分の情報に減衰し戻る、と解釈されるだろう。しかし、

2010-03-20 12:33:27
四谷アート・ステュディウム @art_studium

補足03 もちろん、この応答係数はyという応答者のみの応答能力を示しているのではない。あくまでもxとyの応答関係における係数である。たとえば《y=0、5x》は、たとえ yが3倍の情報量を発したとしても、そこで xは、その2分の1しか受け取ることができない、とも解釈できる。

2010-03-20 12:36:25
四谷アート・ステュディウム @art_studium

補足04(おまけ) その解釈の方が正当な場合が多い。なぜなら質問者は大概、自分の発した問いであらかじめ予測している答(つまりy=x、係数1)以上の情報を把握も理解もできないからである。この場合、質問者にとって「応答係数」は1を超えることはありえない。

2010-03-20 12:39:06
四谷アート・ステュディウム @art_studium

補足05 いいかえれば、xもyも互いがもっている応答能力を測定することはできない。この係数で示される能力は、個々のものではなく、あくまでも双方の関係(=機能=関数)における応答能力、いわば相性である。

2010-03-20 12:42:22
四谷アート・ステュディウム @art_studium

補足06 いうまでもなく、関数の測定はx、yを変数として、他の項を代入し、ほかのシステムでもった値との差異を測定することによってである。

2010-03-20 12:45:38
四谷アート・ステュディウム @art_studium

補足07 あるいは応答係数が示しているのは、その対話関係を構成しているシステム(機械、基盤、制度)の性能である。(応答係数が1を超えないシステムは、対話システムとして破綻しているといえるだろう)。

2010-03-20 12:48:16
四谷アート・ステュディウム @art_studium

補足08(03の補足)反対のケース。すぐれた対話システム(教育のモデルに置き換えることができる)では、 質問者 xは 応答者yの発した、たった0.5の答えから、3の情報を引き出すこともできる。

2010-03-20 12:52:09
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○41 この芸術係数にこそ、ほんとうの芸術の「生の状態」が示されている(ここにだけ「二次過程」には回収されきれなかった「一次過程」があらわれる)。(以下、加筆)

2010-03-20 15:00:02