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twitter seminar "Reading Williamson's Philosophy of Philosophy"

要約担当者:【第1章】at_akada【第2章】yukoim【第3章】saru_at_P【第4章】r_saijo ゲスト:kasa12345
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西條 玲奈 / SAIJO Reina @r_saijo

今回は1章〜4章の内容の確認&検討をメインにしたいと思います。議論したい点をあげてもらうのは勿論OKですが、分からない点やよく飲み込めなかったところなど担当者に尋ねて内容を確認する、というのでいかがでしょうか? #seminar_PP

2010-05-06 20:04:07
at_akada @at_akada

Twitter読書会"Philosophy of Philosophy"の関連ポストをはじめます #seminar_PP

2010-05-06 20:05:13
at_akada @at_akada

1章要約。ことわりがき: thoughtを「思想」と訳すのがあまり好きではないので「思考」と訳すことにします。#seminar_PP

2010-05-06 20:05:46
@saru_at_P

遅れました、すみません。了解です。#seminar_PP

2010-05-06 20:05:50
at_akada @at_akada

この章の主たる結論は、「言語論的転回・概念論的転回は(哲学の対象と方法論を不当にせばめるがゆえに)まちがっていた」です。#seminar_PP

2010-05-06 20:06:28
at_akada @at_akada

分析哲学史を(「わたしの前任者たち」を媒介にすることで)振り返りつつ、Williamsonは批判の主なターゲットをダメットによる以下の3つの主張に向けています。#seminar_PP

2010-05-06 20:06:36
at_akada @at_akada

(1)哲学のゴールは思考thoughtの分析である[ゴールのテーゼ]。/(2)思考の研究は心理学的プロセスの研究とは区別される[公共性のテーゼ]。/(3)思考の分析の唯一の適切な方法は言語の分析である[分析手法のテーゼ]。#seminar_PP

2010-05-06 20:06:44
at_akada @at_akada

これがなぜまちがっているのか? Williamsonはまず(3)分析手法のテーゼが、すでに時代遅れとなった感があることを確認します。多くの哲学者にとって言語はすでに中心的な役割を果たしてはいません。#seminar_PP

2010-05-06 20:06:50
at_akada @at_akada

では(ゴールのテーゼ、公共性のテーゼについてはどうか。Williamsonはこれも否定します。なぜなら思考(およびその構成素である概念)は、現実のごく一部にすぎないからです[ごく一部テーゼ]。哲学のゴールを、現実のごく一部に限定する必要はありません。#seminar_PP

2010-05-06 20:06:58
at_akada @at_akada

では(ゴールのテーゼ、公共性のテーゼについてはどうか。Williamsonはこれも否定します。なぜなら思考(およびその構成素である概念)は、現実のごく一部にすぎないからです[ごく一部テーゼ]。哲学のゴールを、現実のごく一部に限定する必要はありません。#seminar_PP

2010-05-06 20:06:58
at_akada @at_akada

ごく一部テーゼへの考えられうる反論としては、マクダウェルのような「思考と事実の一致」(真なる思考において、思考されたことは事実である)に拠るものがありえるでしょう[一致テーゼ]。Williamsonはこのテーゼを否定します。#seminar_PP

2010-05-06 20:07:36
at_akada @at_akada

一致テーゼには2つの読みがあります。弱い読みでは、「どんな事実についてであれ概念を形成できる」となりますが、これは哲学の特徴付けには弱すぎるでしょう。一方強い読みでは、指示(reference)のレベルで個体化される「事実」と、(つづく)#seminar_PP

2010-05-06 20:07:45
at_akada @at_akada

一致テーゼには2つの読みがあります。弱い読みでは、「どんな事実についてであれ概念を形成できる」となりますが、これは哲学の特徴付けには弱すぎるでしょう。一方強い読みでは、指示(reference)のレベルで個体化される「事実」と、(つづく)#seminar_PP

2010-05-06 20:07:45
at_akada @at_akada

意味(sense)のレベルで個体化される「思考」を同一視してしまい、偽となります。#seminar_PP

2010-05-06 20:07:59
at_akada @at_akada

さらにWilliamsonは思考の志向対象からの議論によって、ゴールテーゼを批判します。哲学を思考の分析と考えることは、哲学的思考を「思考についての思考」と捉えることです。しかしこれはほとんどの哲学研究(特に形而上学など)に当てはまりません。#seminar_PP

2010-05-06 20:08:08
at_akada @at_akada

この章で、特に範例となっているのは、「言語を対象としない」「にもかかわらず、安楽椅子哲学を通じて研究されている」という意味で形而上学の例が多いようです。(要約おわり)#seminar_PP

2010-05-06 20:09:33
Yuko Murakami @yukoim

移動中ケータイでモニタしております。貢献できずすみません。よろしく!#seminar_PP

2010-05-06 20:09:53
at_akada @at_akada

@r_saijo そのやり方でよいと思います。#seminar_PP

2010-05-06 20:10:25
at_akada @at_akada

だそうです! QT: @shokou5 #seminar_PP の みなさまへ!どれも たいへん 勉強になる ポスト群なのですが,# のまえに スペースを いれていない かたが おおいようです.検索に ひろわれず もったいないので…!

2010-05-06 20:12:05
西條 玲奈 / SAIJO Reina @r_saijo

@yukoim こちらこそよろしくお願いします! seminar_PP

2010-05-06 20:13:14
西條 玲奈 / SAIJO Reina @r_saijo

ありがとうございます、気をつけます。 RT @at_akada: だそうです! QT: @shokou5 #seminar_PP の みなさまへ!# のまえに スペースを いれていない かたが おおいようです.検索に ひろわれず もったいないので…!

2010-05-06 20:14:05
at_akada @at_akada

ちょっと気になった論点。「哲学の対象としての言語」については、1章で明確に否定しています。一方「哲学の方法としての言語(の分析)」については、Williamsonは微妙な態度をとっているように見えます。 #seminarl_PP

2010-05-06 20:14:06
at_akada @at_akada

2章では、言語がある意味では哲学において重要な意味を占めることを指摘しつつ、3章4章では、少なくとも「分析性」という形での言語のかかわりは否定している。 #seminar_PP

2010-05-06 20:15:15
at_akada @at_akada

その意味でこの箇所は多少気になりました。「中心」って言ってましたっけ。 QT: @yukoim 【第2章:吟味のポイント[第3節→論点(c,d)]その1】(11) この対立理論の審理の際の推論では本能には頼れないため、思考・言語の考察が哲学の中心となる。 #seminar_PP

2010-05-06 20:16:44
西條 玲奈 / SAIJO Reina @r_saijo

順番は気にしなくてもいいのですがまず1章について感想。この「概念論的展開」の流れがあったというのが、私は勉強不足でピンきてなかったりします。この辺のことは色んな人に聞いてみたいです。 #seminar_PP

2010-05-06 20:17:00
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