【 椰子教団の】日本の政治なぜなに物語

東日本震災に起因する原発事故東電の責任、に端を発した「日本の有り様」について深夜のツイートディスカッション in ギネアアブラヤシ教団。 ギネアアブラヤシ教団はバーチャルネットカルト教団であり、とてもフレンドリーかつ慈愛に満ち満ちたカルト教団です。←結局カルトか。
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久保田弥代/plummet @plummet

(続き ゚Д゚) 自然と存在するものを「受け入れ」ることで我々日本人は生きてきた。それ故に、今般の大災害でも、被災者自身さえ、悲嘆に暮れたとしても怒りに満ちてはいない(平均的・知られる限りは、の話だが)。天災だからしょうがない。だから、日本人はいつも、たいがいのことに怒らない。

2011-03-28 02:51:03
久保田弥代/plummet @plummet

(続き ゚Д゚) しかしガス抜きはどうしても必要である。怒りはなくても不満は募る。不満が臨界を突破することも、まれにはあるのだ。天草四郎や大塩平八郎がいたように。226や515の将校達がいたように。このガス抜き、かつては「被差別階級」を意図的に生み出すことで対処されてきた。

2011-03-28 02:52:38
久保田弥代/plummet @plummet

(続き ゚Д゚) 現在、かつてのようなガス抜きシステムはない。ではどこでガスが抜かれているか。かつては下に向けられていたガスの放出先だが、現在は、上に向いているのではないだろうか。ムラ社会のガス抜きとしての階級が、下から上にすり替わったのではないか。

2011-03-28 02:54:16
久保田弥代/plummet @plummet

(続き ゚Д゚) 個人的には、その単純な「すり替わり」の理由というか、そうなった心性というのが分からずにいたのだけども、今夜の話の中で事務局長 @nomaddaemon 氏の呟きでインスピレーションを得た。そう、為政者を巫女と見ることで「天を治められない巫女など」と理由が付くのだ

2011-03-28 02:56:09
久保田弥代/plummet @plummet

(続き ゚Д゚) なぜそんなことが可能だったか? これほど上が軽んじられるのはたぶん戦後なのだろうが、もしかすると、そこを境に日本人が「宗教」を失ったせいではないか。神道仏教という意味にとどまらず、「最後に自分の心を無条件に寄せることができる対象」としての宗教。国家でもいい。

2011-03-28 02:59:20
久保田弥代/plummet @plummet

(続き ゚Д゚) 宗教を失ったが故に、それを求める無意識が「上に立つもの」を宗教的な存在として捉え始めたのではないか。

2011-03-28 03:03:07
久保田弥代/plummet @plummet

(続き ゚Д゚) なぜ、そのように「宗教的システム」を幻視するようになったのか。それこそ、 @J2kawa 氏の言葉にあった「責任逃れ」のためなのではないかと思う。

2011-03-28 03:04:11
久保田弥代/plummet @plummet

(続き ゚Д゚) 宗教を失った戦後日本は、喪失した神の座を為政者に与えたのではないか。信仰だの崇拝だのという対象ではなく、単に機能的に宗教が果たしてきた、『自分以外に責任を負うべき存在』としての役割を果たすだけの対象として。そして、それで巧く世の中が回っていかないなら、それは、

2011-03-28 03:08:13
久保田弥代/plummet @plummet

(続き ゚Д゚) 機能だけを乱暴に翻訳すると、宗教の役割とは、『自分の責任から逃れられる』ことにある。それは自分が招いた災いではなく、神の意思。だからおまえに全責任があるわけではない。……宗教とは「心理的救済のためのメソッド」なのだ。神をなんとかすれば、この世はなんとかなる。

2011-03-28 03:06:28
久保田弥代/plummet @plummet

(続き ゚Д゚) 為政者が悪いのだ。為政者は『自分(この場合一般庶民とかそういう)以外に責任を取るべき存在』だからだ。そうして為政者は、原初の時代の「巫女」と同様に、天を治められなかった「役立たず」として糾弾される存在となりはてるのである。

2011-03-28 03:10:35
久保田弥代/plummet @plummet

(最終結論 ゚Д゚) 今、時代が椰子教を求めている。

2011-03-28 03:10:56
久保田弥代/plummet @plummet

( ゚Д゚) オチまでつけたところで、さて自分の一連の考察ツイートまでまとめに含めるかどうかとても悩む。一人で勝手にやっちまったし。

2011-03-28 03:16:01