- somali_bleu
- 151579
- 419
- 243
- 331
TV番組の「うる星やつら」は、始まって程なく【作監の数だけ俺なりラムがいる】になった。 今では考えられないが、ほぼ一話完結ストーリーなので「その回の中で統一」されていればお客さんも文句は言ってなかった。 作監それぞれが「俺のラムが一番だ」とでも思っていたかも…なんて時代。
2019-11-03 07:23:53@GAKUJIRA 昔ファンロードの読者投稿欄にラムの、アニメーターさんごとの違いを絵入りで分析した投稿があって、 「目をキョトンとさせている時の表情はこのアニメーターさんが最高」等のコメントがあり、感心させられたことがあります。
2019-11-03 09:17:04際たるものが押井監督のうる星作品で他の監督作品と違い原作者があれはうる星奴らじゃないとまで言わしめたけどうる星ファンにとっては金字塔にまでなってるくらい監督作品話毎に個性溢れる作品シリーズとなったと思います twitter.com/GAKUJIRA/statu…
2019-11-03 07:31:34それにはこんな理由が
何故、昔のマンガ原作のアニメが「原作と違うキャラになるか」は2つの理由がある。 「原作のまんまだと、アニメとしては動かせない」 つまり、元の漫画はアニメで動かすことを前提として描かれてない。 髪型とか、鼻の処理とか 正面と横向きとで違うなんて当たり前で。 それをアレンジする。
2019-11-03 10:06:42もう一つは「100人のアニメーターが描けるデザインにする」 これは今ほどアニメーターのスキルが高くなかった時代に、「キャラデザの人しか描けないレベル」だと皆がついて行けない。 そこで線を減らし、処理を簡略化して「皆が描きやすい絵」にする。 それでとバラ付きは出たんだけど。
2019-11-03 10:06:43特に少女漫画系の絵は、描くのが殆どオトコ達なのに あのサラサラフワフワな空気感は難しく、セル画塗りにすると重くなり破綻する。 「綿の国星」 が驚異的だったのは、キャラと共にセル塗りなのに透明感を残したから。 1984年、 当時の最高峰技術だった。 pic.twitter.com/TKh9hqIsW8
2019-11-03 10:06:47TVアニメ版 「うる星やつら」 1981〜1986 「めぞん一刻」 1986 共に80年代を代表する高橋留美子先生原作漫画のアニメ化だが、うる星やつらがこと絵においてはアニメーターの自由奔放さが容認されたのに、めぞん一刻では一転「俺なり響子さん」はぐっと控えめになる。 これはとても面白い現象だ。
2019-11-03 18:01:27思うに、うる星の5年間で皆が「高橋留美子の絵柄」をそれなりにマスターし、 めぞん一刻では「一つの響子さんで統一」が可能となった事。 あと、メンタル的に響子さんには「勝手にいじると失礼」的なものもあったのではないか? ラムちゃんは友だちだけど、響子さんはマドンナなのだ。
2019-11-03 18:01:27