カリプソトーク

29
前へ 1 2 ・・ 9 次へ
dubbrock ダブ録 @dubbrock

カリプソではピコンと呼ばれる風刺の精神が命です。ジャマイカの音楽は明らかにその影響下にありますね。RT @bcxxx: 先にこういう汎カリブ/アフリカ的なものがあって、そこに電気再生装置や音響操作のテクノロジーが加わってレゲエ/サウンドシステム文化ができたんじゃないかとさえ思う

2010-05-03 17:39:21
kentarotakahashi @kentarotakahash

ジャマイカは1950年代までは独自の音楽文化と呼べるものがあまりない。100キロ程度しか離れていないキューバには豊穣な大衆音楽が花開いていたというのに。しかし、その後の50年間で、ジャマイカ音楽は世界音楽をひっくり返した。

2010-05-03 17:42:00
kentarotakahashi @kentarotakahash

それは電気の力があったからだろう。トリニダッドになくて、ジャマイカにあったもの。 RT @bcxxx: 先にこういう汎カリブ/アフリカ的なものがあって、そこに電気再生装置や音響操作のテクノロジーが加わってレゲエ/サウンドシステム文化が

2010-05-03 17:44:22
kentarotakahashi @kentarotakahash

でも、なぜ電気の力をもって、世界音楽をひっくり返したのがジャマイカ人だったのか? ただの偶然? それとも何らかの社会的、文化的背景があったのか? そこはまだ掘り下げられていないんじゃないかな?

2010-05-03 17:46:54
dubbrock ダブ録 @dubbrock

トリニダード・トバゴとジャマイカは英語圏だったというのも肝ですね。トリニは石油がでたから先に経済的に走りました。ジャマイカはボーキサイトぐらいしか取れませんでしたから、鉱物資源は。RT @bcxxx: RT @dubbrock RT @bcxxx:

2010-05-03 17:50:58
kentarotakahashi @kentarotakahash

でも、距離的にはトリニは米本土から離れすぎていて、ニューオルリンズやマイアミのラジオが入ったりはしなかった。 QT @dubbrock トリニダード・トバゴとジャマイカは英語圏だったというのも肝ですね。トリニは石油がでたから先に経済的に走りました。

2010-05-03 17:55:12
ヨルノシゴトネコ @nightworkcats

@kentarotakahash 黒人音楽全般に言える事ですが、新しいビートの発見があったからではないでしょうか。情報の少ない島国で、フリークス的な発展を遂げたのがジャマイカの音楽だと思います。

2010-05-03 17:52:20
kentarotakahashi @kentarotakahash

うーん、情報に関してはジャマイカは意外に豊富だったと思いますよ。QT @kfcfarms @kentarotakahash 黒人音楽全般に言える事ですが、新しいビートの発見があったからではないでしょうか。情報の少ない島国で、フリークス的な発展を遂げたのがジャマイカの音楽

2010-05-03 17:58:24
@bcxxx

トリニダードと違って米国からのラジオ電波が入ったジャマイカは、米国の音楽をなぞりつつ、独自のアレンジを加えた。だからこそ欧米の音楽に馴染んだ人々の耳も捉え、国際的な支持を得たのではないか、と。

2010-05-04 01:26:31
@bcxxx

もちろんそれプラス、サウンドシステムでプレイされるレコードをベースにした音楽ならではの特殊な音響特性の追求や、音楽の流通/消費形態の斬新さがあったのも確かでしょう。

2010-05-04 01:30:11
@bcxxx

あと、そもそもラジオを通した米国の音楽が、生演奏とは違ったバランスやアレンジに聴こえたことも影響したんじゃないかとも思うんですがどうなのかな。

2010-05-04 01:31:12
リアーナ @part2style

@bcxxx あとアメリカから買い付けてきたSoul、Jazz、RnBなどのレコードもお手本だったと言われていますね。ただ当時の一般市民に手が届くようなものだったかはわかりませんが。

2010-05-04 01:33:39
@bcxxx

なぜジャマイカ音楽は、アメリカのジャズやリズム&ブルースのアフタービートを強調したのだろうか。ラスタコミューンとの交流により、ナヤビンギのリズムパターンが入ってきたことに影響されたのか。それともサウンドシステムでプレイされる際にその方がたんにダンスに適していたからなのか。

2010-05-04 01:33:59
@bcxxx

一般市民はレコードは買えませんが、サウンドシステムで最新の米国音楽を聴く事ができたはずです。 RT @part2style あとアメリカから買い付けてきたSoul、Jazz、RnBなどのレコードもお手本だったと言われていますね。ただ当時の一般市民に手が届くようなものだったか

2010-05-04 01:35:09
@bcxxx

あと、ジャマイカ国内の限られたスタジオミュージシャンしか演奏できなかったスカなどのジャマイカ産サウンドも、レコードになってサウンドシステムでプレイされることで、生演奏を聴けない人たちにも大いに広まったはずですね。

2010-05-04 01:37:32
リアーナ @part2style

@bcxxx そうですね。最初期はシステムといっても酒場のオヤジがスピーカーを外に出して客寄せを始めた程度のものだったらしいですが。段々とそこで最新の音楽を聴く習慣が根付いていったんでしょう。

2010-05-04 01:39:12
@bcxxx

最初期はレコード屋台だったと認識しています。レコードの演奏即売ですね。 RT @part2style そうですね。最初期はシステムといっても酒場のオヤジがスピーカーを外に出して客寄せを始めた程度のものだったらしいですが。段々とそこで最新の音楽を聴く習慣が根付いていったんでしょう。

2010-05-04 01:40:13
kentarotakahashi @kentarotakahash

ベース主義というか低音フェチというか、ともかく、ベースの低音の強調が一番の肝に思います。QT @bcxxx もちろんそれプラス、サウンドシステムでプレイされるレコードをベースにした音楽ならではの特殊な音響特性の追求や、音楽の流通/消費形態の斬新さがあったのも確かでしょう。

2010-05-04 01:42:06
@bcxxx

で、そのレコードをかけながら売り子がしゃべりを入れる。ひっくり返して裏面のインストをかけながらしゃべりを乗せたのがdee-jayの始まり、と。

2010-05-04 01:42:33
石田昌隆 @masataka_ishida

レナード・E・バレット Sr. 著『ラスタファリアンズ』によれば、ナイヤビンギの存在が明らかになったのは1958年だが、その起源は諸説あって不明な点が多いらしい。QT @bcxxx ナヤビンギのリズムパターン

2010-05-04 01:42:35
@bcxxx

米国の音楽だけでは需要に応えられなくなったんでしょう。供給量もだし、音響バランス的にも。 RT @part2style そしてそれが米国の音楽を聴くだけのものから、ジャマイカ国内産の音楽を楽しむスタイルにシフトしていった。そこの胎動にとても興味がある。

2010-05-04 01:43:47
石田昌隆 @masataka_ishida

レゲエよりカリプソの歴史のほうがはるかに古いのでこれはナンセンスでは? RT @RT @kentarotakahash でも、距離的にはトリニは米本土から離れすぎていて、ニューオルリンズやマイアミのラジオが入ったりはしなかった。

2010-05-04 01:44:27
@bcxxx

音質的に生演奏よりショボいから、低音を上げて腰にクるようにしたのかな?と。 RT @kentarotakahash ベース主義というか低音フェチというか、ともかく、ベースの低音の強調が一番の肝に思います。QT @bcxxx サウンドシステム音楽ならではの特殊な音響特性の追求

2010-05-04 01:45:03
リアーナ @part2style

@bcxxx それより少し時を経て、レコードをひっくり返して曲を紹介するスタイルがdeejayの元祖ということですが、本当に切っ掛けはひょんなことなんでしょうね。誰がオリジナルとか、厳密には特定しようがない。だから面白いと俺は思ってます。

2010-05-04 01:46:19
@bcxxx

あまり根拠なく想像していることなんですが、奴隷時代、黒人は通信手段として叛乱に使われる恐れのある太鼓を禁止された。その時期にアフリカ伝来のリズムをいったん失ってしまい、奴隷解放後に再構築する必要があったんじゃないかと。これはジャマイカに限らないことですが。

2010-05-04 01:48:21
前へ 1 2 ・・ 9 次へ