スマナサーラ長老ご法話『「慈悲」こそは、人類の救いです』実況メモ

2010年5月21日横浜朝日カルチャーで行われたスマナサーラ長老ご法話『「慈悲」こそは、人類の救いです』実況メモです。
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佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba スマナサーラ長老横浜朝カル講義「慈悲こそは、人類の救いです。」不安と揺らぎのない生き方を実現する。印象に残った言葉を控えめにツイートします。

2010-05-21 13:03:51
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)慈悲とは具体的な実践・訓練によって身につけるもの。様々な生命の法則を理解して、自分で自分の人生を操縦して管理する。流れに流されるのではない。それは仏教しか言っていないこと。

2010-05-21 13:12:29
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)慈悲は四種類。慈悲喜捨 メッター 友情・一切生命への「仲間」意識を育てる。カルナー 抜苦・悩み苦しんでいる他の生命を助けたいという気持ち。実際に助けられる範囲にはリミットがあるが、一切生命の苦しみがなくなりますようにという気持ちを育てる。

2010-05-21 13:16:18
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)ムディター 喜び・他人の成功、幸福を見て「よかった」という喜びを感じる。反射的に起こる「嫉妬」の感情を破る。 ウペッカー 平等・同一の生命はひとりとしていない。この差違に囚われない平等心を育てる。排他的・差別的な感情を破る。

2010-05-21 13:21:05
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)ウペッカー精神、世の中のないもの。違いを認めるのではなく、貶してしまう。世の中にある「いじめ」もそう。一言の「生命は平等」と言っても説明が必要。生命は平等ですが、各生命は皆違うことを踏まえないといけない。

2010-05-21 13:28:19
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)慈悲に「条件」はない。「私は善い人に優しい。悪い人を裁く。」という人には「慈悲」がありません。条件を付けて生命を差別している。元々ある差別意識に磨きをかけてどうする? 原理主義者は青年に元々ある差別意識に油を注いで自爆テロまでさせる。

2010-05-21 13:31:32
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)人類を悉く慈しむ、でも足りない。無制限無条件で「生命なら慈しむ」という処まで心を育てる。

2010-05-21 13:33:24
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)実践の仕方:具体的に慈しみを感じられるように、徐々に実践している。先ずは自分自身に慈悲を念じてそれを実践する。「私が幸せになりたい」というのは当然なこと。人間が色々悪事を犯すのは自分自身への慈しみがないから。自分を慈しむことで、自分の生き方、生活も整えられる。

2010-05-21 13:37:09
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)2次に親しい人々に慈悲を念ずる。3一般的に一切生命に慈悲の実感が起こるまで繰り返し実践する。4嫌いな人、自分を嫌っている人にも慈悲を念じて自分の心の成長をチェックする。

2010-05-21 13:40:26
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)前、横(右、左)、後、上、下に慈悲念を発信する。念ずる方向を一つづつ加えて、それぞれの方向を個別に念じた後、同時に多方向を念ずる。方向性に限定された脳のリミットを破る訓練。方向によって実践をやり易いやり難いがある。「後ろ」というのは、恐怖が生まれる方向。

2010-05-21 13:52:04
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)人生は曖昧中途半端でうまくいかない。生命はエゴイスト。自分のことしか理解できない(認識の、主観の)殻の中に生きているから。誰ひとりとして当てにならない。信頼に値する人とは、エゴの殻を破った人。エゴの殻が破れた人は他者の心にコンタクトして的確にアドバイスできる。

2010-05-21 14:00:24
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)生命に本来「自己愛」がある。本来、「慈悲」はない。自己愛がエゴ、我侭、嫉妬、差別感、劣等感、優越感などの精神病にまで発展する。慈悲の実践で、自己愛が悪性腫瘍に発展しないように遺伝子改良する。慈悲の実践でその精神病を直し、

2010-05-21 14:04:56
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)一切の生命を無差別に悉く心配する「偉大なる心」に成長させてくれる。世に奇跡と言われるようなことは、慈悲のパワーでいとも簡単に起こってしまう。テーラワーダの世界では、日常茶飯事で誰も気にしないくらい。

2010-05-21 14:08:34
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)我々には多かれ少なかれ「他を支配したがる」悪魔の心がある。管理できない人、管理を脱する人を嫌う。敵だと思う、怒りを抱く、恨む。この「管理欲」から、大きな争い、戦争まで起こる。生命は本来自由だと思っているから、この行為は生命の尊厳、生きる権利を壊すことになる。

2010-05-21 14:13:39
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)他人を支配したがる心は、まさに悪魔の心です。この心を治すしかない。慈悲を実践する人に効果的な方法、自分にあるこの悪魔の心をたたき直すぞと思って実践すると早くうまく行く。

2010-05-21 14:16:24
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)宗教家、政治家、、、上司、先輩、伴侶、我が子まで煩い。自分の気持ち、考え、思考等を他人に押し付けているから。我侭で自分のことしか考えていないから。悪魔心を持っているのに「正義の味方」を演じている。

2010-05-21 14:19:57
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)愛と慈悲は違います。宗教家も一般人も「愛」を評価する。しかし定義がないので、意味が分からない。勝手に解釈する。 何が「愛」ですか? 自分勝手に考える「愛」の感情は、生命を幸福に導く普遍的な真理である「慈悲」とは縁がないのです。

2010-05-21 14:23:33
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)「愛」とは、所有欲の表向きの表現に過ぎないのです。仏教の慈悲を英訳する場合は、間違ってもlove は使わない。わざわざ宗教家に言われなくても、皆に「愛」があるのです。自分が好きなもの、好むもの、自分に欠かせないもの、喜び与えてくれるものを誰でも「愛」するのです。

2010-05-21 14:27:50
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)対象に依って、「愛」の意義が変わる。何を愛するかによって、内容が変わってしまう。妻、我が子、ペット、隣人、人妻、社員、、、。しかし、全て、見返りを期待する所有欲です。

2010-05-21 14:31:10
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)原始時代から今まで、人は愛を実践してきたのです。戦っても、人を殺しても、戦争をしても人は愛するものを守ってきた。宗教家が一般人が実践してきた「愛」を乗っ取った。宗教の特殊な概念として愛を説明する。神を愛することは絶対だと言って、人の大事な愛の実践を壊した。

2010-05-21 14:36:05
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)神を愛しても愛さなくても生きていられる。神への愛と言っても、わけがわからない、具体性がない。それが戦争にまで発展してしまう。

2010-05-21 14:38:12
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s):愛は所有欲なので、悩み苦しむはめになる。愛するものに絡まって精神の自由を失う(これ、一般の愛)。神を愛する宗教の愛は差別の泉です。悪の根源です。仏教から批判されたことで、他宗教も教えを修正している。愛を有難がるのは、虎をペットにするようなもの。

2010-05-21 14:45:34
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)正しい生き方は慈しみです。自我の殻の中で生きる我々は他人を先ず敵視する。慈しみの人は他を敵視しない。先ず自分から挨拶する。時分から先に他に安心を与える。それで敵のない、ライバルのない生き方が現れる。自分の話に人が耳を傾ける。自分も他人の気持ちを理解できるようになる

2010-05-21 14:49:33
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)慈悲の人は、自然に影響力のあるリーダーになってしまう。エゴ、欲、怒り、嫉妬、慢、等で心汚れると罪を犯す、社会に迷惑な人に。心だけでなく、心が管理する肉体も壊れて早く老ける、病気になる。環境の変化に適応できない体になる。

2010-05-21 14:53:25
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

#jtba s)慈悲は身も心も治します。失敗も、希望を失うことも、慈悲の欠如から。慈悲には宗教も信仰もいらない。無信教者も信仰ある人も、障りなく実践できる。かえってその信仰を教祖様よりも正しく実践できるようになる。慈悲が心に入ると、他宗教素晴らしい教えに変わる。

2010-05-21 14:58:03