NOVA7収録作「リンナチューン」サイドエピソード 扇智史『リンナバイト』

電子書籍サイト「pixiv Visual Story」にて 扇智史『蒼井郷珠綺は脇役に恋をした。』連載中 http://pivist.net/products/detail.php?product_id=16
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バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

NOVA7収録作「リンナチューン」サイドエピソード[リンナバイト] #rinnabite

2012-03-07 20:51:40
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

雨降りの中で撮ったログは、形を変える。降りそそぐ雨や濡れたレンズ、映像を乱す要素の影響は記録時に補正される。それがあまりに高性能だから、雨の日のログも快晴と遜色ないほど鮮明で、かえって、記憶と結びつかない。 #rinnabite

2012-03-07 20:52:41
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

いくばくか霞んだ追憶とログの不確かさは重なり合って、おぼろげなまま脳裏に漂い続ける。 #rinnabite

2012-03-07 20:54:05
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

梅雨まっただ中の6月のある日、鈴名に見せられた歯形付きのあんパンのこともそうだ。日替わりで鈴名に来ていた好みの波がつぶあんだったかこしあんだったか、それがどうしてもあいまいで、ぼくはそんな単純なことさえ忘れてしまっている。 #rinnabite

2012-03-07 20:54:47
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「食べる?」と、彼女は傘の下からそれを差し出した。「いらないよ、そんな食べかけ」ぼくはさすがに苦笑いして首を振った。鈴名の残したものだから別にいただいてもよかったけど、雨に濡れてしまったのは致命的だ。鈴名自身、それに気づいて眉をひそめた。 #rinnabite

2012-03-07 20:56:18
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「……捨てるのはもったいないよねえ」鈴名が迷ったのは1秒だけだった。伝統的な3秒ルールを適用すれば無罪なので、彼女は遠慮なくパンをもくもくと咀嚼する。とはいえ、その小さな口には、ほんのちょっとしか入らない。食べるのは長くて、少量で満足する、得な体だ。 #rinnabite

2012-03-07 20:58:04
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

雨音と、水たまりを踏む靴音が鳴る。左手に傘、右手にスマホ、ぼくは無言で鈴名の横顔を撮る。相合い傘をしないのは、近すぎるとうまくログを撮れないから。鈴名の頭の上で揺れるリボンの動きは、目で見るよりいくらか鮮やかに画面の中におさまる。 #rinnabite

2012-03-07 20:59:29
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「あのさ」ぼくはタッチパネルをなぞって、一週間ほど前のログを呼び出す。薄曇りの日だったから、鈴名の肌はうすく紗をかけたように暗く、そして彼女の横顔の奥に、もうひとり別の笑顔がある。「湯河と、いつになったら仲直りするの?」 #rinnabite

2012-03-07 21:01:03
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

他の時ならひとことで『しないよ』拒絶されるに違いなかった。想像するまでもなく、昨日のログにその光景が残っている。彼女が黙っているうちに、すこしでも言葉を積み重ねられたら、鈴名も態度を軟化させてくれるかもしれない、という、卑屈な打算だった。 #rinnabite

2012-03-07 21:02:47
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「別に、ふたりっきりで話す時間が増えるのはいいんだけどさ。湯河を仲間はずれにしてるみたいじゃないかな? それはなんだか」ぼくが言い終わるより先に、鈴名はパンを飲み込んだ。時間切れだった。「いいじゃない、ログでも再生しとけば?」 #rinnabite

2012-03-07 21:04:01
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

苛烈な鈴名の物言いに、ぼくは眉をひそめる。「自分は再生しないからいいってこと?」普段から、鈴名はめったにログを見なかった。いつもぼくに撮影されるばかりで、彼女が自分でぼくや他の誰かのログを撮っている様子は、記憶にも記録にもない。 #rinnabite

2012-03-07 21:05:25
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

『お互いに撮り合ってたら、カメラを構えてる姿しか思い出せなくなっちゃうよね』というのが、鈴名の言い分だった。それで、ぼくは彼女を被写体にしてログを撮り続けた……んだったと思う。それとも、僕が彼女を撮り続けてたのが先だったか。その記憶も不確かだった。 #rinnabite

2012-03-07 21:07:05
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

不愉快そうに雨降りの景色を睨む鈴名の姿に、ぼくはあらためてカメラをフォーカスする。解像度の高い画面の中で、その横顔はいっそう鮮やかで、彼女の感情を透かし見るような気分になり、つかのま目をそらす。ガードレールの向こう、雨水を跳ねて自動車が走り去る。 #rinnabite

2012-03-07 21:08:16
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

駆け抜ける車窓には立体投影ディスプレイが貼られていて、時速100キロ近くで、拡張表示のデコレーションを路上にまき散らす。がらんとした郊外の車道には、屑そのものの拡張さえ過剰にきらびやかに映る。ぼくらの憧れや諦めを象徴する、身のない装飾。 #rinnabite

2012-03-07 21:10:11
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「風見は」鈴名の声に向き直る。ぼくがよそ見している間も、スマホのカメラは鈴名を撮っていてくれているはずだ。彼女はどんな顔をしていたろうか。「積理ちゃんと3人で帰りたいの? それとも、ケンカが嫌なの?」鈴名の質問は端的で、でも難しい。 #rinnabite

2012-03-07 21:11:58
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「そんなの、簡単には割り切れないよ」「じゃあ、あたしもそう簡単に風見の言うこと聞けない」屁理屈にもなっていなかった。でも、普段はマシュマロのようにゆるい表情が、硬くこわばっている。まっすぐ前を向いて、彼女はパンを口に運ぶ。 #rinnabite

2012-03-07 21:13:56
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「待てって鈴名」ここで会話を打ち切ってしまえば、また元の木阿弥だ。「せめて何があったか聞かせてよ。でないと、鈴名がどうしたいか分からないし、ぼくも決められない」鈴名は手を止め、ちょっと目を伏せて考え込む。――と、ふいに彼女は横道に足を踏み入れた。 #rinnabite

2012-03-07 21:15:18
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

路地は雨空の下ではやけに暗い。鈴名にカメラを向けると、灰色に煤けた路上を、目障りに壊れた空間が覆い尽くしている。不安定なノイズと重なり、鈴名の佇まいもどこかおちつかなげに見えた。傘が壁に引っかかって、ちくちくと音を立てた。 #rinnabite

2012-03-07 21:17:04
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

声こそ出さなかったものの、たぶんぼくは間抜けな顔をしていたろう。スマホの筐体が表情を隠していてくれてよかった、と思ったのもつかのま、鈴名がひょいと傘を投げ捨て、ぼくの傘の下に潜り込んでくると、カメラを持ったぼくの右手を横に押し退けた。 #rinnabite

2012-03-07 21:18:27
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

「お、おい」そんな強引にしなくても、キス顔なんてログに残さない――つもりだったけど、数日後にはあんな姿態を撮ってしまうんだった。人と人との間には、何が起きるかなんてわかったものじゃない。 #rinnabite

2012-03-07 21:20:06
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

鈴名の大きなリボンが目の前で揺れる。背伸びした彼女のほのかなシトラスの香りが、雨の匂いに混じってぼくの鼻をくすぐる。ひとつの傘の下、彼女を拒む理由はない。ぼくがまぶたを閉じると、彼女の唇がぼくのそれに触れた。 #rinnabite

2012-03-07 21:21:58
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

はじめは啄むようにおずおずと、それからぶしつけにぼくの唇の間を舌で侵略してくる。口の中に染みこむ、人工的で甘すぎるキスの味。 #rinnabite

2012-03-07 21:23:07
バーチャル後方見守り女/扇智史 @o_g_s_t_

鈴名の右腕は、ぼくの背中に回り込んで、ふたりの体重をひとつにしようとするみたいにきつく抱きしめてくる。ぼくの右手はつかまれたまま、左手は傘を持ったまま、為す術もない。もしも鈴名がしなだれかかってきたら、ぼくは苦もなく押し倒されてしまったろう。 #rinnabite

2012-03-07 21:23:54