ライトノベル作家・扇智史のバレンタイン短編「灯火のローズヒップティー」

>> 扇智史 ライトノベル作家。2003年、大学卒業の年に応募した第5回エンターブレインえんため大賞の小説部門で『閉鎖師ユウと黄昏恋歌』が編集部特別賞を受賞。翌2004年5月、同作品でデビュー。代表作は『閉鎖師』(ファミ通文庫)シリーズ。 << pixiv Visual Storyにて『蒼井郷珠綺は脇役に恋をした。』連載中。 続きを読む
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バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

バレンタイン短編[灯火のローズヒップティー] #candle_tea

2012-02-13 20:48:13
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「呪文を唱えるんですね。わたしは死んだ方がいい、わたしに生きてる意味なんてない、わたしに存在価値はない」底の抜けたような晴れやかな笑顔で、久能みみ子は言った。ろうそくの火だけが灯る真っ暗な部屋に、俺と久能は向かい合って座っている。 #candle_tea

2012-02-13 20:49:05
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「その呪文が心に染みてきて、それでも自分が生きてるんだ、生きていていいんだと思えれば、気持ちが上向いて死なずにすむんです。それがわたしなりの、危機の切り抜け方です。生存なんたらって奴」パロディをあけすけに口にしない分別はあるらしかった。 #candle_tea

2012-02-13 20:50:33
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「きみはそんなこと考えないでしょうね。死にたいなんて思ったこと、ほんとうにはないでしょう?」「分からん。自分の頭に浮かんだ考えが、自分の頭の中そのままとは信じられんし」「意外とナイーブですね」「いいから早く、火消せば? 目が疲れる」 #candle_tea

2012-02-13 20:51:57
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

ささやかな炎が浮かび上がらせるのは、久能の微笑と、カップの中のローズヒップティー。血よりは透明で、夕暮れよりは赤いその水面が、うっすらと湯気を発しながらたゆたっている。暗がりの奥で、久能は口づけするようにそっと、火を吹き消した。 #candle_tea

2012-02-13 20:53:47
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真っ暗な部屋で、ローズヒップティーの酸味の強い香りが立ちのぼり、俺の鼻を刺す。久能の呼吸する気配が、やけに間近に感じられる。「そして、その地点、何もない底からなら、何でも出来るんです。犯すこと、奪うこと、狡くこの世をやり過ごすこと」 #candle_tea

2012-02-13 20:55:10
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

久能が闇の中で俺を見る。「こんな所を彼女さんに見られたら、大変ですね。ほんとに殺されてしまいます」「どうだかな」あいつもここしばらく、人を殺してはいないはずだ。そういえば、あいつは久能のことを覚えているだろうか? #candle_tea

2012-02-13 20:56:30
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

……どうして俺があいつを放って久能の部屋にいるのかといえば、今日が2月13日だから、というのが最も端的な理由だろう。 #candle_tea

2012-02-13 20:58:07
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

バレンタインの前日にあいつと同じ部屋で過ごすのは初めてのことで、それが何を意味するか気づいたのは、夜になってからだった。湯煎されたチョコの匂いが部屋に漂い始めたころ、あいつは不意に『ちょっと外出てて』と告げたのだ。 #candle_tea

2012-02-13 20:59:07
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

試験が終わった直後ともあって、チョコの準備にもかなり力を入れているようだった。事前に道具や生チョコを買いそろえていたことも知っていたから、内容を隠しておきたい心情というのは理解できた。毎年のこととはいえ、いや、だからこそ、だ。 #candle_tea

2012-02-13 21:00:34
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

俺はあいつの要望に素直に応じ、『1時間くらいで戻るから』と言い残して部屋を出た。あいつはすまなそうにしていたが、実は、ちょうどよかった。濃密なチョコの匂いは、俺には少々こたえた。あんな空気に包まれてチョコを作っていたなんて、初めて知った。 #candle_tea

2012-02-13 21:01:57
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

凍りつきそうなほど冷えた寒空に放り出され、俺は行くあてもない自分の孤独をも知ってしまった。近所の店はおおむねシャッターを下ろしていたし、晩飯を終えた腹には牛丼も入りそうになかった。知人に事情を話しても『爆発しろ』と言われて追い払われるに決まっていた。 #candle_tea

2012-02-13 21:03:25
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

ひとまず、マンションを出た所の自販機で缶コーヒーを買い、それで手を温めながら近くのコンビニまで歩くことにした。立ち読みでもしていれば時間はつぶせるだろう。そうでなくても、無為には慣れている。ぼんやり携帯をいじっていたって、追い出されはするまい。 #candle_tea

2012-02-13 21:04:59
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

夜風はコートやマフラーをあっさり突き抜け、俺の体を芯まで冷やした。道の真ん中に突っ立っていたら、そのまま凍結しそうだった。空は晴れて、点々と星が見えた。雪をこよなく愛するあいつは残念がるだろうが、俺はすかすかの空も嫌いじゃない。 #candle_tea

2012-02-13 21:06:19
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

住宅街に明かりはまばらで、コンビニだけが異物めいた白い光を放っていた。これでも節電しているはずだが、夜道にあってそれは通り魔よろしく殴りかかってくるようだった。あっという間に冷めたコーヒーを飲み干し、俺はコンビニへ歩を進め、「あっ」名前を呼ばれた。 #candle_tea

2012-02-13 21:08:02
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「ん?」俺はあまり警戒せずに振り返った。殺人鬼も活動していない平和な街で、怪しまれることもないだろう。事実、そこにいたのは、パーカーを着て身を縮めた、小柄な女性だった。「わたしのこと、覚えてないですか? 新歓で隣に座った、同じクラスの」 #candle_tea

2012-02-13 21:09:26
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「……えっと」まったく覚えていなくて俺は首をひねった。あまり他人に興味はないし、4月のことなんか忘れてしまった。彼女はくすくす笑って、「だと思いました。久能です。久能みみ子」彼女はそう言って、きょろきょろとあたりを見回した。 #candle_tea

2012-02-13 21:11:07
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「今日は彼女さんは? いつもご一緒のようでしたが」「そんな日もあるだろ」何せ寒かったので、俺は彼女を適当にあしらってコンビニに入った。すぐ後ろに、久能もついてきた。小首をかしげ、「ちょっと、買い物につき合ってくれません?」 #candle_tea

2012-02-13 21:12:32
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「――何で俺が」「暇で死にそうって顔してましたから」まさにその通りだったし、1時間ほどは根無し草の俺には、断る理由もなかった。どうも胡散臭い気もしたが、今更それで腰が引けるほど、俺も自分を大事にしてはいない。「まあ、暇で人は死なないけどな」 #candle_tea

2012-02-13 21:14:08
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「そうですか? 退屈のせいで死んだりする人、殺したりする人、いっぱいいそうですけど」「俺は別に。ずっと退屈だったけど、それで死んだり殺したり殺されたりしたことないし」「いつか死にますよ」「忙しくても充実してても死ぬよ」 #candle_tea

2012-02-13 21:15:52
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「……的確ですね。心が晴れます」久能があっけらかんと笑うので、俺はため息をついた。「言葉遊びだよ、あんまり真に受けないでくれ」このところ、自分は冗舌になったと思う。口先ばかりのなまくらな言葉は、以前の俺の投げやりな沈黙より鈍く重たく、路上に落ちるだけ。 #candle_tea

2012-02-13 21:18:06
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

なのに、久能はまた笑う。「真実でなくても、いい言葉ってあるものでしょう?」「そんなもんかね。嘘も真実も等しく虚構で、始末に負えない」「そういう諦めも、嫌いじゃないですよ」この時にはもう、俺は彼女のペースに巻き込まれていたんだろう。 #candle_tea

2012-02-13 21:19:28
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

調子を戻すように、俺は訊ねた。「で、何を買うわけ」「ケーキです」「プレゼントか何か?」「お誕生日なんで」にっこりと、彼女は幸せそうな顔を作った。「自分の?」「おばあちゃんのです。これから部屋で、お誕生会を」「ふうん」 #candle_tea

2012-02-13 21:20:58
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

バレンタインの前日が誕生日とは、幸運なのか不幸なのか。「なら、そのおばあちゃんと一緒に来ればよかったのに」自然な問いのつもりだったが、彼女はかすかにうつむき、「……おばあちゃんは、ちょっと」フェイドアウトする声が胸に刺さり、「悪い」 #candle_tea

2012-02-13 21:22:19
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「いえ。お年寄りですし、体の故障は自然なことですから」久能はあっさりと笑ってみせ、すたすたと店の奥の冷蔵コーナーに向かった。不幸自慢になりそうなものだが、慣れてしまうと何も感じなくなるのだろうか。彼女は棚の隅から、小さなショートケーキを手に取った。 #candle_tea

2012-02-13 21:24:00
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