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時代が下って「日本霊異記」だともはや「豊浦寺」と記されていますし、現在も「豊浦寺跡」とかで案内されているっぽいので、「桜井寺」という呼称はうまく5ボス達の時代はそう呼ばれていた、というくらいの合致がないと理由付けがちょっと厳しいかも(汗)。
2011-09-16 22:44:50…と思ってちょっとググったら「止由等寺」と改称したのは推古天皇元年っぽい Σ …6ボスが「日本書紀」でその活躍を見せるのはこの後なのですが…まあ、物部守屋はもっと前から記述が見えていますし、その妹だとするならば自身は「桜井寺」と称していたとしても問題は無い…はず。
2011-09-16 22:48:37あー、もしかして「桜井寺」と呼んだのは、お寺の復活…つまり、仏教の再興を封じるためだったのかな? というのも、豊浦寺は異表記で「止由良寺」とか「等由良寺」と書かれることもあるわけで。「由良」って「布留部由良由良」の一部分になってるわけで。
2011-09-17 01:16:02なので、「豊浦寺」つまり「止由良寺・等由良寺」と呼ぶことによって「布留部由良由良」の呪力が一部分でも発動してお寺が復活することにでもなったりしたら困る。なので、「豊浦寺」という呼称は避けた。結果、「桜井寺」と呼称するに至った、という「豊浦寺の呼称回避説」。
2011-09-17 01:17:39ただ、表記を見るに「止由良寺」と書けば「由良を止める」で、呼称を避けるよりも強固に復活を封印できそうだ、という意見もいえるので諸刃の剣…(汗)。
2011-09-17 01:21:19そういえば、布都姫って崇峻天皇の御世に夫人となって政治に参加したのだっけ。紀の崇峻天皇の記述には桜井寺という呼称が見えるのだよな。…もしかしたらここからか? つまり、自分(布都)がその名前を(おそらく)よく聞いたときの呼称をそのまま使った、と。
2011-10-02 09:27:02※スペカについて 炎符「廃仏の炎風」
そうか。「廃仏の炎風」や「桜井寺炎上」のオレンジ色の炎弾、何故あれだけ下まで伸びてくるのかずっと疑問だったけど、気付けば「赤い炎弾は屋根、オレンジの炎弾は柱」って考えれば「寺(建物)全体が炎上し、崩れていく様子」を表す弾幕って考えられるな…。
2011-10-05 18:16:24※スペカについて 聖童女「大物忌正餐」
太媛は石上神宮の巫女的な立場と考えられるか。石上神宮と伊勢神宮は共に天武天皇御宇に始まったらしい(前書中の記述から)。伊勢神宮はかつて磯宮と呼ばれていたというけど、個人的には"石"上神宮と"磯"宮が"イソ"で音が重なっているのが気になる。
2011-09-22 19:26:43※スペカについて 投皿「物部の八十平瓮」
「物部の八十平瓮」は、崇神天皇紀七年十一月条に同じ文言が見える。同天皇五年に疫病が流行り多くの民が死亡するという状況の中で、七年二月には大物主神が倭迹迹日百襲姫命に憑依して託宣した。大田田根子を大物主神を祭る神主とし、市磯長尾市を倭大国魂神を祭る神主とすると疫病は収束したという。
2011-10-05 16:43:00大田田根子を大物主神を祭る神主、市磯長尾市を倭大国魂神を祭る神主として祭祀するときと同じとき、物部連の祖である伊香色雄に「物部の八十平瓮」を神々を祀る祭器とした、という。
2011-10-05 16:43:41ちなみに"平瓮(ひらか)"とは平らな瓮(飲食物を盛る器)のこと。 なお、記では同じ場所で「天之八十毗羅訶」と書かれている。 それと、伊香色雄(記では伊迦賀色許男命)は饒速日尊から見て六代目に当たり、確かに物部連の祖の一柱ということが分かる。
2011-10-05 16:44:29なお、この他に「八十平瓮」の語が見えるのは、紀では神武天皇即位前紀戌午都市九月条にて、八十梟帥や兄磯城の軍勢によって山道を塞がれたとき、神武天皇は夢で…(続く
2011-10-05 16:45:19続き) 「天香山の神社の中の土で天平瓮八十枚を造りそれと併せて厳瓮(いつへ/神酒を入れる神聖な瓶のこと)を造って天神地祇を祭り、祝詞を唱えよ。そうすれば自然と従うだろう」という教えを受ける。
2011-10-05 16:46:08あとは…記だと大国主の国譲りの場面で、大国主命を祀る御舎を造ったときにやはり祭器として「天八十毗良迦」の語が見える(紀は未確認)。
2011-10-05 16:47:13というわけで、「物部の八十平瓮」は物部氏は祭事に深く関わって(他にも武器・軍事に関わりが深いが)いることのシンボルであるとも見ることはできるか。神職や陰陽師のような服装もそれ(祭事や呪(まじな)いごとと関連が深いこと)を表していると考えられるし。
2011-10-05 16:50:51一方で紀では「物部の八十平瓮」というスペカ名と同じ文言があり、それは大物主神の祟りで疫病が流行っている場面である…大物主神が大神(おおみわ)神社のご祭神であることを考えると、テーマ曲である「大神神話伝」にも繋がってくる、という深いスペカであるといえるか。
2011-10-05 16:52:54しかし土器であるということは、一度水を含んだらアウトなので使い捨てだったのでは?…と考えると、まあ「厳重保管するような類のもの」ではなかったと考えられますね。天神地祇を祭る度に(天香山の土で)作っていたようですし。
2011-10-05 16:57:04