不完全版 自律的言語能力の問題から記述と説明の関係まで #gengo

認知言語学においては自律的な自然言語能力は帰無仮説であるという指摘から、認知言語学においては何をもって自然言語とみなすかという議論になり、さらに言語理論における記述と説明の話に発展。 一部のつぶやきは古すぎたり鍵がかかってたりしてサルベージできなかったけど、拾える分だけでも有用なのでまとめるよ。 なお、この議論の途中で東日本大震災が発生し日本は大混乱に陥ったが、余震も津波も言語学者たちの探究心を曇らせることはでき(略
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azumayama @azumayama

90年初頭,池上先生は,認知言語学は認知心理学等の知見を援用するだけでなく,認知の営みにおいて言語が果たす役割を考えると,未だ知られていない認知の仕組みとそれを捉えるのに必要な道具立てについて,言語の側から明らかにできることも多いはずであるというような展望を述べておられました。

2011-03-04 12:08:48
azumayama @azumayama

さて,援用元については,元々の前提により,際限なく広がってゆきそうです。

2011-03-04 19:47:36
azumayama @azumayama

言語の側からの貢献については,インターフェイスの問題を考える限りは,言語能力の自律性を仮定するか否かに関らず成しうるものでしょうが,それを仮定する枠組の成果が目立ちます。それを仮定しないものには,定延先生の一連のご研究があげられ,扱われるデータも含め非常に興味深いといえましょう。

2011-03-04 19:50:06
azumayama @azumayama

際限なく援用元が広がりうる理由を推察してみると,問題としている現象とそこから得られる言語的一般化と援用・借用してきた道具立てが整合的,ないし,相互に矛盾しないということを示しさえすればそれでよしとゆるく考えられる傾向が少なからずあるからでしょうか。領域をまたぐパラフレーズですね。

2011-03-06 01:32:03
azumayama @azumayama

もう少し厳しく考える人であれば,当該現象がこれまでとは違ったものに見えてくるというのを利点としてあげるかもしれません。いずれにしても,そのような援用・借用を可能にする,枠組みの前提そのものの妥当性を直接的に示すことは試みられていないように思います。

2011-03-06 01:35:18
azumayama @azumayama

たとえば,Taylor (2003:17)は次のような理屈を与えています。"Given the the theoretical question of whether language structure needs to be explained . . .

2011-03-06 01:40:34
azumayama @azumayama

. . . in terms of a purely linguistic faculty or wheter it is based in more general cognitive abilities, the natural starting-point, ...

2011-03-06 01:43:12
azumayama @azumayama

. . . is surely the null hypothesis, i.e. the assumption that there are no purely linguistic abilities at all.

2011-03-06 01:44:47
azumayama @azumayama

Only when the null hypothesis has been shown to be inadequate does the need arise to posit language-specific principles."

2011-03-06 01:46:49
azumayama @azumayama

purely linguistic abilitiesなんてものはないと仮定するところからはじめるのがnull hypothesisであり,それがうまくゆかないことがわかったときにはじめてlanguage-specific principlesを仮定すればよいというわけです。

2011-03-06 01:58:00
azumayama @azumayama

もっともらしい言い方のように一見すると思えなくもないかもしれませんが,本当にnull hypothesisといいうるものなのでしょうか。また,これがnull hypothesisであるとみなすときの前提はなんでしょうか。...で,眠くなってまいりましたので,また次回。

2011-03-06 02:05:07
Soya Mori @SL_at_IDE

うーむ。これで苦労している手話言語学者の例で、若干、思い当たる節あり。 RT @satounaoto: @SL_at_IDE 一点危惧ですが、生成文法は自然言語の自律性を主張し、そこで記述される特性を手話が持つ、というこ… (cont) http://deck.ly/~hjHeN

2011-03-08 17:41:14
azumayama @azumayama

まず,null hypothesisについて。日本語訳としては「帰無仮説」が一般的なようですが,「無帰仮説」も見かけます。ここでは前者を使います。帰無仮説というのは,棄却された場合(することにより),対立仮説を支持する(ことが期待されている)ものといった解釈の仕方があるようです。

2011-03-09 21:52:07
azumayama @azumayama

Taylorは,“there are no purely linguistic abilities at all”を帰無仮説としていますが,これは,purely linguistic abilities/facultyの存在を支持しようとするためのものではないことは自明でしょう。

2011-03-09 21:53:31
azumayama @azumayama

ここではせいぜい,特別の条件が課されて(課せられて)いないとか,defaultとか,普通の,当たり前の仮説という意味と受け取ってよいと思います。そして,そのような仮説を“the natural starting point”としているわけです。“the natural...”と。

2011-03-09 22:48:35
azumayama @azumayama

言語を,言語固有の能力により説明すべきか,一般的認知能力により説明すべきかが問題となっている文脈で,言語固有の能力がないと考える立場を当たり前のものとし,それを“the natural starting point”と呼んでいるのです。それ自体が論証の対象であるにもかかわらず。

2011-03-09 23:04:55
azumayama @azumayama

これが論点先取であることは言うをまたないと思いますが,さらに問題なのは,Only when以下の部分でしょう。ここでは,言語固有の能力を仮定しないということは,一般的認知能力により言語を説明するということと等価だと思いますが,これが一体どういう状況下で不十分となりうるのでしょう。

2011-03-09 23:31:25
azumayama @azumayama

(more) general cognitive abilitiesの射程範囲が明らかにされておらず(射程範囲に制限がなく),なにを持ち出してきてもよい状況で,不十分になる状況などないといえるでしょう。どんな異質のものの間にも類似性,関連性を見出すことはできるでしょうから。

2011-03-10 00:01:28
azumayama @azumayama

ところで,一般的認知能力の特化したものとして言語能力を捉えるという可能性についてはここでは考えられていません。一般的認知能力と言語固有の能力を対比して考えているのはTaylor自身です。議論を単純化するためなのか,実際にそのように考えてるのかはこの部分からは読み取れません。

2011-03-10 00:01:47
azumayama @azumayama

不十分であることが示しえないということは,よいことではないかという捉え方もあるでしょう。切れないものがない刃物,なんでも切れる刃物がよいものに思われるように。

2011-03-10 00:19:20
azumayama @azumayama

おおっ,「何でも何にでも「似ている」」というのが流れてきました。面白いですね。

2011-03-10 00:23:24
azumayama @azumayama

しかし,そんな刃物は怖くて使えません。用途によって適当な切れ味が刃物にはあるはずで,なんでも切れればよいというわけではありません。現象をさばくための道具立てについても同じことで,なんでもさばける道具立てではなく,用途に応じた(使い道の限定された)道具立てが求められるのです。

2011-03-10 01:30:11
azumayama @azumayama

Bybee & Beckner (2010:829)などはもう少し慎重に,"Usage-based theory...strives to avoid relying on innate knowledge specific to the domain of language.

2011-03-10 01:39:34
azumayama @azumayama

A usage-based model...takes as its null hypothesis the view that language is an extension of other cognitive domains."という言い方をしています。

2011-03-10 01:41:57
azumayama @azumayama

以下では,使い道の限定された道具立てを仮定することの一つのメリットとして「生成文法は自然言語の自律性を主張し、そこで記述される特性を手話が持つ、ということで「手話は自然言語である」という言明が支持されます」(@satounaoto先生)という点が述べられています。

2011-03-10 02:06:22
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