作家・高橋源一郎さん「午前0時の小説ラジオ」・「あの日」からぼくが考えてきた「正しさ」について

東日本大震災以来、高橋さんが考えてきた「正しさ」についての連続ツイート。
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高橋源一郎 @takagengen

「正しさ」⑲ すると親鸞は「そうだろう。殺すべき機縁があれば、人間は1000人でも殺すことができる。けれども、殺すべき機縁がないと一人だって殺せない。それが人間というものなんだ」と答えたのだった。

2012-03-04 00:40:18
高橋源一郎 @takagengen

「正しさ」⑳ その頃、ふつうの人びとには悩みがたくさんあった。いまもだけれど。現実が苦しいからこそ、死んで浄土に行くことが大きな夢だった。けれど、どうすれば、浄土に行けるのだろう。善いことをたくさんする? 難しい仏教の哲学を勉強する? 苦行する? どれもふつうの人には無理だった。

2012-03-04 00:42:47
高橋源一郎 @takagengen

「正しさ」21・生活が苦しい庶民は、ふつうの意味では「悪い」こともしなければならなかった。難しい仏教の哲理なんか誰も教えてくれなかったし、そもそも、字すら読めなかった。親鸞が相手にしたのは、そういう一般人だった。彼らを救わなければ、仏教に意味なんかないと彼は考えたんだ。

2012-03-04 00:44:49
高橋源一郎 @takagengen

「正しさ」22・だから、親鸞は、人間というものはやむにやまれず「悪い」ことをしてしまうものだといった。でも、同時に、そのことを恥ずかしく、つらくも感じて、思わず、意味もわからず、「念仏」を唱えたりする。それでいいのだ、といった。人間というものはそれ以上でもそれ以下でもないのだと。

2012-03-04 00:47:16
高橋源一郎 @takagengen

「正しさ」23・当時、親鸞の回りには、深い信仰を持つ高僧たちがたくさんいた。でも、親鸞は変わっていた。他のエラい坊さんはどうかしらないが、私はグラグラしている。浄土に行くことが嬉しいと思えるときも思えないときもある。仏の教えを信じているときも、なんか信じられないときもある。

2012-03-04 00:49:16
高橋源一郎 @takagengen

「正しさ」24・でも、ふつうの人間はそうじゃないだろうか。そういう人間を相手にするのが宗教じゃないのか。なにか絶対に「正しい」教えがある、って変じゃないだろうか。親鸞は、不信仰の人、「悪い」ことをしてしまいそうな人、いや、宗教から離れそうな人たちとの絆を絶対に切ろうとしなかった。

2012-03-04 00:51:38
高橋源一郎 @takagengen

「正しさ」25・アーレントの「正しさ」は、最終的に、弱い人たちを「向こう側」に追いやる。その「正しい」者たちの共同体には、「正しくない」者は入れない。悲しいことに、大半の人間には入る資格がないのである。アーレントほどの厳密さでは、ふつうの人には「正しい」行いなどできないのだから。

2012-03-04 00:54:12
高橋源一郎 @takagengen

「正しさ」26・親鸞は、アーレントとは逆に、「悪」と「善」の距離を縮めた。もちろん、親鸞は「悪い」ことをしていいといったのではない。そのようにせざるをえない人間という生きものの運命を、深く知るべきだといったのである。少しだけ「悪く」、少しだけ「善い」、そういう生きものなのだと。

2012-03-04 00:55:57
高橋源一郎 @takagengen

「正しさ」27・親鸞の目の前で、仏教の「正しい」教理をめぐって、血で血を洗う闘争が続いていた。「正しさ」をめぐって戦っていたのは、仏教だけではなかった。そして、おそらくは、千年の後のいまも、同じことは続いているのである。

2012-03-04 00:57:48
高橋源一郎 @takagengen

「正しさ」28・「正しく」なければ「間違っている」のか? そんなことはない。「どちらが正しい」か決めなければならないのか? その間にこそいくつもの回答が眠っているのではないだろうか。ぼくたちの間を分断しようとするもの、それがどのようなものであれ、それが「正しい」とは思えないのだ。

2012-03-04 01:00:31
高橋源一郎 @takagengen

「正しさ」29・一度呟いたことがある。鶴見俊輔さんは、日本の歴史の中で教師たちが唯一光り輝いていた時期が、一度だけあると。それは、昭和20年、敗戦直後のことだった。教師たちは、自分たちが教えていたものがすべて「間違い」だと生徒の前で認めた。確かに、中身は国が決めたものだ。

2012-03-04 01:02:46
高橋源一郎 @takagengen

「正しさ」30・けれども、戦争への道を教えたのは、「私」だと先生たちはいった。「正しさ」を失って、先生は生徒の前に立ち尽くした。そこに、上下の関係も、優劣の関係もなかった。なにが正しいのかわからない、という事態を前にして、先生と生徒は、ひとりの人間同士として向かい合っていた。

2012-03-04 01:04:55
高橋源一郎 @takagengen

「正しさ」31・やがて、「民主主義」という新しい「正しさ」を教えることになり、かつての「先生」と「生徒」の関係が復活した。すべては元に戻ったのである。「正しい」知識を生徒に教える先生という立場、それを黙って聞く徒という立場とに。今晩は、ここまでです。聴いてくださって、ありがとう。

2012-03-04 01:09:01