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あ、そういえば…刀自古郎女、刀自古郎女と言っていたらちょっと思い出したのですが…布都姫の女(娘)といわれる物部鎌足姫大刀自といい、「刀自」という表記が結構見えるのですよね。
2011-09-17 23:46:39そこでふと思い出したのですが、諏訪の資料を読んでいるときも結構この「刀自」という表記を見かけて、それに関する論考も何個か見たような気がするのです。
2011-09-17 23:47:45建御名方神が「南方刀美神」といわれることがあり、一方で八坂刀売神の表記については「刀売」の部分が「刀自」と書いてあることもある、ということもあってこの部分、この名前が何を表すか?ということを論考する話があったように思います。
2011-09-17 23:51:09しかし、姥の意見を採用したとすると山姥とかから山の神・鬼を通して雷属性に通じそうなので、その辺りを掘り下げてみるのも面白いかもしれませんね。
2011-09-17 23:54:09さて、先日呟いたことについて確認したので呟きますか。「刀自」について。対象は屠自古のつもりだったのですが、論文の内容が八坂刀売命なので、どう考えても神奈子様を対称にしています。本当に(ry
2011-09-19 22:26:54八坂刀売命は文献上では承和9(842)年が初出だという。一方、建御名方神について、「御名方富」や「南方刀美」といった「トミ」の音を含む名前は平安時代以降の文献で見られるようになったという。
2011-09-19 22:31:56これに対して、宮地直一氏は「諏訪史二巻」にて(筆者は「宮地直一論集2 諏訪神社の研究(下)」で確認)それぞれの神名に冠されている「トミ」「トメ」の名前について論考していらっしゃる。
2011-09-19 22:34:42お互いが対応の関係にあるとの考え方を示しているので、切り離して述べるのはどうかと思われるが、このうち「トメ」に関する論考を見たいと思う。
2011-09-19 22:36:46同署では先例として、「諏方上宮神名秘書巻」は「トメ」について石凝姥命の姥と同じく、乙女を意味する語だとする論考を提示した。
2011-09-19 22:40:14一方、「記伝(八)」では「度売(トメ)は老女を云称と見えて、書紀に姥と書り、(此字字書に老母也と有)例は記中に、春日建国勝戸売・沙本大闇見戸売・志理都紀斗売などあり、又戸辺とも通し云こと、書紀の石凝戸辺にて知べし」とあるという。
2011-09-19 22:45:20他にも幾つか書名を挙げ、これらの例から宮地直一氏は(江戸時代等の研究家は)「トメ」を以て老母、あるいは女性の意味であると解したこと、を示した。
2011-09-19 22:48:08同氏はこれに対して異議を唱えたものとして、「古史伝(九)」を挙げ、この場合ではトメは利所見(トミエ)であり、「御鏡の光の、利く所見たる由ならむか、然もあらば、度は清て称ふべし、…(後略)」と言っていて性別とは関係ない、とする論の例も示している。
2011-09-19 22:52:20そうこう論考を進めるうち、同氏は「三代実録」貞観九年三月十一日の項に「八坂刀"自"命神」と記されている例を見付け、示した。これも後の時代の人の間違いと一蹴すべきではないと同氏は取り上げている。
2011-09-19 22:56:58これは普通は「刀目」と書くつもりだったのが「刀自」となったもので、元々はトメであった、という説が多いらしいけど、そうではなく、最初から「自」と書かれていたのでは、と同氏は主張している。
2011-09-19 22:58:29ただ、帰着するところは一緒のようだ。当時は「トジ」も「トメ」と同じく女性を表す言葉として互いに区別されることなく使われていたがために、「刀自」と書いたのだろう、としている。
2011-09-19 22:59:59Wikipedia, 武内宿禰の項より>武内宿禰は応神天皇の母、神功皇后の忠臣として活躍し神功皇后はトヨの海の神と強く結ばれ「豊浦宮」(とゆらのみや)に拠点を構え、それは「トヨの港の宮」とも呼ばれ、そこから神功皇后はトヨの女王と呼ばれた。
2011-09-27 16:46:55そうか、武内宿禰(記だと蘇我氏の祖とされる)と塩土老翁と浦島太郎の重なりを推めるならば、浦島太郎の煙になったという話から屠自古も尸解仙に一応は繋がるのか…。
2011-09-27 16:52:58