旧街道浸水せず。"謙虚な"土地利用とは
これは、逆に被害が及ばなかった集落を中心に、発展していったから?かもしれない。 ヘッドライン | 文化・芸能 | 先人の知恵が浸水防ぐ 過去の津波経験から「浜街道」整備 - 47NEWS(よんななニュース) http://t.co/KCXX22r
2011-04-25 20:12:39おお、まとめられてた。「旧道沿いは自然災害に強いのか? 」http://bit.ly/ihOvbe 江戸時代よりさらに数世紀前の古代道路は直線状に建設されたんだけど、土地柄を考えなかったためか、数百年で消滅してしまった。 http://bit.ly/eMCgto
2011-04-26 00:47:54今は痕跡もほぼ喪われた日本の古代道路だが、その候補として有名なのが、栃木県野木市・小山市と茨城県総和町・三和町の境界。9kmにわたって不自然な直線状になっていて、おそらく古代道路がそのまま境界になった可能性が高いと指摘されている。 http://bit.ly/eZLw7m
2011-04-26 00:52:59福岡県小郡市と佐賀県鳥栖市境の間の直線状の境界も、古代道路「西海道」の痕跡。航空写真で見るとよく分かる。 http://bit.ly/fiJehK
2011-04-26 00:57:30航空写真で見えてくる古街道の姿といえば、中村太一『日本の古代道路を探す―律令国家のアウトバーン』 (平凡社新書) http://amzn.to/ghIrbU を読んで驚いた記憶が。 @kawabata
2011-04-26 06:40:07@umegold 市史では仙台道と東街道が両立していた時期があったと見ているようです。1601年の伝馬黒印状で既に増田宿・岩沼宿が成立していたことが分かるようです。津波は1611年ですから、道の普請とは関係ないですね…。おそらく他の宿場の位置とも関係ないかと思います。
2011-04-26 07:09:56@umegold 実は昨日の河北新報に同じ内容の記事が載ったのですが、「浜街道」の事だけが書かれており、「奥州街道」の件は触れられてませんでした。どっかの筋から指摘があったのかも?
2011-04-26 07:17:55@ripley_ek9 奥州街道は仙台-増田-岩沼っていうルートがまず決定されて、それから1611年に慶長津波が来て、で1612年に広瀬川の川止め対策として長町宿が成立、1613年に名取川の川止め対策として中田宿が成立と考えればいいのかな
2011-04-26 07:46:16@umegold そうですね~。いつから道があったのかは判らないんですが…整備されたのは仙台城下の整備と同時期かもと思います、けど違うかもw
2011-04-26 07:50:52仙台、名取の1947年の航空写真を見てる: - 詳細情報 | 国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システム: http://ux.nu/y3QXWS #miteru
2011-04-26 07:55:38@masakomasako 古代道路がほとんど痕跡を残さず消滅したところを見ると、おそらくやはり「不自然」だったのだろうかと。秦の馳道や万里の長城なども。
2011-04-26 08:25:15海沿いの方々が高台に集団移住する際、当然牡蠣をダメにするような開発はしないだろうけど、津波の危険を伝える碑の他に「崩壊地名」として伝わる危険も避けますよね? 小川豊『崩壊地名―自分で学べる防災の知恵』ISBN-10: 4381021428
2011-04-26 08:33:41古街道がどんなものかってことと、どんな具合に研究が進展してきたのかを理解するための、格好の資料(古代交通研究会会長・木下良「古代日本の計画道路」地学雑誌)がウェブに。 http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf110-1/115-120.pdf
2011-04-26 12:32:17石巻街道について、丹念に調査された方がいらしたんだなぁと知る。 http://www.malkyo.com/basyo/02miyagi/05ishinomaki/01.html
2011-04-26 12:32:57