佐藤誠市氏によるナムコ80年代ゲーム作品についての証言

「ボスコニアン」の企画をはじめ数々のナムコのゲーム作品に関わった佐藤誠市氏が、多根清史「教養としてのゲーム史」をきっかけとして、主に同書内で取り上げられているゲーム作品を中心にさまざまなお話をツイートされています。 大変貴重なものであると思いますので、一部注釈など入れながらまとめていきたいと思います。 ※この後の話は新規にまとめを作成しました→ http://togetter.com/li/530826
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オニオンソフト @onionsoftware

@SugarSeisan 興味深いお話ありがとうございます。ピンボールで点数を取らずに落ちた場合の救済はかなり昔からありますが、一定時間内に落ちた時の救済はパックマンよりずっと後ですね。そういった意味で難易度の自動調整はボスコニアンが最初かもしれないですね。

2011-08-19 11:22:52
佐藤誠市 @SugarSeisan

岩谷さんのピンボール好きは『ジービー』『ボンビー』『キューティーキュー』の企画者であったことからもわかりますが、『ギャラガ』の企画者もピンボール好きでマルチボールから『ギャラガ』の「デュアル・ファイター」を思いついたというのはもはや有名な事実でしょう。

2011-08-19 11:19:54

※『ボンビー』は正式には「ボムビー」が日本語でのタイトルです


80年代のアーケードゲーム開発環境その1

佐藤誠市 @SugarSeisan

業務用のゲームのROM容量が4KBとか8KBとか言ってた頃が懐かしい。様々な工夫をこらして容量をけずっていた。プログラムもそうだが、キャラクタもそうである。バックコードの魔術とか言ってたことも思い出される。『ゼビウス』の背景がナスカの地上絵に変わった遠因の一つもそこにある。

2011-08-22 11:15:52
佐藤誠市 @SugarSeisan

ナスカの地上絵のいきさつはまた後で述べるとして、キロバイト単位のころはテープだしといってパンチテープでROMの製造会社にデータを提出していた。一つのゲームが手のひらにのるぐらいのテープでまかなえていたのだからすごい。私自信はプログラマではなかったので打ち出したことはないのだが。

2011-08-22 11:22:16
佐藤誠市 @SugarSeisan

企画職で入ったのでキャラクタの制作をしていたが、通常はEPROMに焼けばいいのでテープ出しの必要はなかったのである。最終バージョンができたらそれをプログラマがテープに出してくれていた。入社当時グラフィック治具というものがありキャラクタ制作とEPROM焼きができ非常に便利だった。

2011-08-22 11:27:36
佐藤誠市 @SugarSeisan

このグラフィック治具はキャラクタ作成とグラフィック画面表示の二つのモードがあるのだが微妙に統一がとれていなかった。あとで『リブルラブル』のハードとソフトの開発者が手分けしてこの治具のソフトウェアを制作していたと聞きなるほどなと納得したことを覚えている。

2011-08-22 11:32:42
佐藤誠市 @SugarSeisan

でもこの治具のおかげで他社よりもグラフィックの質が良かったというのは事実だと思う。他社では紙に書いたキャラクターを手作業で数値化しコンピュータに打ち込みのが当たり前だったようだ。テレビで見た気がするがライバルのセガ社でもそうやっていたようだ。画面を見ながら変更できたのは便利だ。

2011-08-22 11:38:02
佐藤誠市 @SugarSeisan

ただこの治具は一台しか無く、最初の頃はそんなに困らなかったが開発ラインが増えてきたら治具の取り合いになってしまった。その後同じものを作るのでなく量産できるものをということでいろいろ試行錯誤があった。PCの能力が高くなってソフトウェアで対処するようになったのはだいぶ後のことである。

2011-08-22 11:43:56
佐藤誠市 @SugarSeisan

治具一つで開発効率がこんなにも違うのでゲーム会社の秘密主義というのは必要なものなのだなと思ってしまう。ただ米国のように開発者が集まり情報を公開しさらにより良きものを作り出すという考えもその後の3DCGゲームの開発を見ると否定すべきものではない。個の利益か全体の利益か。

2011-08-22 11:52:39

野球の次はラグビーだった!?

佐藤誠市 @SugarSeisan

録画にてラグビー『日本対アメリカ』視聴。さて、来月からラグビーワールドカップが開催されるが認知度がどれだけあるだろう。なでしこと同じで優勝でもしなければ口の端にものぼらないかもしれない。2009年に日本で開催されるというのに盛り上がってくれるだろうか?

2011-08-22 14:59:33
佐藤誠市 @SugarSeisan

『ファミスタ』の後でKISSYがファミコンソフトでラグビーの試作をしていたのを見て話し合ったことがあった。さすがにファミコンでは15人制は無理でフォワード3人、ハーフ1人、バックス3人の7人制をやろうとしていた。野球の後はサッカーじゃないかと思っていた私は吃驚したものだった。

2011-08-22 15:02:55

※「KISSY」は「パックランド」「バラデューク」「プロ野球ファミリースタジアム」などで知られる岸本好弘氏のことです

佐藤誠市 @SugarSeisan

とりあえず私が持っていたラグビーに関する本を数冊貸してあげたのだが結局お蔵入りになったようだ。やはり人気の面で市場性がなかったのだろう。その時から今まであまり変わっていない。確かに外国人選手の加入で日本チームは強くはなっているのだが。外国人選手に頼り切りという節も感じられる。

2011-08-22 15:06:23
佐藤誠市 @SugarSeisan

最大のネックはアジアにライバルがいないのが理由かも。日本に対してのみ力を発揮する韓国も純血主義なのか韓国人選手のみの国家代表で最近日本には勝てなくなっている。イギリス統治下の香港は強かったが中国に返還されてから弱くなる一方である。アジアにライバルができてからが本当の勝負かな。

2011-08-22 15:10:57
佐藤誠市 @SugarSeisan

ゲームの企画をやっていたときは、本当にいろんなスポーツのルールを調べていた。その頃は新しいゲームといえば新しいルールを作るのと同じ意味だったからだ。ラグビーでもルールがどんどん変わっていった。試合を面白くするためにである。勿論プレイヤーにとっても面白く見ている人にとっても面白く。

2011-08-22 15:15:00
佐藤誠市 @SugarSeisan

初期の頃ラグビーはメンバー交代が認められず、15人のみで行われていた。従って怪我をしても交代は認められず、一人抜けた状態でやるか手を骨折したぐらいでは三角巾で腕をつりながら片手でやっていた。それが怪我の交代を認められ今では戦術的な交代も認められるようになった。

2011-08-22 15:18:22
佐藤誠市 @SugarSeisan

アメリカンフットボールも後ろだけのパスだけでは面白くないと考えフォワードパスを一回のみ許すことになって劇的な試合が行われることになり人気を博すことになった。ゲームも同じで劇的に面白くするというルールがどこかに転がっている。それを知るためにも様々なルールを知ることは必要だろう。

2011-08-22 15:23:52

「ドンキーコング」とゲームの難易度

佐藤誠市 @SugarSeisan

さて『ドンキーコング』である。このゲームの面白さの研究はやり尽くされている感がするので難易度について少し。私が企画の現役時代に他社の製品を見て衝撃を受けたのが2機種ありそのうちの一機種がこの『ドンキーコング』である。確か任天堂のプライベートショーで見たのだと思う。

2011-08-23 10:36:41
佐藤誠市 @SugarSeisan

あまりのショックで帰りの電車でうなだれていたら開発の先輩になぐさめられた。それほどまでにこの衝撃は大きかったのだ。4方向レバーとボタン一個でこんな事ができるのだと感動した。もう一機種は8方向レバー2個でこんな操作ができるのだということでこれもショーの帰りに無口になった自分がいる。

2011-08-23 10:39:57
佐藤誠市 @SugarSeisan

私は反射神経が良くないので『ドンキーコング』のようなアクションゲームは苦手である。ところが開発の先輩が苦労しているのを尻目に4面までクリアしまた1面に戻るところまで確認できたのだ。プライベートショーの目的はディストリビューターやゲームセンターの経営者に見せて商談することにある。

2011-08-23 10:45:26
佐藤誠市 @SugarSeisan

概してそういう人たちはおじさんおばさんが多くゲームが下手なので、難易度を易しくすることがある。ただ、まだ若い開発の先輩が苦労している中なぜかあっという間に4面までクリアしてしまったのだ。後にも先にもあんなに多くギャラリーを集めてゲームをしたことはなかった。相性の問題だったのか。

2011-08-23 10:48:32
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