放射線被曝と先天性障害をめぐる差別のレイヤー
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「必ず畸形で生まれるわけではない」と云うことですよね?畸形が生まれる確率が激増するのも事実ではRT @kikumaco たとえば、「被曝したからといって奇形の子どもが生まれるわけではない」という知識(略)しかし、差別は防ぐのが当然だろう
2011-10-04 14:01:11@Artanejp チェルノブイリの影響については、奇形率が上がるという研究もあるのだけど、それはかなりおかしなデータで、WHOの総合報告では「被曝の影響による奇形や死産の増加は見られない」となっています(リンク先はPDFなので注意) http://t.co/ByYAnltw
2011-10-04 14:49:13被曝した方への差別云々以前に、障害者に対する差別意識が強烈に感じられます。障害児を持つ親としてはこういう言い方は許せません。RT @kikumaco @hyokoto たとえば、「被曝したからといって奇形の子どもが生まれるわけではない」という知識は差別を防ぐには有効なはずだが…
2011-10-04 14:37:48はい、それももちろんそのとおりです。二重構造なので、なかなか表現が難しいのですが RT @Gessys: 被曝した方への差別云々以前に、障害者に対する差別意識が強烈に感じられます。障害児を持つ親としてはこういう言い方は許せません
2011-10-04 14:50:28@kikumaco 実際に被曝しても障害児を産む確率が上がるというデータはない、ということを発言することが差別意識の現れだとはおもいません。(蛇足ですが、私も障害児の親です)
2011-10-04 15:40:45「かくかくしかじかで子に障害ができる確率があがる、あがらない」ということを言うこと自体が「差別である」という考え方は、障害をマイナスということに触れてはいけない、そのこと自体が差別だということなのだろうな。逆に言えば、障害とはそれほど過酷である場合もあるということなのだが。
2011-10-04 15:44:05.@geppeeee そのとおりです。僕はどちらの差別も憎みますが、今の話題でそれを両立させる表現は大変に難しいです。どういえばいいでしょうね。差別が二重にも三重にもなっているので、非常に辛いところです
2011-10-04 15:45:16@kikumaco 実際に、子に障害があるのとないのとでは、ないほうが良いのです。そう考えることすら辛い人もいるのは事実なのでしょう。もしも、障害につながるような事由があれば避けるべきですし、それは放射能も交通事故も同じです。
2011-10-04 15:51:23@geppeeee それはそうですが、いっぽうチェルノブイリでは「増えていない(一定率である)」というデータなのです
2011-10-04 15:59:04--差別をめぐる話はまだ続きますが、別の場所で興味深い対話が始まりました。
本論:黒猫亭さんと月餅さんの対話
「先天異常をなくす営為」と謂うのは社会的公平性の観点から誰でも異論はないだろうけれど、それは「先天異常は不幸である」と謂う認識を暗黙の前提に置いていて、それは障碍受容の観点では社会的公平性と対立的になる。そこは社会的公平性と謂う規範がカバー出来ていない特異点なんだよね。
2011-10-04 16:04:21@kikumaco はい。そのことは存じています。事実として「増えていない」というデータがあるのでしたらそれを言うに憚ることはないはずですし、仮に増えていたとしたら、人々の健康のたために警鐘を鳴らすべきです。この二つは矛盾しません。
2011-10-04 16:04:47@chronekotei そこなんですよ。実際は辛かったり悲しかったりすることがある(ない場合もあるようですが)にもかかわらず、受容が絡むと、それは「ないこと」にすべき、という変な強制力が働くのです。
2011-10-04 16:06:47@geppeeee ちょっと抵抗のある言い方ですが、障碍のある子供を授かると確実に親の払うべきコストは増えるわけですね。で、それが知的な障碍であれば子の立場の幸不幸と謂うのは相対的な問題になってよくわからない。でも、親の立場のコストを言い立てていいのかどうかと謂う部分が曖昧。
2011-10-04 16:09:10@chronekotei 親のコストを言う人はあまりいませんね。「親が亡くなったあと、この子たちは無事に過ごせるのか」という不安感は強烈ですが。
2011-10-04 16:13:07@geppeeee @Mac_Nishioka まあ、申し訳ないけれどもオレはそれを共に考えることは出来ても、答えは持ち合わせていません。その矛盾を整合させる社会的アイディアが未だ出ていない以上、「あちら側を切り捨てない」と謂う倫理についてしか語れない事柄だと思います。
2011-10-04 16:13:21@chronekotei さすがに、「黒猫亭さんなら全ての答えを持っている」とまで考えているわけでもないでしょう。ですが、いいヒントをくださいますので、非常に有意義です。
2011-10-04 16:15:20@geppeeee かなりひどい言い方になりますが(笑)、オレは猫の行く末を思うときに類似した問題を考えることがあります。人間は二〇年くらいで何とか自立して自分の力で生きていけるから世代を重ねていくことが出来ますが、そのシステムが破綻している状況があり得る、と。
2011-10-04 16:16:05@geppeeee ですから、やっぱり月餅さんが「カネの問題」と仰るように「社会的なリソースの問題」と謂うのは大きいと思います。マジョリティ向けのシステムに合わない個人を「切り捨てる」か否かと謂う問題は、社会的リソースの総量と密接に関係していると思うんです。
2011-10-04 16:19:58@chronekotei 障害の種類によっては、その「20年で自立」というシステムに乗ることが絶望的であったり危うかったりすることがありますので、ここらへんが親の泣き所です。
2011-10-04 16:21:38@geppeeee 天寿を全うするとすれば、今の水準では確実に親は子よりも先に死ぬわけですから、親の死後自立出来ない個人が生きる為には親に代わるリソースが必要なのですよね。だから、そこには社会保障の問題があって、さらにその背景には経済問題がある。
2011-10-04 16:23:54@chronekotei 「できるだけ障害者が増えないようにする」ことと「障害者になったり、障害者として生まれた人間は社会的に庇護する」は両立すると思うのです。でも、どうも批判も多いのですよ。
2011-10-04 16:24:52障碍を不幸と意味附けられると「社会の庇護を必要とする貧乏くじ」と謂う位置附けで生の価値を否定されたように感じる人々もいる。その価値的な部分での公平性と実務的な部分での公平性がうまく噛み合っていないのが現状なんだろうな。
2011-10-04 16:28:32