科学には誰にもわからんことがよーさんあって、また、世界中の誰かにはわかっても自分にはわからへんことや理解でけへんことがよーさんあって、自分が理解できることなんてほんのちょびっとやねんけど、それで当たり前なんよ。ここを下手に突っ込むと、詐欺師の思う壺や。
2012-02-04 02:48:47自分自身への自戒でもあるのだけど、私は科学的議論なるものに参加するのが怖い。私は意識の上でも実態でもエンジニアであり、科学者のそれではないのであって、どんなに自分を括弧に入れても、自分の政治性からくるバイアスを取り除くことはできないと思う。
2012-02-04 02:59:51なので、科学的議論を求められたとしたら、すみません、分かりません、と謝るしかない。だって、分からないものは分からないもん。もし、それが必要であれば調べるし勉強もするけど。
2012-02-04 03:01:48↓前述の五味先生
私(達)の温暖化対策の研究においては、政治的目標が当然のように反映されています。そもそも「対策」ですから目的的な研究であることは明らかですね。個人的な目標としては私の考える解決策を政治の現場で実行させたい、あるいは、政治の現場で採用されるような解決策を考え出したい、とも言えます。
2012-02-04 03:00:39修士で研究というものを始めたときからの私のお客さんは京都市、滋賀県、環境省、そして最近ではマレーシア政府。他のスポンサーは学振DC以外ではJSTとJICAですから、これで政治的でないはずがありません。なので私の、あるいはうちのラボから出る論文は、みな最初にその目的を宣言します。
2012-02-04 03:03:42このように五味先生のように、研究の動機をはっきりと言っていただいた方が、聞いている側が安心するわけです。それが、明らかではないのに、科学的議論を!とか言われたら、裏に何か意図があるのか、と疑うのは当然ではないのかな。
2012-02-04 03:03:56目的の議論はしますし、また、それが採用されるべきであると考える根拠は説明できます。が、社会がどう選択するかは、事実として、私たち研究者が決めるものではありません。またその意味で、私達の研究成果も方法・結果の両方において「選択肢を示す」範囲を出ませんし、現実的に、できません。
2012-02-04 03:12:30ある種の社会体制の下では研究者が同時にそのまま権力者でもあり得るのかもしれませんが、少なくとも私の関わってきた政策過程ではそういうことはありませんでした。日本でも、アジアの諸外国でも、です。
2012-02-04 03:16:06場合によっては、このように自分の研究の限界を示した方が良いのでしょうね。研究者にとっては自明でも、周囲からすると明らかでは事ともあるし、それを不安に思う人もいるのだろう。生命工学分野とか。
2012-02-04 03:18:39科学者ではない僕には、科学的態度なんて分からない。でも、科学的「ではない」態度はわかる。それはファインマンの指摘する「世界を学ぶことによって自らをたえず修正する必要を理解しようともせず,無知を維持するために盲目を維持する」態度だと思う。
2012-02-04 03:21:44先の引用はファインマンの「科学は不確かだ! 」という本にある。これを読むと、科学者が科学にどのように向かい合っているか、科学の応用をどのように考えているか、よく分かる。相手に科学的議論を!と求める前に一度読んでも良いのではないかな。 http://t.co/gzO3NeZl
2012-02-04 03:31:24「ファインマンの指摘する非科学的態度としての「世界を学ぶことによって自らをたえず修正する必要を理解しようともせず,無知を維持するために盲目を維持する」態度」の中で言われている「世界を学ぶことによって自らをたえず修正する」って、まさに私が生きていく上で必要としているものだなぁ。
2012-02-04 05:04:35.@gyaoooの総括だけでいくと、「素人は口だすな」って話だけで終わりそうなんやけど、「門外漢は黙っとけ」論やないんよね。ド本質は、「政治と科学は水と油やらから、真似したらあかん」って事なんやけどな。
2012-02-04 10:16:23真似したらあかんとまでは私は言わないけれど、科学者が政治について話す時は、科学者の顔は捨てるべきだということではないかな。科学者が科学者として社会とか人々の幸福とか言い出すと、疑似科学というより、もはや宗教だろう。
2012-02-04 11:53:46逆もうそう。政治家が科学について話すときも同じ。 RT @koichi1741: 真似したらあかんとまでは私は言わないけれど、科学者が政治について話す時は、科学者の顔は捨てるべきだということではないかな。科学者が科学者として社会とか人々の幸福とか言い出すと、もはや宗教だろう。
2012-02-04 12:02:05政治には「仮説の検証」ってアプローチは許されない。だからこそ、「合意形成プロセス」の差異が政体を規定するわけだし、だからこそ、政治家は常に「結果責任」を問い続けられる。 もし同じよう評価手法が科学に適用されてみ? 科学者可哀想すぎるw
2012-02-04 10:21:26