『神話が考える』と『意味の論理学』をめぐって~福嶋亮大氏、千葉雅也氏、東浩紀氏ほか
連投失礼。とりあえずこのあたりで。サディズム/マゾヒズムと否定神学/それを二次化する根源的な複数的な存在‐変態論、という対応を論証する文献証拠はいろいろありますが、それは今後論文などで示していくとして、とりあえず以上をさしあたりの僕の考えとして提示しておきます。
2010-03-28 21:29:53ちなみに、一般に、ドゥルーズにおいて純粋生成と呼ばれるプロセスは、否定神学システムによって支えられる「表面」上のフラットな時間性です。これに対して、現在の視点から見た場合、二つの立場を採ることができる。
2010-03-28 21:31:17(A)純粋生成をそのまま言祝ぐと、否定神学システムをそのまま受け入れることになってしまうので、それを、より複数的な動的発生の次元によって二次化しなければならない。これは『存在論的、郵便的』によって提示された見方。
2010-03-28 21:34:29(B)もうちょっとトリッキーというか、トリッキーな単純さをもつ見方。そもそもドゥルーズが『意味の論理学』でいう純粋性性は、否定神学とは関係がないと見なしてしまう。それをそのまま言祝げば、複数的な存在論を支持することになるということ。しかしこの見方は、テクスト解釈として厳しい。
2010-03-28 21:36:43(B')『意味の論理学』でいう純粋性性は、なるほど否定神学的だろうが。「だからなにが悪いというのか」という立場。否定神学システムの否定性は純粋に形式的である。そのシステムの上で、複数性の存在論が端的に作動するのであり、それでよい。つまり否定神学批判のモチベーションそのものの無化。
2010-03-28 21:41:39僕の考えでは、与えられた「この世界」をそのままに「分析」することを狙うならば、おそらく(B')を採ることになるでしょう。それは、アングロサクソンのプラグマティックな分析哲学者たちともシンクロする立場です。しかし大陸系の系譜を継いで、別の世界を構想する僕は、(A)をさらに展開する。
2010-03-28 21:50:53@liang_da 福嶋さんが純粋生成をどう解釈しているのか、興味があります。僕として興味をもっているのは、前半部の純粋生成の問題(静的発生論)が、いかにして後半部のアルトー的そしてアル中的身体の次元から導出されるのか、つまり動的発生論から静的発生論へのつながりです。
2010-03-28 20:56:59『意味の論理学』後半部と前半部のつながりについて、いまのところもっとも説得的な議論を出しているのは、東さんの『存在論的、郵便的』のドゥルーズに関する一節です。世界のドゥルーズ研究を眺めてみても、これほどうまい議論はなかなかない。
2010-03-28 20:58:39確かに福嶋くんにはぜひ國分功一郎氏のドゥルーズ論を読んでほしい。『神話が考える』のドゥルーズ理解はけっこうぼく経由な感じがするけれど、ぼくも忘れていた(ってのもひどい話だがw)『存在論的、郵便的』のドゥルーズ論部分の可能性が國分氏の論文には示されている。
2010-04-01 03:51:13サンクス! RT @columbus20 静的生成とセリー化された潜在性を扱うキャロル/フッサールに対し、動的生成とセリー化されない潜在性を扱うアルトー/フロイト 郵便本209p
2010-04-01 04:11:34とりあえずドゥルーズ研究者としてやはり注目せざるをえないのは、ラストでの『意味の論理学』の援用ですよね。なぜ、キャロルだけを扱って、アルトーの問題をスルーしているのか。
2010-04-01 03:46:42「キャロルのすべてを引き換えにされても、われわれはアントナン・アルトーの一頁も与えないだろう」という第13セリーの言葉(河出文庫版、上巻、170頁)を、どのように引き受けるのか、あるいはどのような狙いによってスルーするのか。
2010-04-01 03:48:58なるほど、キャロルに関する『意味の論理学』前半部は、文字通り、今日のゲーム的リアリズムの分析に適応するかもしれない。そして、レヴィ=ストロース的なその構造主義のシステムをそのままに肯定してみせることに福嶋さんの独創性があります。が、だとしたら、ポスト構造主義はどうなるのか。
2010-04-01 03:52:36福嶋さんは、リゾームやセミラティスといったポスト構造主義的な多様性が「すでに」レヴィ=ストロース的な神話理解に「組み込み済み」だったという視点をとる。しかしドゥルーズ+ガタリは、あくまでも、構造主義「批判」を通してそうした多様体の問題を見出していた。
2010-04-01 03:53:45福嶋さんは、こうしたポスト構造主義の批判性、つまり「システムの外部」を考えるという立場を、これはひじょうに独特の立場だと思いますが、すっかり無化してしまう。
2010-04-01 03:55:16それゆえ、この批判が出てくるのは当然。RT @masayachiba (..) そして、レヴィ=ストロース的なその構造主義のシステムをそのままに肯定してみせることに福嶋さんの独創性があります。が、だとしたら、ポスト構造主義はどうなるのか。
2010-04-01 03:55:19@hazuma そうです。そうなると、構造主義がもっていた否定神学性(ゼロ記号としての超越論的シニフィアンの作動など)を、いまさら、ことさら問題にしなくていい、という立場になる。
2010-04-01 03:56:26キャロル的なゲームは構造主義的に、あくまで構造内部における不安定化要因とそれによってコントロールされる諸関係の変異を問題とする。しかし、アルトーを扱って、構造の外部を問題とする『意味の論理学』後半部は、キャロル的なゲームの可能性の条件それ自体を、問うものです。
2010-04-01 03:59:07そうした『意味の論理学』の後半部は、アルチュセールによるレヴィ=ストロース批判ともパラレルです。すなわち、リベラルな資本主義というシステムそれ自体がいかに生成してきたのか、という「動的発生」の視点です。それをスルーして、所与のシステム内的分析だけでよいのか。
2010-04-01 04:01:59ニコニコ動画のN次創作はそりゃキャロル的世界だろうけど、アルトーはいるのかよ!って @masayachiba は突っ込んでいるわけだな。
2010-04-01 04:00:33