語り手自身が何かやっている作りの句だと不気味さ消える傾向があるのでは。〈春宵の花屋に寄らず帰りけり〉〈卒業や二人で運ぶ洗濯機〉とかは日常的な詠み方。 #shinsen21
2010-03-27 22:40:05@micropopster 「ピュアな信念」たしかにそういう感じあります。それがストレートにあらわれた叙情的な句に、ちょっと甘くなっちゃっているものも散見される。 #shinsen21
2010-03-27 22:41:05自分が乗っかるとうすくなる。 RT @Seki_Etsushi 語り手自身が何かやっている作りの句だと不気味さ消える傾向があるのでは。
2010-03-27 22:41:59湯かんの句は、ちょっとびっくりしました。若い人が(多分はじめて)「ゆかん」というものを見て、「湯冷め」ていう実生活上のものにもってくるこの感覚、すごいな、と思いました. #shinsen21
2010-03-27 22:42:44兜太とか、昔の俳人は自分を乗せれば乗せるほど濃くなっていたけど、今は逆なのかも。それが必ずしもマイナスではないのだけど、本人はそれがいやなのかもしれない、彼の散文読んでるとそう思う。 #shinsen21
2010-03-27 22:44:42それ以前に自分の身体自体に阻隔感がある気配。〈梅雨長し髭はつぶやくやうに生え〉〈夏風邪のからだすみずみまで夕焼〉〈雪国を遠しと思ふ舌と耳〉 RT @micropopster 昔の俳人は自分を乗せれば乗せるほど濃くなっていたけど、今は逆なのかも。 #shinsen21
2010-03-27 22:48:55@yasnakam 少なくともこの百句のなかの死をモチーフにした句は「まったくの他者の死」じゃなく、「近い死」のように感じます。そのへんで自分を薄く書くことと共通点があるのかも。@yasnakam: 「死」をドライに描くということ、自分自身を薄く(後略) #shinsen21
2010-03-27 22:55:38古井由吉的に離人症的な感覚を文体化しているわけではなくて性も不気味さも日本建築とかも出しつつ書き方はもっと浅く明快なあたり、実は吉行淳之介的な資質? #shinsen21
2010-03-27 22:57:26@8no07 #shinsen21 恋の句は、前回の藤田くんのと較べると、すごく等身大というか、若いというか。中学生っぽいというか……。
2010-03-27 22:57:40#shinsen21 @8no07さんの「恋の句はヌケヌケと。」で思い出したけれど「淡雪や結んで捨てるコンドーム」を何で100句に入れたんだろう…本人がやたら強固に入れる入れると騒いでいたけれど。
2010-03-27 22:58:26現代短歌や他ジャンルの表現にもそれは感じる。同時代的というか、今っぽいですね、それ。 RT @Seki_Etsushi それ以前に自分の身体自体に阻隔感がある気配。 #shinsen21
2010-03-27 23:00:45@toki2010 身近な死を描きながらも距離を置いている感じが、自分自身の身体への距離感と共通するような気がします。 #shinsen21
2010-03-27 23:00:59@tefcomatsumoto 「淡雪や結んで捨てるコンドーム」の句、取合せがうまくいっていない気がする。この句だけじゃなくて、わりとそういう傾向の句が散見される気がしますが、どうなんでしょう? #shinsen21
2010-03-27 23:03:15だからある意味ピュアというか。。。100句のなかにすごいムラがあるんだ。 #shinsen21 RT @tefcomatsumoto 「淡雪や結んで捨てるコンドーム」を何で100句に入れたんだろう…
2010-03-27 23:03:26たしかにそういう感じですね。コンドームの句はもっと直接的だけど。 RT @Seki_Etsushi: 何でこう液体が多いのかと思ってましたが、自分の希薄な遠い身体の延長・外延が液体なのかも。 #shinsen21
2010-03-27 23:04:43@tefcomatsumoto 思い出をかたちに。「月踏んで噂の恋人が来たる」は作句現場にいたので、彼の笑顔まで思い出します。 #shinsen21
2010-03-27 23:06:10外界-液体-身体という優夢的世界把握の連続と断絶の原理が一番明確に出ているからでしょう。 RT @tefcomatsumoto 「淡雪や結んで捨てるコンドーム」を何で100句に入れたんだろう… #shinsen21
2010-03-27 23:06:32