社会について苦言を呈しておく

Carlos Rodriguezの雑多な短いポストをまとめました。
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fever7777 @fever7777

民主主義においては数は力であると言う。ある意味それは正しい。多数派工作して仲間を増やす。これはどの社会でも同じことではある。一生少数派に留まっていてもいいと考えるものは、隠遁者か単なる偏屈者だけであろう。

2011-02-04 16:04:56
fever7777 @fever7777

マジオリティを掌握すれば、自らの意見や信条を社会において活かしやすくなる。国であれ株主総会であれ、多数派が主導権をもって運営できるのである。これが多数決の原理である。主導権を持ちたければ、数を集めなければならないことは自明の理であると言えよう。

2011-02-04 16:05:07
fever7777 @fever7777

しかし多数決の原理とは、多数派が少数派を排斥できるような類いのものではない。それでは多数派の横暴、多数派の少数派に対する弾圧であることに他ならない。少数派は歴史的にみて、迫害もしくは無視され続けてきた訳である。

2011-02-04 16:05:15
fever7777 @fever7777

多数決の原理の意義とは、寧ろ少数派の見解と立場をビルドインして行くことにある。民主主義とは強行に裁決することでなく、常に少数派と議論、対話しながら優れた意見を吸収して行くものである。少数派の意見でも歴史的にみて正しいという意見は数多い。

2011-02-04 16:05:26
fever7777 @fever7777

議会や株主総会は、それぞれの信条や意見を戦わせ、高めることにある。国会対策もこれと同じ趣旨で設けられた制度であろう。弁証法的に、テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼ、と次元を高めるアウフヘーベンこそ、民主主義の神髄である。

2011-02-04 16:05:34
fever7777 @fever7777

Twitter上でも民主主義の原理、多数決の原理を踏まえぬ暴論が展開されている。なぜ多数派、少数派という上辺のレッテル貼りをするのか理解に苦しむ。問題は多数派が議論の場を作り、少数派の意見を汲めるかということだけである。

2011-02-04 16:05:42
fever7777 @fever7777

多数派には運営権がある代わり、少数派と議論する責任がある。逆に少数派は意見を述べることができる権利を持つ代わり、多数派に落とし所を提示する義務がある。これを馴れ合いと呼ぶ限り、民主主義はまったく理解できないであろう。

2011-02-04 16:05:51
fever7777 @fever7777

プラトンの言葉で言うなら、現在は「衆愚政治」の時代です。格差社会をつくった小泉政権の後押しし、初の無血市民革命と呼ばれた鳩山内閣を退陣に追い込むなど、目まぐるしく遷ろう政治史を作った主役は、B層と呼ばれる国民なのです。

2011-02-05 13:46:20
fever7777 @fever7777

時代はドラスティックに変化しつつあります。それなのに、未だイメージに国政を委ねようとなさるのでしょうか? 誰が何と言おうと、歴史は哲人の到来を示唆しています。それほど、21世紀は新たな思想・哲学・精神文化・科学技術が渇望される時代になるのです。

2011-02-05 13:46:30
fever7777 @fever7777

「衆愚」という言葉は、決して大衆を卑下したものではなく、大衆が真の主権者たる地位に立っていないという意味です。歴史的に見ても、主権在民というプロパガンダがあっても、大衆が時代を支配したケースはなかったものと見ています。

2011-02-05 13:46:38
fever7777 @fever7777

じゃあ何が「愚」かというと、国民・大衆を扇動している黒幕・フィクサーが暗然と社会を仕切っていることかと思います。

2011-02-05 13:46:47
fever7777 @fever7777

本当のワルは誰か? 言うまでもなく、テレビ・新聞・など表系のマス=メディアです。勿論、これらマスコミの果たした利は情報伝達媒体という面に限って言えば大きいですし、わたくしも新聞・雑誌は読むし、テレビも報道・教養番組からバラエティー・ワイドショーの類いまで視聴します。

2011-02-05 13:46:54
Kim Nakano @Kimbiiru

@fever7777 多数決についての意見賛成です。多数決は物事をとりあえず前に進める手段であって、少数派の意見を抹殺する理由に使われるべきではありません。そう言う意味で、選挙に勝った政治家が、自分の主張が絶対見たいに勘違いしているのは噴飯ものですね。

2011-02-06 20:43:48
fever7777 @fever7777

河村氏が勝ったのは一歩前進かもしれない。しかしながら、政治家は結果責任を負う。河村氏は恒久市民税減税の実現という重い十字架を背負った。実現できるか失敗に終わるか、冷静に趨勢を見守ろうではないか。実現すれば有能な政治家、失敗すればパフォーマンスだけの政治屋と呼ばれることになろう。

2011-02-07 22:44:02
fever7777 @fever7777

ナショナルトラストという環境保護団体が、世界中の自然や歴史的建造物を保護する活動を行っていまして、いわゆるゴミだ公害だといったレベルの話ではなく、未来に「世界遺産」をいかに継承して行こうかと真剣に考えている人々がいるわけです。たいへん壮大且つ高尚な試みで頭が下がりますが...

2011-02-09 10:46:43
fever7777 @fever7777

しかし... 何をもって保全対象と決めているのか、基準が曖昧です。客観的かつ歴史的、文化的に優れたものなのでしょうか? ならば香港の九龍城の廃虚、東京下町のドブ川や横丁も後世に残す必要があったのでありましょう。九龍城は香港の歴史そのものであり、横丁は江戸以来の下町文化の象徴です。

2011-02-09 10:48:22
fever7777 @fever7777

うす汚れた歴史的資源は子孫に残さず、奇麗なもののみを継承させるというのは、現代人のエゴイズムというか親バカな姿ですし、かつてドリフターズのコント番組を俗悪だとこき下ろした俗悪以下なPTAのオバハンたちの考え方に、よく似た感じがします。

2011-02-09 10:49:09
fever7777 @fever7777

俗悪だから面白い訳で、そのような批判的な人々はちょうど、社会正義を振りかざしながら、片やワイドショーで被害者の心情を逆なでするテレビ局・マスメディアのような危険な存在なのです。

2011-02-09 10:49:36
fever7777 @fever7777

もひとつ。東洋的な美意識とは、欧米人のそれとは大きく異なります。とくに日本には、「花は盛りに、月は隈無きを見るものかは」という考え方があって、花びらの散った桜にものの「あわれ」とか「わび・さび」を感じる文化が展開されてきました。

2011-02-09 10:50:02
fever7777 @fever7777

自然に朽ちてゆく姿が、何とも言えず「あわれ」なのであって、庭は苔蒸し、家は質素という「わび・さび」こそが、常に美意識の中枢にあった訳です。中国から中東にわたる大陸地域でも、概ね同様であって、あまり自発的な環境保全はなされていません。というか、欧米人が勝手に手を入れているだけです。

2011-02-09 10:50:37
fever7777 @fever7777

だから、「わび・さび」の考え方と環境保全活動は、相容れないものですし、崩れかかった景勝が人為的に保全されたところで、単なる「老婆の厚化粧」のようにしか見えませんが、いかがでしょうか?

2011-02-09 10:50:57
fever7777 @fever7777

日本の経営者には事務畑、技術畑、営業畑の人などがいる。事務畑出身の経営者は、一般的に技術に疎い傾向がある。逆も然り。そもそも、経営とは全社を指揮監督することであるのに、日本では事務、技術、営業を一括指揮できる「プロの経営者」が少ない。(続く)

2011-02-10 10:07:32
fever7777 @fever7777

政治の世界でもそうだ。かつて田中角栄は「政治のプロは俺と三木武夫だけだ」と言っていた。それほど、プロフェッショナルは育ちにくい。立案力、行動力、指導力、それにセンスが必要である。しかしながら、日本はプロフェッショナルに対して厳しい国である。(続く)

2011-02-10 10:11:33
fever7777 @fever7777

出る杭は打たれる。それに抵抗すると、徹底して集団リンチを加える。問題なのはリンチの主導者より、それに結果的に加担してしまった一般市民だ。悪を悪と認識できないということは愚かでかつ恐ろしいことだ。早く目の前の光輝く宝に気付いて欲しいと思ったことである。

2011-02-10 10:19:57
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