フィジシャン、ヒール・ユアセルフ #1
ザッ、ザッザッ。少女は箒を打ち振る。「向こう三軒両隣」。狭いスペースに多くの店がひしめく日本の環境下で培われた奥ゆかしい礼儀の呼称である。すなわち、開店前に、自分の店の向かいの三軒と両隣の店先も清掃すべしという心得だ。強制ではないが、やらない店主は商店街でムラハチとなる。 1
2011-11-08 18:26:14しかしながら、少女はこの清掃行為をことさら強制されたものだとは考えていないし、煩わしいとも思ったことがない。それは日本人が元来持ち合わせる相互扶助の奥ゆかしさに由来する自然な感覚であるし、何より、少女はこの町が好きであったのだ。 2
2011-11-08 18:32:42彼女の浮かない表情には別の理由がある。清掃を終え、ゴミを捨てていた彼女に、通りかかった初老の小男が声をかける。「ドーモ、ヤモト=サン」少女は振り返った。「ドーモ、キリシマ=サン」「あいつ、どうだ?」ヤモトは無言でかぶりを振る。「鬼の撹乱だな。……ニンジャの撹乱か」「……」 3
2011-11-08 18:44:35「これなら食べられる?」ヤモトはガラス皿をフートンの脇に置いた。バイオリンゴをミキサーにかけたものだ。フートンに伏せっていた大男はヤモトに向かって笑顔を作った。「素敵よ。見るからにローカロリーだし」身を起こした。「食べられるわ。アレよ、やつれダイエット知ってる?ゲホッ!」 5
2011-11-08 18:57:08ヤモトは女めいたトーンで話すその大男、ザクロを、気遣わしげに見た。軽口を叩きながらも、見るからに昨日よりも悪い。顔色は土気色で、吐く息はゼイゼイと荒れている。「ねえザクロ=サン、今日はお医者さん来るから」「お注射!?冗談じゃないわ。自然に治るわ。やめてよ!」「呼んだから」 6
2011-11-08 19:04:17「アータね!アタシ、ニンジャよ?アータもよ。だからわかるでしょ、治癒力ってもんがゲホッあるのよ、ニンジャは病気なんてものにはゲホゴホッ!ウェーゲホッ!ゲホッゲホッ!」「病気だよ」ヤモトは眉根を寄せた。そう。ニンジャは病気になどかからない。通常は。だからこそ心配なのだ。 7
2011-11-08 19:09:42「いい?お注射ったって、ニンジャの…」ザクロは言いやめ、そそくさとガラス皿のリンゴをスプーンで素早く口に運ぶ。"ニンジャの病気に医者が役に立つのか?"……ザクロが言いかけたであろう懸念はヤモトの胸中にもある。彼女はザクロの落ち窪んだ目を見た。カーン!電子呼び鈴が鳴る。「来た」 8
2011-11-08 19:16:49……医者の往診は、やはり満足の行くものではなかった。「わからん」聴診器を繰り返し当てながら、医者は首を傾げた。「このね、声帯近くのこれね、ちょっと見たこと無い感じですね、なんかちょっとわかんないですね、正直。ちょっと今日は採血させてもらって、後日検査ですねこれ」「お注射!?」 9
2011-11-08 19:23:19ヤモトが肘でザクロを突いた。ザクロは溜息を吐いて、「わかったわよ!でもね、これはアータのためにゲホッやるのよ、これで満足してよね、ホントは大丈夫なのよ?アタシは自然にゲホッ治る……」「いいから!」 10
2011-11-08 19:30:12医者が去ると、ザクロは得意気めいた表情で肩を竦めて見せた。「まあ、こんなもんよ、仕方無いのよ。ニンジャ医学なんてもの、聞いたこと無いしね。ンマ!こんな時間!ヤモト=サン、仕込みをしないと」「今日はお休みにしました」「休みナンデ!?二日もダメよ!」「だって昨日より悪いのに!」 11
2011-11-08 19:37:58「ウオオーッ!」ザクロはフートンを跳ね除け、勢いよく立ち上がった。「治ってんのよ!やれる!皆が待ってるの!」そのままヤモトに倒れ込み、気絶した。 12
2011-11-08 19:47:51日は落ちたが「絵馴染」のネオン看板は点灯せず、店のシャッターに「明日も休みます」とショドーを貼るヤモトの背中は小さかった。夜を迎え、周囲の店々が、ネオンやモニタ動画の極彩色を路上に投げかける。ここはネオサイタマの最繁華街ネオカブキチョの片隅、ニチョーム・ストリートだ。 14
2011-11-08 20:03:36道向かいのゲイマイコポルノショップ「真剣味」をはじめとして、この町には、セクシャル・マイノリティ達による飲み屋やポルノショップが、けばけばしく、だが穏やかに建ち並ぶ。この町は訪れる者の性嗜好や主義主張をうるさく誰何したりはしない……人に迷惑をかけない限りは。 15
2011-11-08 20:18:59町に揉め事や悪人が現れれば、バー「絵馴染」の店主ことザクロ、別名ネザークイーンが駆けつけ、そのニンジャ腕力と義侠心でもって、警察以上に適切に対処する。ザクロはこの町の守り神であり、そしてヤモト・コキは、絶望的な旅の末にザクロに庇護されるに至った孤独なニンジャの少女であった。 16
2011-11-08 20:19:04「実際悪いか」朝と同様、ヤモトに声をかけたのは自治会長のキリシマである。振り返ったヤモトの目に、じわりと涙が溜まる。「……医者はダメか」「うん」「参ったなこりゃ」「うん」キリシマは頭を掻いた。「あのな、これはよ、どうにもうさんくせェ話なんだが」彼は躊躇いがちに切り出した。 17
2011-11-08 20:24:35「本当にこれはよ、実際ブードゥーめいた話なんだがな……とあるボンズが話題なんだ、今」「ボンズ?」「そいつはオオヌギ地区のボロ寺に住んでるボンズなんだが、病人や怪我人がそいつの事を頼って大勢訪れてる。噂が噂を呼んでんだ」「どうして?」キリシマは掌を上げた。「"癒しの手"だとよ」18
2011-11-08 20:36:47「……」ヤモトの沈黙を非難と早合点し、キリシマは首を振った。「いやいや、ふざけてんじゃねえんだよ。奴さんニンジャだろ?病気も普通と違うんじゃねえか?それとも、ほれ、この前のイクサの時に何かされたとかよ」はぐれニンジャ、ブラッドカースとのイクサの事だ。「毒?」「……とか、な」 19
2011-11-08 20:49:17キリシマは腕組みして続ける。「まあ原因はともかく……その、今話したボンズがだぜ、仮にオカルトじゃねェとすれば、そのう、」「ニンジャ?」「それよ!ニンジャだったら?何かブードゥーめいたジツで治してるとしたら!ニンジャにはニンジャをもってすればどうだ、と、こういうわけだ!」 20
2011-11-08 20:55:09「うん」「だろ?荒唐無稽だよな、すまねえ、まあ何の裏付けもねぇ当てずっぽうの……え?」ヤモトは力強く頷いた。キリシマは遠慮がちに、「……やってみるのか?」「うん。とにかく何かしないと、ザクロ=サンもっと悪くなる」「よ、よし! そいつの名はケンワ・タイ。寺の場所はな……」 21
2011-11-08 21:05:41「アータね、それどうするつもりよゲホッ、それ」ザクロは目の前のヤモトと、彼女が店裏のガレージから引っ張ってきたサイドカー付きのモーターサイクルを指差した。「ザクロ=サンは、今日は横です」「馬鹿言うんじゃないわよアータ。アータが運転?」「大丈夫!」「死ぬわ!もろともに死ぬわ」 24
2011-11-08 21:25:51「ニンジャだから大丈夫」ヤモトはモッズめいたヘルメットを被りゴーグルを下ろした。「ザクロ=サン、その体じゃ運転できないし、電車でオオヌギまで行かれないでしょ」「なんで出かける事になってんのよ!アタシもう大丈夫ゲホッ!ゲホゴホッ!」咳き込み「わかったわ、じゃあタクシーとか!」 25
2011-11-08 21:31:50