実況:「第25回国際障害者年連続シンポジウム 「当事者」って何だろう!=苦悶する障害者たち=」@京都
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今はもっともっと総合的な障害者運動になればなぁと思うけど、当時は違った。年寄りのグチになるけど。障害者の重度軽度は自分たちが決めてきたことではない。医者と福祉事務所が勝手に決めてきたんだ。
2011-03-19 16:28:57フロアから。情報化社会が進んできた中で、よくも悪くも情報がどんどん入ってくるようになってきた。希望を持てたり絶望感を持ったりすることが増えてくると思う。これからそういう子どもたちにどういうふうに接したらいいのか。
2011-03-19 16:31:51矢吹さん。簡単な感想を言う。障害児が自分の未来に不安を感じるのではないか。たしかに筋ジスの人たちが感じるのは、でも昔からあった。「いつまで自分の命が保たれるのだろうか」と「いずれ人間は死ぬ」の間で、中間にいる大人たちが情報を料理をする必要があるんじゃないか。
2011-03-19 16:35:35野崎さん「あえて反論を。世界への信頼感が自己決定を担保。では、世界への信頼をかけることができるのか。自分としてはイメージを崩させるものを大切にしたい。言語化できないものの存在が世界への信頼感につながるのでは。
2011-03-19 16:42:07熊谷さん。今の野崎さんへの反論。かつては「変化させる余白」が希望なんだという思想が流行した。頑丈な建物を壊さないと檻から出られないという時代にはそうだった。しかし、今起きていることを考えたときに、杉江さんに直面したときに、ロマンティックなことは言えない。
2011-03-19 16:44:51破壊することに希望を持てる人は、安定を享受している。ポストモダンとかね(笑)。崩せることに希望を見いだせるのは、マイノリティであれマジョリティであれ安定を享受している人。そうではない人には破壊だけじゃなくて安定へのエネルギーが大切。
2011-03-19 16:46:17これは、観念的な話じゃなくて、現実的な話として、今、どちらに針が振れているのか。余白を残すという意味では希望なんだけど、安定をつくっていくことも大切ではないのかなと思う。
2011-03-19 16:47:06矢吹さん。閉会のあいさつを兼ねると思うけど。JCILの創始者からたたき込まれたのは「既成概念の変革」だった。わたしたちの生活は「日々変化していかにゃならん」と思いながら、なかなかそうはならない。そうなっているうちに、今日のシンポジストみたいな人がいることが
2011-03-19 16:48:54そういうことにつながっているのかな。自分が生きる場を確保しつつ、何か人の役に立っていく存在だし、今自分が間違った存在じゃないということが、結局当事者ということなのかなぁ。
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