強迫神経症と、「私は考える、ゆえに私は存在する」

精神科医、@schizoophrenie さんによる解説です。
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schizoophrenie @schizoophrenie

「私は考える,ゆえに私は存在する(je pense, donc je suis)」というデカルトの言葉が,それほどうまくいくわけではないということを最も優れた形で私たちに教えてくれるのは,強迫神経症者をおいて他にない.

2011-08-26 17:47:52
schizoophrenie @schizoophrenie

彼は考える.彼は自分の人生について,そして部屋の鍵やガスの元栓について絶えず考える.その考えは一日中同じところをずっと周りつづける.そうして考えに疲れたときに,彼の一日は終わる.彼は疲れ果て,このように言う.「私も他のみんなと同じように,何も考えずに人生を楽しめればいいのに…」

2011-08-26 17:48:20
schizoophrenie @schizoophrenie

”donc je suis”は彼の存在を,その思考の一瞬においてしか保証しない.彼は考えることを際限なく続けることによって,自分の存在をかろうじて保ちつづけるだけである.

2011-08-26 17:48:42
schizoophrenie @schizoophrenie

「何も考えずに人生を楽しめればいいのに」 ”Je ne pense pas, donc je jouis”と彼は言う.彼は考えることをやめることによって,「何も考えずに」「我を忘れて」享楽することができるだろうが,そこにあるのはje ne suis pasという「私」の死である

2011-08-26 17:53:34
schizoophrenie @schizoophrenie

「私の思考」と「私の存在(享楽)」は二律背反的である.この2つは共通部分をもたない.思考すれば存在は消え,存在すれば思考は消える.こうして,強迫神経症者は「自分は生きているのか,死んでいるのか」という問いを抱えながら生きる.

2011-08-26 17:58:50
schizoophrenie @schizoophrenie

デカルトのコギトをめぐるこの話は,ラカンがLogique du fantasmeのセミネールでしているものであるが,このことを力強く教えてくれるものは臨床をおいて他にない.

2011-08-26 18:03:45