哲学道場駒込2011-05-28「懐疑論的パラドックスを解消する」

2011/5/28開催 討論会「哲学道場」駒込 なお今回の出席者は8名。 ジェイコブ氏によるクリプキ批判でした まとめは、だいたい時間順にならんでます 続きを読む
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うるざさんごーはち @urza358

もう一点、これはかなり些細な点ですが、算術に関する真理について、ジェイコブズは「共同体内で一度も計算されていない加算の式には正解はない」とはっきり認められたと思いますが、クリプキはそんなことは主張していないと私は思います。 *Tw*

2011-05-29 00:47:00
うるざさんごーはち @urza358

失礼、ジェイコブズ「氏」の「氏」が抜けてしまいました。 *Tw*

2011-05-29 00:47:48
うるざさんごーはち @urza358

私は本日の席で何度も、クワスの議論は「+」記号の意味を私は懐疑論者に説明できるか、という問題だと言ってきました。一方でジェイコブズ氏にとっては、クワスの議論は「53+67」の正解が125であることを私は懐疑論者に説明できるか、という問題に摩り替わっています。 *Tw*

2011-05-29 00:51:19
うるざさんごーはち @urza358

私はそれが根本的は私と彼の食い違いだと感じます。だから私にとっては、共同体内で一旦「+」記号の意味が定まれば、共同体内で一度も計算されていない加算の式にも、正解はあるのである。私はこちらの意味論の方が現実に即したモデルだと思います。 *Tw*

2011-05-29 00:53:01
うるざさんごーはち @urza358

相変わらずタイプミスが多いですが、まあ明示的に誰かに宛ててる文章ではないのでいいかな。でも丁寧語になっちゃうんだよね。話を続ける。 *Tw*

2011-05-29 00:54:17
うるざさんごーはち @urza358

もう一点、これも些細なことですが、私が世界で一人になったときに、つまり共同体というものに原理上参加できなくなったときに、出来事を「知る」ことは出来なくなくて「信じる」ことしか出来ない、という議論について。 *Tw*

2011-05-29 00:56:56
うるざさんごーはち @urza358

私は、その場では、瑣末なことなので流しましたが、デヴィドソンによれば、主観的な信念というものは、一人称の権威によって知識と見なされる種類のものなので、「主観しかなければ知識はない」というのは一つの立場ではあっても、 *Tw*

2011-05-29 01:01:00
うるざさんごーはち @urza358

そんなにとやかく言うほどの問題ではないと思います。私にとっては、もし世界に私一人しかいない状況で、「53+67は125である」という文を私が信じているときに、それを信じていると呼ぼうが、知っていると呼ぼうが、なにか問題が不透明になるとは思いません。 *Tw*

2011-05-29 01:03:02
うるざさんごーはち @urza358

問題はあきらかに、「共同体がなければ、語に意味はない」という命題からの「世界に私一人しかいないならば、語に意味はない」という帰結が直感に反していることであって、直感のその反している仕方を「それでも私は語の意味を知っている」と呼ぼうが「信じている」と呼ぼうが論点は同じです *Tw*

2011-05-29 01:06:12
うるざさんごーはち @urza358

だいたい気になったのはそのぐらいかな *Tw*

2011-05-29 01:13:38
うるざさんごーはち @urza358

共同体は、「+」記号の正しい意味を、生の事実から把握するでしょう。それでも、私が「+」記号を使用したとき、それがまさにアディションの意味において使用している、ということを懐疑論者に正当化できるかたちで説明はできません。 *Tw*

2011-05-29 01:17:02
うるざさんごーはち @urza358

それが、直感には反するけれども事実なのだというのが、クワスの議論のおもしろいところで、その議論が無意味だとは私は思いません。 *Tw*

2011-05-29 01:18:02
工藤 庄平 @nineteen_jacob

@urza358 僕もそんな主張はしていません。

2011-05-29 22:52:11
工藤 庄平 @nineteen_jacob

@urza358 これもあなたの誤解です。懐疑論者の問いは算術ではなくメタ言語的な意味に向けられているのですから。

2011-05-29 22:56:45
工藤 庄平 @nineteen_jacob

@urza358 僕の言う「文法」とはgrammarではなくてcategoryなのです。付言すると、あの場で僕は「違反」という言葉は使わなかったと思います。

2011-05-29 23:04:10
工藤 庄平 @nineteen_jacob

@urza358 僕はそのようなことを言った覚えはありません。「知っている」と「思っている」「信じる」の文法的差異に鋭敏であるべきだとは言いましたが。詳しくは『確実性の問題』で。

2011-05-29 23:11:26
工藤 庄平 @nineteen_jacob

@urza358『哲学探究』第一部三五八節。

2011-05-29 23:19:04
工藤 庄平 @nineteen_jacob

@urza358 僕の言う「文法」とはgrammarではなくてcategoryなのです。付言しますと、あの場で僕は「違反」という言葉は使わなかったと思います。

2011-05-29 23:52:25
工藤 庄平 @nineteen_jacob

@urza358 僕もそのような主張をした覚えはありませんが。

2011-05-29 23:53:55
工藤 庄平 @nineteen_jacob

@urza358 何が原因でこのような誤解が生じたのか解りません。クリプキが強調しているように―懐疑論者の問いは、算術ではなく、メタ言語的な意味へ向けられているのですから。

2011-05-29 23:59:55
工藤 庄平 @nineteen_jacob

@urza358 「どうしてこの考えを哂うことができよう。それはいわば、我々の言語が育む夢のひとつである。」

2011-05-30 00:02:26
工藤 庄平 @nineteen_jacob

@urza358 僕はそのようなことを言った覚えはありません。「知っている」と「思っている」「信じる」の文法的差異に鋭敏であるべきだとは言いましたが。詳しくは『確実性の問題』をお読みください。

2011-05-30 00:05:08
うるざさんごーはち @urza358

@nineteen_jacob どうもこんばんわ。@を結構いただいたので今から返信します。 *Tw*

2011-05-30 00:34:16
うるざさんごーはち @urza358

@nineteen_jacob twitterはこういう難しい議論をするのに向いているプラットフォームではないですが、ちょっと我慢して付き合っていただければと思います。 *Tw*

2011-05-30 00:35:38
うるざさんごーはち @urza358

@nineteen_jacob 私は、あなたの仰っている「文法」が統語論におけるそれではなく、「ある語彙がカテゴリーミステイクで使用されている」といった場合の「文法」のことを仰っていると、理解しているつもりです。 *Tw*

2011-05-30 00:37:02