「テクストの読み方」という能力
- popeetheclown
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@t_hayashi 面白いテーマだと思います>「なぜ批判に生産的に応えられないのか?」.さらに実践的に,どうすれば生産的な批判が可能となるか(行い易いか)まで踏み込めば,私たち自身にとっても有意義になるかと.
2010-05-27 18:24:30@popeetheclown ぼくも、そのような議論はとても有意義と思います。とくに、個人的には、批判する側の「批判の作法」という側面に興味があります。
2010-05-27 18:38:40@popeetheclown @t_hayashi 「なぜ批判に生産的に応えられないのか?」>それぞれが自我を確立してないからじゃないですかね。批判を意見として受け止めず、ただ非難されたと思い込んでしまう人が多いように思えます。そこからは不毛な防衛戦にしかなっていかない。
2010-05-27 18:50:23@mowmo ある人が「言っていること」を批判しているだけなのに、それを「人格攻撃」として受け取ってしまう──それは、批判というものが生産的なものにならない、かなり大きな要因だと思います。
2010-05-27 18:56:43@hyuki まったくもって、そのとおりだと思います。あくまでその「言ってること」への批判なのに、それが「人格攻撃」と取られてしまう──そういう可能性は、批判する側もつねに留意しておくべきこと、かもしれませんね。
2010-05-27 18:59:21「テクストが読める」は「観察の対象となる単なるモノ」としてテクストを眺める態度およびそこから帰結する様々な観測・解析技術に通じているか否か、といった感じでしょうか。以下@なしで書きます。 @miyayou
2010-05-28 07:55:59やりとりが長くなる時のために「以下@なしで書きます」の略称があればいいのに。「以下w/o@」(いかうぃざっと)みたいな。
2010-05-28 07:57:33例を挙げて説明します。ぼくが「テクストを読むってこういうことだったのか」とはじめて思い知らさせたのは、学部時代に社会学の大学院の先輩と政治哲学の読書会を開いていたときでした。彼は「ぼくのかんがえるさいきょうのじんぶんがくと」みたいな人でした。
2010-05-28 07:59:54彼は「英語仏語独語西語羅語希語」を読める時点でまず単純に「読めるテクストの広がり」がぼくとは比べものにならなかったのですが、それ以上に、テクストを内在的に読む技術と外在的に読む技術がともに著しく発達している人でした。
2010-05-28 08:04:57「テクストを内在的に読む」というのは、距離が与えられていない一般の位相空間でものを考えるときのように、自明と思えるものでもそのテクストの中で導入されていない構造は一切読み込まずに淡々とテクストの内的なロジックー如何に破綻していようとーを追って行く読みのモードです。まずこの正確さ。
2010-05-28 08:06:55「テクストを外在的に読む」というのは、そのテクストを取り巻く歴史的社会的環境の中へと先程の「内在的な読み」を施したテクストの構造を埋め込んでいく読みのモードです。
2010-05-28 08:09:59「その論題について当時学界・世間ではどのような論評がなさされていたか?」「歴史的にその論題についてどのような議論がなされてきたか?」「その単語はこのテクストの外ではどのような意味の広がりを持って受け止められていたか?」といった傍注を練りこんでいく。これが異常に豊かな人でした。
2010-05-28 08:12:22以上は読みのスキルの話ですが、hack的なものも充実していました。例えば、●語の単語を調べる時にはどの辞書が1番信頼できるか、どの辞書にはどんな性質があるか、たとえば「用法の歴史的順序で並んでいるのはこの辞書」「定義の明晰さではこの辞書」などのhackを会得していること。
2010-05-28 08:15:02「テクスト」は文章だけでなく、「人間がcomposeするものすべて」を指す概念です。「観察の対象となるモノ」としての性質が異なるテクストに対しては下で書いたようなものとは異なる態度やスキルが必要とされると思います。
2010-05-28 08:17:24