3.11に仙台で開催される予定の脱原発デモについてのやりとり

3.11は人それぞれの思いがつまった日です。 1月21日未明に、3.11に仙台で「脱原発のデモ」を行うことについて、デモ主催者側とデモを行うことを反対なさる方々のやりとりがありました。 かなり長いです。 続きを読む
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

@hiroko_voice いえいえ、こちらのことはどうかお気になさらずに。今なされているツイッターでの呼びかけが、まさに長谷川さんご自身の意思表明であり、デモに対する抗議表明ですから、そのことも同じように私は尊重しています。

2012-01-21 17:16:01
高橋直樹 @izatate

@hiroko_voice @ke_1sato :議論も批判も必要ないですよ。無視すれば良いんです。シー・シェパードのようになると困りますが、有り得ませんw

2012-01-21 17:21:05
@hiroko_voice

@izatate @ke_1sato 「地元民」の感情として、それは無理です。頭では分かっていても、心は耐えられません。無視できる程度のことならば、初めからこんなことはしていません。これは私の悲しみの意思表明です。

2012-01-21 17:29:13
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

@hiroko_voice そう、だから長谷川さんの思いがそこに向かっているのもよく分かる。そのためにツイートされたんでしょう?私が心配をしていたのは、長谷川さんの思いが他の人から誤解されて、変に政治的な主張と一緒くたにされるのが忍びなかったからなんですよ。

2012-01-21 17:34:52

最後に、彼女の心からの訴えです。

@hiroko_voice

私の原動力は悲しみです。私の言葉は傷だらけの魂の叫びです。傷つけられた尊厳を守りたいのです。

2012-01-21 17:26:14
@hiroko_voice

【RT希望】憎しみの応酬からは何も生まれません。悲しみが広がるだけです。罵り合っても犠牲者の供養にはなりません。復興にも、原発や放射能問題の解決にも繋がりません。お互いに分かり合う道を模索できませんか。これ以上、悲しい涙は見たくないのです。 #3月11日脱原発より追悼を

2012-01-21 21:13:30
@hiroko_voice

自分の尊厳を守りたいからこそ、人の尊厳も守りたい。憎しみの応酬からは何も生まれない。ただ悲しみが増えていくだけ。私はもう誰かが悲しむ姿を見たくない。それだけなんです。

2012-01-21 19:38:03

@hiroko_voice氏が今回のツイッター上でのやりとりと、さらにその後のやりとりをブログで振り返ってます。

@hiroko_voice

@shinkaisame 連日の大論争を巻き起こした仙台3.11脱原発デモの件、Togetterまとめに載せきれなかった分や私の思いを記しました。この10ヶ月、被災者の一人として抱え続けた『心の叫び』です。|「助ける」ことの難しさ http://t.co/Ov85kP4J

2012-01-24 18:44:33

Hiroko's Voice 助けることの難しさ~3.11追悼式に向けて

一部抜粋

無意識の差別、そして偽善。
これらは浴びせられた者の心に少しずつ浸食し、やがて深い傷を残していきます。

震災を通じて、多くの被災者が感じた「心の距離」。
人々の間に深く刻まれた大きな溝が埋まる日はやって来るのでしょうか。

分かり合うことの難しさ。助け合うことの難しさ。
今回の騒動を通して、実にさまざまなことを学びました。
辛い思いもしたけれど、非常に得難い貴重な体験だったと思っています。

しかし、私の悲しみは癒されぬままです。
引き裂かれるような痛みを抱えながら、前へ進んでいくしかありません。
被災者は皆、歯を食いしばりながら懸命に生きています。

それは遠くから見れば美しく見えることなのかもしれないけれど…

いつか受け止めてもらえる日が来ることを願っています。

血を吐きながら飛ぶ鳥のような私たちを。

デモ主催者 遠藤氏 からの回答です。

@hiroko_voice

仙台3.11脱原発デモ主催者の遠藤さん (@unkoiro)から、私のブログへの返事が届きました。ぜひご一読ください。 http://t.co/2mYXx7Fe

2012-01-25 13:58:12

この文章に3.11にデモを行う正当性が見えません。

AlterNWCS 3.11集会デモについての回答

一部抜粋

僕達が向き合っているのは国の不正だ。国や東電、財界の結託によって行われた、今回の事件。その事件性について、改めて、ここで触れはしない。

昨年の9月、3.11の企画を決めた時、既に仙台市内中心部の主要公園は行政によって抑えられていた。それは行政による追悼式典のためと思われた。この1年の国、県、行政の進めてきたことを僕達は肯定するわけにはいかない。それは犯罪を肯定するにも等しいことだ。言うまでもなく行政とはその存在自体が政治そのものだ。

だからこそ、被災者でもある僕達による僕達のための追悼集会が必要だ。
僕達は、それを3.11に示さなければならない。

僕達の一連の集会デモはすべて、追悼を兼ねたものだ。

3.11にはライブ演奏も行われず、追悼集会、政治的声明の表明後、サイレント形式で、僕達はプラカードを持ち、静に市内中心部を行進する。それは誰を不愉快にさせるものではない。
政治的声明の内容は主にすべての原発の即時停止の要求、女川再稼働阻止、TPPに対する反対、被災者無視の復興政策に対する反対だ。

この後も議論は続いているようですが、妥協点は見いだせそうもありません。

遠藤氏はデモを行うことを撤回する意思はなさそうです。

果たしてそれでいいの?やる側、反対する側どちらもエゴかもしれません。けどね、人として、日本人としてなにを大切にすべきか、今一度考えようよ・・・

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