梅木賢一郎著「カミの現象学」についてのまとめ

図書館で読んだ本の考察ツイート・およびそれにかかわるまとめ。はじめてまとめるのでおかしいところはご了承くださいまし。
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難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

さて、本日のしゅーにゃんは、だいたい読了し内容を描きとれた「カミの現象学」(梅木賢一郎著)の話を再びまとめようと思う。これから、以前にもした信仰の現象の「穴」の話をしますが、フォロワーのみんなも、そのなかで思い当たるものがあったら、表明してくれるといいなぁ。

2011-11-17 21:56:10
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

質問でも、同じことを感じたことがある、というモノでもよいので、その話をリプってくれるとうれしいなぁという。ところで、この書き方なんだけど、一応この方向:僕が読みながら書いた内容を記述するという方法で。つまり、僕の思ったことも一緒に書きます。また、途中でほかります。

2011-11-17 22:02:10
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

「穴」とは何か。自分ではない何者かが侵入する穴。外部との交通をするための、強度を持った、蠱惑的な場。食べものの世界や、仏の世界とか、そういうものと交通するとき、私たちには「穴」が開く。

2011-11-17 22:04:00
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

「穴」は、自発的に開く。自分や他人の意思であける、「こわばった」恣意的なものではない。”あいた”穴である。(ちなみに、「」””ってので囲ってるのは原著で文字の上に点が打ち込んであるやつです)

2011-11-17 22:05:48
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

つまり、やわらかく、自然な「穴」は、硬直した「穴」、”あけさせられた”「穴」とは違う。恣意的に空いた穴は、国、正義、善行等と言う大義名分のために開けられる。これには妄執が取りつく。重さの靈がのしかかり、弾きだせないモノが多い。

2011-11-17 22:07:59
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

では、自然な穴の例を挙げてみる。たとえば、海に行って、イカを捕って食べる。食べたとき、口の中に海の世界が広がる。イカの世界(?)が広がる。この時、あなたはイカの自然と交通している。対話をしている。「いただきます」と言う。こうして、ものを食べるとき、穴が開く。

2011-11-17 22:09:56
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

他にも、おばあさんがお地蔵さんに水を打つ。この時も、おばあさんはこの習慣の中で、「穴」をあけている。とても自然な、柔らかい穴。

2011-11-17 22:10:48
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

こうした「穴」は、柔らかく、その仕事(穴あけの技法)を終えると、その瞬間に閉じてしまう。儚い。また、その仕事をしているとき、とっくに開いている。それだけやわらかく、自然に開いている。

2011-11-17 22:12:18
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

ところでこのたべたりお地蔵さん参りしたりして開く「穴」だけど、この食べるってのは”ただ食べる”じゃない。機械的に食べてるだけでは開きもしない。例えばコンビニで帰りに空腹を満たすだけに食べる、ってのでは開かないという事でしょう。

2011-11-17 22:13:43
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

つまりこの「穴」とは、例えば食べるなら、「食べる」という「穴」なのだ。身体の穴。身体を外部の何物かと交通させる、そういう「穴」。いうなれば、そこには「食べる」という《かたち》の「穴」が開いている。畢竟、そういう「穴」のあけ方を与えているのが「宗教」であると、筆者は言う。

2011-11-17 22:15:51
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

宗教の所作とは、《かたち》をもった穴をあける技法である。その技法の違いで宗教が違うといってもいい。なぜなら、その交流の仕方、つまり穴の《かたち》は、其処に住んでいる人たちの生き方、生活の在り方がかかわるからである。

2011-11-17 22:18:22
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

たとえばさっきの「たべる」ならば、イカが取れるところでは「(イカを)食べる」ことによって、例えば海に穴をあけ、交流するだろう。しかし、もし内陸で、リンゴが取れる地域であれば、「(リンゴを)食べる」ことで、果樹との交流をするだろう。それが、神話なり、宗教なりと繋がる。

2011-11-17 22:20:25
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

日本には、そうした穴あけの技法が沢山ある。沢山、「穴」の世界の入り口に充ちている(いた)。いた、と言っているのは、曰く、現代における「身体の均質化」、商品化されていく「穴あけ」(恣意的にあけられている)によって、本来的な自然な「穴」が明けられる場所がなくなっているということ。

2011-11-17 22:22:22
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

筆者は、それでもなお、様々な信仰や宗教、それ以外にも生活の色々に着目しながら、「穴」の現象学を開始している。それは、かつてあったこの「穴」への追悼の念、とのことだそうだ。

2011-11-17 22:24:13
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

ところで、彼は藝術にも穴を感じていたが、或るときから、藝術から距離を置くようになったと言う。というのも、藝術の絵画は、「穴」を開けてくれるのだ。しかし、彼は言う。(次ツイート)

2011-11-17 22:26:07
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

藝術を視覚の対象物化してしまうものがある。美術館やコンサート、ライブやテレビなど。ただの「もの」化させる。

2011-11-17 22:28:52
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

それが嫌になった芸術家は、この事態から逃れるために、例えばM.デュシャンのトイレのような、一定の方向へと藝術の目的を誘う政治的装置として芸術が使われる様をひけらかそうとするようになる。イヴ・クラインルチ・フォンタナなどを筆者は挙げていた。

2011-11-17 22:30:18
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

絵が特権化・制度化される(≒恣意的な穴の装置になる)ことを避けようとするさまを梅木は評価している。しかし、それはつまり、それだけ藝術が制度の前に戸惑っている様でもあると言える。

2011-11-17 22:31:06
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

では、なんでこんなに人間「穴」をあけたがるのか。筆者は言う。人は本来、自分の力ではどうしようもないものに脅かされている。病、獣、自然の脅威など。だから、それを神、霊などと呼んだ。しかしそれは仮称でしかない。

2011-11-17 22:34:29
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

外部の何物かに脅かされる自分たちの、根幹的な所在の再認のために穴をあける。自分たちが晒されているという生の様態を再確認するために、「穴」の技法を開発したのだとのことである。

2011-11-17 22:37:27
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

さて、ここで一つ自己考察。妙な話である。そもそも『現象学』とは何か?以前ここで「ソラ」様が現象学的な話に興味を持たれたが、現象学というのは哲学の結構マニアックな一分野。一般に知られている知識の手法ではないので、ここで確認しつつ、「カミ現」も確認する。

2011-11-17 22:39:26
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

もし、勘違いされてたら悪いので。また、僕自身正しくその学問を認識できているかわからないので確認。

2011-11-17 22:40:53
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

「現象学」(Phänomenologie)とは、まぁ遡ればヘーゲルの「精神現象学」に行くわけですが、基本たんに「現象学」というときは、フッサール以降のそれをさす。

2011-11-17 22:43:08
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

フッサール、ハイデガー、レヴィナス、サルトル、メルロ=ポンティ。このへんの人たちの名前一人でも訊いたことあればいいです。例えば、この辺の人たちが、現象学クラスタで有名な人達です。

2011-11-17 22:43:36
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

ではその現象学ってどういうものなのか。私たちは日常、「何の気ない」態度(フッサールの言う「自然的態度」)で、当たり前にものを見ている。だから、その意識からくるものの観方や考え方、というかそういう何の気ない思い込みを一旦「かっこに入れて」外し、純粋な意識での体験を記述するって方法。

2011-11-17 22:46:40
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