竜と龍、肉食、稲作の普及の背景なんかについて
@m_um_u あーそれはあるかもしれなよね。例えば神社にいる蛇を殺したりすると祟りがあるとか田舎の田んぼ多いところなんかでは信じられてたし、実際悪戯して殺して大人たちがその子にお祓いさせたりしてたよ。同級生なんだが。
2011-04-10 14:21:46@maasaakoo 神の使い、というか人と同じような一個の人格(神格)としては最初は考えられてなくて、「タタリ」ってのがなんとなくこわかったの。タタリというのは主に自然災害とか病気、あと不作。 それを、そこに住まうものと意味的に結びつけてたみたい(蛇とかミミズ
2011-04-10 14:25:44@m_um_u あのさそれで思い出したんだけど「忘れられた日本人」でそゆの書いてあったよね?亡くなった祖父が「みみずを苛めたりしてはいけない。命ある物は大事にしなければ」みたいなことをさ。きっと「神様に祟られる」=命あるもの大事にみたいな教育というか道徳が絡んでるのかねえ
2011-04-10 14:26:06@maasaakoo んだす。その時代になると教育的に「タタリこわい」だけど、原始だとわりと感覚的に実感としてタタリこわいだったとおもう
2011-04-10 14:27:53@maasaakoo んだす。宗教の始まりはタタリのほう(ご利益はあとからのこじつけ)。ケガレというのはそういう感覚。具体的なイメージは「もののけ姫」のタタリ神とあれに触れて手が腐食したアシタカの姿。 それとは別に聖なるものをあがめようとする志向もあったみたい
2011-04-10 14:29:21@maasaakoo うん。あれは憑き物的に精神的に陶酔も入ってただろうけど、そこに入り込めるのは周りと自分が本気で信じてたからだね
2011-04-10 14:30:24ドラゴンと肉の関連みていってもいいんだけど、ドラゴンはちょっといったように「キメラの王」にして「悪魔」とよばれるものの総体っぽく、それは神の反照なのよね。なので、たぶん原始宗教が大文字の宗教になっていった過程の想像力の副産物だと思う
2011-04-10 14:34:38@maasaakoo @m_um_u 祟りの世界は魄(はく)の世界、スピ系の人がいう高次の存在は魂(たましい)の世界。魄の世界に繋がるタイプの霊能者は地に近いので具体的な事象を当てるのが得意だけど邪気を溜め込みやすいの、ちなみに。
2011-04-10 14:40:25@pigo468 んー それはスピリチュアルの系での体系ですね。まぁそれはそれでおもろいんですが、わたすが基本として考えてるのは「原始・昔のひとのほうが現象学的野生を身につけていたのでは?」ということです
2011-04-10 14:43:21@pigo468 で、魂と魄の違いですが、魂というのはむしろ「座」に関わります。これは現象の意味を理解するときの基本となる器、あるいは感情の基点のようなものです。魄(はく)は自然(ピュシス)との関わりです、おそらくは。 一番わかり易いのは自然、季節のズレによって体調崩すんですよ
2011-04-10 14:45:27@pigo468 いや、段階というか・・内部がポイエーシスで、外部がピュシスあるいはアウラなんですけど(てか、全体がピュシスで事物の内部から出るのがポイエーシスで、外辺がアウラかな) その部分の機構の話ですね。接合の仕方とか、内部からの発動の仕方、余計なもののくっつきかた(ズレ)
2011-04-10 14:51:35