実況:「第25回国際障害者年連続シンポジウム 「当事者」って何だろう!=苦悶する障害者たち=」@京都
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シンポ「当事者って何だろう!」3月19日(土)@京都、行います!!!基調報告熊谷晋一郎さん、東京から来られます。自己決定‐手足論の落とし穴、運動の論理の同化的圧力、身体性の軽視など自立生活運動の諸課題に迫りますhttp://www.jcil.jp/sympo/index.html
2011-03-16 16:35:00「当事者」って何だろう!3月19日(土)@京都http://d.pr/aVtp 「加害/被害」という枠組みでなく、「思い通りにならない他者」「予期を裏切る他者たち」の肯定。その人々との出会い・交渉こそが希望であると説く熊谷さん。第3世代の自立生活論です。
2011-03-17 21:13:47「当事者」って何だろう!3月19日(土)@京都http://d.pr/aVtp 熊谷さんの他、数十年にわたり障害者自立生活運動に関わってきた矢吹文敏さん、まもなく『障害者からの倫理学入門』を上梓される野崎泰伸さん、そして、、、
2011-03-17 21:18:09「当事者」って何だろう!3月19日(土)@京都http://d.pr/aVtp 最重度障害といわれるALSを患いつつ独居生活を続ける杉江さんとその支援チームのメンバー、そしてコーディネーターとして『識字の社会言語学』をだされたあべやすしさんと『介助者たちは・・・』のぼくです
2011-03-17 21:21:26熊谷さんの講演タイトル「手足からの異議申し立て―痛みと自由について―」。身体とは、他人によってはもちろん、自分自身によっても領有されてはならない。当事者研究とはむしろ自分のことは自分にはわからない、という地点からスタートする。そして、自己は新たに形成されつつ、広がる。
2011-03-19 08:03:19きょうは10時から16時半まで京都テルサでシンポジウムです。第25回「国際障害者年」連続シンポジウム「当事者って何だろう!= 苦悶(くもん)する障害者たち=」。参加費500円です。 http://www.jcil.jp/sympo/index.html
2011-03-19 08:32:16矢吹さんが話してる。以下、かなり適当なメモ。障碍者という言葉はいつからできたか。敗戦後、傷病者に対するもの。それまでは、個別の呼び方だった。
2011-03-19 10:46:00「当事者」という言葉ができてから主人公になった。「自立支援法」ができてから、お客さんになった。「あなたが決めるんですよ」でも決められるのか。ほんとうは決められない。震災の情況では当事者主体なんてぶっ飛んでいる。じゃぁ当事者主体ってなんだ。震災の場所では、みんな「被災当事者」
2011-03-19 10:47:44「当事者」というと、なんかえらくなったような気がしてくる。合理的配慮の中に、わがままも入ってくる。「これを聞け。オレは当事者だぞ」という人も出てくる。そういう勘違いをしている人がいるような気がしてならない。すると、「当事者主体」っていうのはなんなんだ。
2011-03-19 10:50:43自分たちが何かを言う。子ども扱い(ものを壊しても「障碍者だからしゃーない」)の中でごまかされてきた。ほんとうに自己決定・自立があったのか。一方では主権を唱えるが、一方では甘えてしまうところがたくさんある。これでほんとうに自立生活と言えるのか。という疑問があった。
2011-03-19 10:52:10後ろを振り返ると、自分たちよりももっと大変な人たちがたくさんいたはずなのに、私たちがその人たちのことを考えて動いてきたのか。「私たち当事者は」の「私たち」の中に、たとえばALSの人や難病の人のことも受けとめてきたのか。
2011-03-19 10:54:08かつては「超一級の障碍者」だった自分が、後から来た「もっとたいへんな人」から「俺たちのことを考えてきたのか」と言われたとき、どうなるのか。でも、それを言っては身もふたもない。そこで、さまざまなしんどさを持った人が、どういうものをつくっていくのか。
2011-03-19 10:57:05当事者意識をぶつけ合ったら、もっともっとぶつかりあいができ、権利意識が高まり、暴動が起こるのか。権利意識が低ければ暴動が起こらず平和なのか。よくわからないけど、みなさんの考えを聞きたい。
2011-03-19 11:04:13全体の流れ。興味のあるところだけ起きておいてください(笑)。1、長い自己紹介。脳性マヒはリハビリで治ると言われていた時代のこと。自立支援運動の中でいかに救われたか。
2011-03-19 11:08:483、手足論。介助者は障碍者の言っていることだけをするべき。でも、一部、自己決定が即自由につながるわけではないのではないのではないか?深く考えると、手足論は自己決定につながらないのではないのか。心と体は別という2元論の限界を考えてみたい。
2011-03-19 11:11:234、発達障害や自閉症の話。「見えにくい障碍」は、しばしばわがままと言われてきた。その障碍が、これほどまでに社会に受け入れられてきたということは、社会の構造の変化があるのではないか。今は不気味なほどに当事者主権という言葉が、権力側からも言われるようになってきた。
2011-03-19 11:13:02これは、自己責任とセットになってきた。かつては社会が責任をとらなくてはならない建前だった。つまり、社会は責任をとれませんと言っている。と同時に、自己決定ができない人が新たな障碍とされやすくなってきたのではないか。
2011-03-19 11:14:41