「日本の美術大学は何を教えてんのか」的な批判に対して

中島智さん( @nakashima001 )のツイートをまとめました 中島智 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E6%99%BA
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版一欠 @edtion1

http://t.co/yu50yGU5 “制作意図を 他人に説明するのは、美術家としてやっていくなら、非常に重要だ。プロジェクト を立ち上げたり、グラントに応募するときにかかせない、という実際的な側面 もあるが、何よりも 自分で自分の作品を説明できなくてどうするのよ!”

2011-10-24 19:18:26
中島 智 @nakashima001

モノカルチュラル(愛国的)なアメリカ教育戦略にすなおに洗脳され、そこが「世界の中心」であると勘違いするアート関係者は、21世紀の今日にもまだ残存している。 RT @edtion1: http://t.co/VljeGbza “… 自分で自分の作品を説明できなくてどうするのよ!”

2011-10-25 23:37:48
中島 智 @nakashima001

今日は地唄舞家元・花崎杜季女さんの公演「花崎会」@国立劇場 がある。地唄舞はもともと花柳界からうまれた座敷舞いなので、所作は小さい(特に日舞と同様に関東では大袈裟な振付がない)のだが、そのぶん削ぎ落とされた微細な動きと緊張感のあるアウラによって舞い手の周りの空気が縦横闊達に動く。

2011-10-28 08:45:23
中島 智 @nakashima001

その凜とした立ち姿は、花崎流地唄舞は日舞よりも能楽のほうに近親していて、実際にも交流は濃いようだ。所作を抑えた舞いは手話のように舞う流派から「舞いが小さい」と誤解されることがある。むかし西表島にいたとき八重山舞踊の家元と知り合ったが、やはり沖縄本島の宮廷舞踊派からはそう評された。

2011-10-28 08:57:33
中島 智 @nakashima001

所作が大きければダイナミックとみる見方は、原色を塗りたくる画家を色彩感覚が高いと評することと同様にナンセンス。むしろ舞台を仮定してなされる大袈裟な所作というのは、日本家屋をアトリエにしながらその環境に感応することなく美術館空間のような別の場所に気持ちだけが飛んでいるようなもの。

2011-10-28 09:20:05
中島 智 @nakashima001

だが技芸の評価というのは、その深さよりもスペクタクル性に偏ることがままある。例えば石垣島で開催されたトゥバラーマ大会で、その唄者が生きてきた人生や生活が滲み出た味わい深い唄い手がいたが、結局のところ優勝したのは唯一西洋型歌唱法で歌いあげた若者であった。類問は舞踊にも演劇にもある。

2011-10-28 10:01:25
中島 智 @nakashima001

途中下車して銀座の藍画廊で「高柳恵里展」を観た。《気配》という言葉が浮かぶ。まるで普段のようになにかをしていてふっと気を逸らした瞬間に現れるもの、そして再びそこに目を戻したときに見せるモノの表情。そんな微分的なモノのありようを観た気がした。ここにも一人の名人がいる。

2011-10-28 18:19:02
中島 智 @nakashima001

3時間にわたる地唄舞公演が終わり、帰路。ロビーに来年度のアルメニア公演のインフォメーションがあり、後援者として僕と藤井・元大臣の名前が掲示されていた。気恥ずかしくて隠れるように席に戻ろうとしていたら、藤井大臣にばったり。着席してから、僕の顔を知っている人なんていないことに気づく。

2011-10-28 21:32:15
中島 智 @nakashima001

地唄舞、本来のゆらゆらと呼吸する燭台の灯しびのなかで観てみたい。藤井さんを羨ましく思うのは、そんな座敷で鑑賞できるんだろうなということ。料亭に娘(家元)を呼んで、舞いを間近に観ながら酒を呑む…なんて幸せな絵を思い浮かべてしまった。

2011-10-28 21:40:46
中島 智 @nakashima001

大臣といえば、昔ある国に舞踊留学をした知人が両国の懸け橋になりたいというので「じゃあその国の大使になればいい、大使は準大臣クラスだから動きやすい。僕の言う通り動けばなれます」とノウハウ指導をしたことがある。はたして彼女は任命大使になった。でもそのノウハウは僕の研究には役立たない。

2011-10-28 22:06:57
中島 智 @nakashima001

話題は八重山のトゥバラーマにかえって、その石垣市主催トゥバラーマ大会のあとに、大工哲弘さんが個人的にやっている「毛遊び」のようなトゥバラーマの会が、畠のなか月の明かりだけで行われる。月光はヒトのこころをを裸にする。そしてアフリカでもそうだったが、街灯さえなければ夜は明るいのだ。

2011-10-28 22:16:12
中島 智 @nakashima001

この、《街灯が夜を暗いものにした》ということを考えていると、なんだかそれがマネージメント思想にたいするアイロニーのようにも思えてくる。

2011-10-28 22:19:20
中島 智 @nakashima001

そこで再び思い出してしまったのが、先日の「作品を説明できなくてどうすんのよ!」と宣うブログのこと。僕にいわせれば、自作品を説明できる/に責任もてる アーティストなどというのは《ひとりよがり》レベルのアーティストなのだ。則ち、いまだ《自己表現》を超えていないアーティストのことだ。

2011-10-28 22:27:25
中島 智 @nakashima001

つまり、「日本の美術大学は何を教えてんのか」的な批判にたいして僕が答えるとするなら、そういうことを教えているんだ、と。そして加えるとすれば「それがわからないのなら、どうぞ日本の美術大学に入り直してください、お教えします」と。ちょっと攻撃的かしら‥。

2011-10-28 22:33:45
中島 智 @nakashima001

日本は主張しあうコミュニケーション文化ではなく、互いに読み取りあうコミュニケーション文化だ。それは能面顔と揶揄されるような、表情筋が発達する必要がなかった身体的事実が雄弁にそのコミュニケーションの歴史を物語っている。よって、日本の技芸では、説明を求める前に読み取る能力が試される。

2011-10-28 22:50:51
中島 智 @nakashima001

名人芸に触れて、ついつい連ついしてしまった。

2011-10-28 22:56:22