ライトノベル作家・扇智史のバレンタイン短編「灯火のローズヒップティー」

>> 扇智史 ライトノベル作家。2003年、大学卒業の年に応募した第5回エンターブレインえんため大賞の小説部門で『閉鎖師ユウと黄昏恋歌』が編集部特別賞を受賞。翌2004年5月、同作品でデビュー。代表作は『閉鎖師』(ファミ通文庫)シリーズ。 << pixiv Visual Storyにて『蒼井郷珠綺は脇役に恋をした。』連載中。 続きを読む
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バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「なるほどね」うなずいて受け流す俺の態度に、久能はあきれたようにため息をついた。「ののしり甲斐のない人です。まあ、あなたのようなのでも、いないよりまし」ローズヒップティーのカップを軽く撫でて、「ケーキ、食べますか?」 #candle_tea

2012-02-14 21:18:40
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「ああ」「せっかくですから、ろうそくもつけましょう。火を消すのはわたしがやります」無造作に袋から取り出したショートケーキをこたつに並べ、彼女はふたたび席を立って台所の戸棚からろうそくとマッチを持ってきた。あらかじめ準備していたらしい。 #candle_tea

2012-02-14 21:20:03
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「ライターが高くて使いづらくなったものですから」ぶつくさ言いつつ、久能はマッチを擦った。マッチなんてどこで買うのか俺は知らないが、細い手の中で燃える炎には確かな現実感があった。久能の瞳にその色が映ると、荒涼とした部屋が、一瞬だけ蘇生したようだった。 #candle_tea

2012-02-14 21:21:29
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ショートケーキに無造作に突き刺された2本のろうそくに、火が灯る。久能は立ち上がって、蛍光灯を消した。テーブルの上で、小さな炎と、夕焼けのような色の水面が揺れる。久能の息づかいで炎がかすかに揺さぶられ、彼女の面差しを艶めかせた。 #candle_tea

2012-02-14 21:23:20
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その微笑みで、彼女は言った。「部屋ごと燃やしてしまってもいいか、と思ったんです」告白だった。つかのまの沈黙、久能の赤い瞳を見つめる。俺と顔を合わせたという4月からこちら、彼女はどんなふうに生きてきたのか、その中で何を思ったのか。 #candle_tea

2012-02-14 21:25:16
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

へたな想像は彼女を怒らせるだけで、かといってじかに問いただすつもりもなかった。揺らめく彼女の微笑みには、決定的な何かを乗り越えたか、あるいはそれに押し潰されたような、うつろな強さが刻印されていた。俺に言えることなど何もありはしない。 #candle_tea

2012-02-14 21:26:47
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「けど、燃やしたってしょうがないって思って。火をつけるより、もう少しましな方法を探して、わたしは考えて、考えて、ようやくひとつの結論に達したんです」久能は満面の笑みで、つぶやいた。「呪文を唱えるんですね」 #candle_tea

2012-02-14 21:28:06
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

――そうして、真っ暗な部屋で、俺と久能は向き合う。何が起きるということもない。彼女はただ、俺に呪文をぶつけただけで、俺はそれをまっすぐに跳ね返すだけ。久能のからっぽの笑顔に響いたかどうかは、分からない。 #candle_tea

2012-02-14 21:29:49
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

久能が立ち上がり、部屋の明かりをつける。ちかちかまたたく蛍光灯が、無機質な部屋の景色を照らし出すと、俺たちの目の前にはコンビニのケーキがある。蝋が少しだけ垂れてしまったが、食べられないほどではない、中途半端な魔法の残骸だった。 #candle_tea

2012-02-14 21:31:28
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手元のローズヒップティーは、知らないうちに冷めていた。この冬は、カップ一杯のお茶では耐えがたいほどに寒い。底の方に赤みがよどんで、博物館に飾られた鉱物のように見えた。「……やっぱり帰る。邪魔した」俺は立ち上がる。久能は止めなかった。 #candle_tea

2012-02-14 21:32:55
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台所のシンクに、やかんが放置されている。俺はふと、リビングを見やる。ケーキの角をフォークで切り取っている久能に、声をかけた。「この部屋、寂しすぎると思う。こんなとこに住んでるから、面倒なこと考えるんだよ。昔の俺もそうだった」 #candle_tea

2012-02-14 21:34:40
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ケーキに刺したフォークを止めて、久能はこちらを見た。ぼんやりとした、力のない瞳。「なら、何が必要だと思います」俺は部屋を見渡し、カーテンの閉じた窓と、クローゼットと、本棚を順に眺めて、「……除湿器とか」「除湿器!」ぷ、と、久能は噴き出した。 #candle_tea

2012-02-14 21:36:42
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「いいですね、除湿器!」久能は破顔した。うつろで貼り付いたような笑いではなかった。目尻にしわを寄せて、右の頬だけを思い切りゆがめる、不格好で、けれど人間くさい笑いだった。「ありがとうございます、きみに来てもらえてよかった」目尻に涙がにじんでいた。 #candle_tea

2012-02-14 21:38:07
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「……じゃあな」俺はただわずかに頭を下げ、久能の部屋を出た。ちょうど隣室の住人とはち合わせる。ぐずる子どもを連れた、ジャージ姿の女性。会釈する俺をにらみ返して、彼女は自室に消える。肩をすくめて携帯を取り出し、『そろそろ帰って大丈夫か?』 #candle_tea

2012-02-14 21:40:06
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『おっけー』メールへの返答は早かった。ひとりうなずいて、俺も寒空に歩き出す。凍えそうな風の吹く橋をもう一度渡り、自分の部屋に戻ると、ドアの向こうで彼女が出迎えてくれた。「なんかごめんね、追い出しちゃうみたいになって」 #candle_tea

2012-02-14 21:42:34
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チョコの匂いのまだ残る部屋に、俺は安らぎを覚える。クッキングヒーターの上で、ケトルが音を立てている。「いや、別に」「雪降ってた?」「降ってない」「そ」そんな会話をしながら、俺はコートを脱いで、「久能って、覚えてるか? 同じクラスの」 #candle_tea

2012-02-14 21:43:58
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「ああ、みみ子ちゃん?」世渡りのうまい彼女は、他人のこともよく覚えていた。「会ったの? 変わったとこあった?」「いや、前の久能からして覚えてないし」「……それもそうだよね」彼女は苦笑して、「ちょっと身内で話題になってて。そっか、生きてたのか」 #candle_tea

2012-02-14 21:45:08
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「話題?」「後期の授業でちっとも見かけないし、試験にも出てなかったみたいだからさ。留年か退学か、へたすりゃ死んでるかも、って」「まあ、元気ではあったよ。よく笑ってた」「そうなんだ?」彼女はちょっと驚いたそぶりで、「内気で気弱そうな子だったけどな」 #candle_tea

2012-02-14 21:46:37
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眉をひそめる。さっきまでの久能の印象とは食い違う。が、「誤差の範囲内だろ。試験出ないほどのことがあったら、キャラも変わる」「そうだね。変わっても元気ならいいか」少し薄情な彼女に俺もうなずき、キッチンシンクから冷蔵庫へと、視線を順に流す。 #candle_tea

2012-02-14 21:48:18
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冷蔵庫はこちらに来る時に買った小さいもの。彼女の冷蔵庫は、もちろん実家だ。「チョコ、出来はどうなの」「明日のお楽しみ。気合いは入れたよ」こつん、と冷蔵庫上段の扉を叩いて彼女は自信満々。「寒かったでしょ。そろそろお湯沸くし、コーヒーいれるね」 #candle_tea

2012-02-14 21:50:05
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うなずいて、俺は湯気の立つキッチンからリビングへと移動する。最近だいぶ雑然としてきた部屋は、狭いながらも居心地はいい。テレビとゲーム機、パソコンと本棚、忘れ去られたアロマキャンドルと、それから除湿器。冬には使わないが、実用的だ。 #candle_tea

2012-02-14 21:51:53
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

夏の湿気は、暑さと同時にものを腐らせる。それがどれほど怖いことかよく知っている俺と彼女は、6月頃に除湿器を買って、ずっと重宝している。次の夏も、ことによればその次の夏も、切り抜けられるかもしれない。 #candle_tea

2012-02-14 21:54:04
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「ねえ」俺の脱ぎ捨てたコートを手にして、彼女が訊いた。「薔薇の匂いがするよ」「ローズヒップ」「みみ子ちゃんにもらったの? 似合わないなあ」彼女は肩をすくめて、コートをハンガーに引っかけると、コーヒードリッパーに湯を注ぎ始めた。 #candle_tea

2012-02-14 21:55:53
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コーヒーがローズヒップを駆逐する。そのうち俺は久能をまた忘れるし、久能は久能で今夜のことなど忘れ、例の呪文を唱えるのだろう。そして犯し、奪い、やり過ごす。それが彼女の取れる方法なら、そうすればいい。 #candle_tea

2012-02-14 21:57:21
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

俺はもう一度、冷蔵庫に目をやった。死体とチョコを保存するなら、冷蔵庫に限る。でも、湿気がなくて凍えそうに寒い部屋も、そう悪くはないだろう。干からびた死体なら、腐らないかもしれないし。 #candle_tea

2012-02-14 21:57:55