旧街道浸水せず。"謙虚な"土地利用とは

旧街道は水はけ・地盤良好な箇所を選んで造られたと、震災前から度々指摘されてきました。 特に仙台市周辺の都市計画には、過去の震災の痕跡が残っているようです。 土地と震災をめぐって、積み重ねられた知恵、失われた知恵を考察する記事・TWを集めてみました。 ただし、地名や道や水は時代につれて動くものですし、断層は未発見のものが多いと言われます。 続きを読む
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高尾天狗 @MtTakaoTengu

時間をかけて勝ち得た叡智。その点、近代の開発は、乱暴すぎたように思います。  東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞) http://t.co/OaHoHWK via @mainichijpnews

2011-04-24 08:05:38
Nurekaeru @Nurekaeru

当初は「自明のこと」だったものが、時を経るにつれまったく共通知から喪われてしまうことのひとつの典型例。そして道だけが残った。 / 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞) http://htn.to/rp938B

2011-04-24 08:22:07
ビスマルク田中 @mincer1969

これだけ文明が発達しているのに何の対策もしなかったら、先人に顔向け出来ないし、後世の笑い者になるだろうな。 Reading: 先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp http://t.co/6VnmN13 #sendai #miyagi #save_miyagi

2011-04-24 08:27:23
木田泰夫 @kidayasuo

@KAN0U @kawabata 震災当時、両親が神戸に住んでいたのですが、私もこれを体験しました。地域が少しずれるだけで、建物の構造で、被害が天と地ほど違うんですよ。海沿いは見ていないのですが、やはり川沿いは弱いようでした。

2011-04-24 09:55:02
木田泰夫 @kidayasuo

@uakira2 @kawabata これは面白い。仙台は活断層で分けられた台の上に発達したという事ですね。ところで、このブログの名前の塩竈、この正月に行ったところだったんですよ。

2011-04-24 10:11:28
Kuga @etoile_etoile_e

ああ、これは…! 特にここ100年くらいの「急速な進歩」が、なんともはやでしょうか。「経済重視」の生活が、悲惨な結果を生んでいる。RT @Nurekaeru: @etoile_etoile_e …について色々考えさせられました。http://htn.to/rp938B

2011-04-24 10:21:24
UCHIDA Akira @uakira2

今朝車でFM仙台を流してたら、ちょうど東北大大学院津波工学研究室の今村教授が出てらして http://bit.ly/g41mRm に掲げてる津波浸水域マップ作成時に奥州街道の宿場も浜街道の宿場も被災してないって気づいたと仰ってました。 @kawabata @kidayasuo

2011-04-24 11:18:22
UCHIDA Akira @uakira2

阪神淡路での神戸市の被害といえば週刊プレイボーイ96年5号に「大被害の原因は活断層ではなかった!」という記事があって、埋め立てが始まる前の海岸線に沿って震度7の帯が観察され、また新幹線の高架橋が折れた地点と古い川筋が一致すると記されてますね。 @KAN0U @kidayasuo

2011-04-24 11:42:07
UCHIDA Akira @uakira2

週プレが取材した相手は、「環境考古学の立場から、神戸の街がどのようにできあがってきたのかをテーマとして研究してきた」立命館大学の高橋学助教授(96年当時)と、「日本に20人ほどしかいない活断層の専門家のひとり」通産省工業技術院地質調査研究所大阪地質センターの寒川旭研究官。

2011-04-24 11:49:43
UCHIDA Akira @uakira2

記事を読み返して気づいたけど、1995の399年前=1596年に慶長伏見大地震が近畿地方を襲い、2011年の400年前=1611年に慶長三陸地震が東北を襲ってる。大地震サイクルって律儀だなぁ。

2011-04-24 11:53:24
UENO Kazuaki @kazuau

「街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高い」の根拠が知りたいな。「街道整備後に海側が土地改良・干拓された」であっても不自然ではないわけだし。 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞) http://t.co/wc2uWDY via @mainichijpnews

2011-04-24 13:41:51
うめごーるど @umegold

この記事に関して@が飛んでくるのだが、津波を想定して道を引いたというよりも、普段の大雨でも道路がぐちゃぐちゃになりにくい、あるいは堤防が決壊しても浸水しにくい微高地を選んで道を建設したという方が正しい気がする。たまたまそれが津波被害を免れる方法と合致しただけのような

2011-04-25 13:04:16
うめごーるど @umegold

東海道の沼津-原区間、蒲原-由比-興津-清水区間、舞阪-新居-白須賀区間とかでかい津波が来たら流されてしまう場所に道が通ってますしね。津波被害に遭わなかったのは結果論な気が

2011-04-25 13:08:43
にょ @ripley_ek9

@umegold まるっと同意します〜。 しかし、長町宿の開宿が津浪の翌年なので、仙台道については被害の『少なかった』場所に敷設したと言うのも多少有るのかもです。だからと言ってわざわざ海岸線に道を引く意味も無いと思うので、偶然かと思うんですが。

2011-04-25 14:07:52
にょ @ripley_ek9

@umegold つづき。仙台道以前の道である東街道はもっと山側に有りますしねえ。

2011-04-25 14:10:01
うめごーるど @umegold

@ripley_ek9 1611年に慶長津波、1612年に長町宿開宿、1613年に中田宿開宿ですか。宿場の位置に関しては津波の影響は充分考えられますね。東街道から新奥州街道に切り替わったのは慶長津波より前なのか、それとも1612年の長町宿開宿と合わせてなのかがワカラナイ

2011-04-25 14:38:55
うめごーるど @umegold

pdf読んでる: 仙台平野の堆積物に記録された歴史時代の巨大津波 -1611年慶長津波と869年貞観津波の浸水域- - 06_08_03.pdf (application/pdf オブジェクト): http://ux.nu/tlbu95 #miteru

2011-04-25 14:40:52
にょ @ripley_ek9

@umegold そうなんです。調べられたら調べたいですが… 長町には街道より僅かに山側に蛸薬師と言うのがあって、津浪の時?に、タコがそこ迄流れて来たのだとか。こんな海から離れた場所に、ウソだ〜、と思ってましたが…本当なら道の辺りも多少被害が有ったのでは?と思ったり。

2011-04-25 15:06:20
うめごーるど @umegold

@ripley_ek9 あるとしたら広瀬川を遡った津波が堤防を破壊してだばぁしたってことなんでしょうね

2011-04-25 15:15:06
otobeck @otobeck

古い地名などは、その土地の特徴を色濃く残しているものが多い。統廃合で地名を変えるのは愚の骨頂。こと天災に関して先人に学ぶ意味は大きい RT @arths2009: 江戸の知恵・・ / 河北新報 先人の知恵浸水防ぐ 宮城県南「浜街道」 http://htn.to/j1x7DR

2011-04-25 16:43:21
takata.s @tokio555

東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず (毎日新聞) http://t.co/rNYvQO4 v 慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津波を想定して道を敷いた可能性は高い

2011-04-25 18:02:56
ハナ @flower_yk

今日の河北新報の一面。津波の浸水が江戸時代の街道と宿場町の手前で止まってたっていう地図がすごい。1611年の慶長三陸津波を受けて整備された可能性があるらしい。仙台藩の人たち考えたんだなあ。

2011-04-25 18:34:08
@Tomominori_T

街道史や物流史から道路の整備過程を検証すると、災害などと街の関係が見えてきますが、こういう話をすると、道路というだけでアンチ道路な方々に毛嫌いされたりするんだよなぁ… 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず 毎日 http://t.co/FNaWJ0H

2011-04-25 18:41:20
mari @mari_koenji

痛みや悲しみの記憶は、いったいどのくらいの時間受け継がれるものなのか。そして今、我々の記憶はいつまで受け継がれるか>先人の知恵浸水防ぐ 宮城県南「浜街道」(河北新報) http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110425t13021.htm

2011-04-25 20:04:49