「大学は知の拠点たり得るか」~PRIMEシンポまとめ
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小山「現在している仕事は、放射能汚染マップ作り。汚染の現状も分からないのに計画は立てられないはず。砕石の汚染もわかっていたことなのに、これまで調査がされてこなかった。発想が逆。計画が先にある。」
2012-01-29 14:56:27小山「当初の放射線量の測定も教員のボランティア。除染をやっている市民も、危険を回避しようとして自分が被曝しながら作業をしている。補償はない。中通りはそういう状況」
2012-01-29 14:58:52小山「3つの損害。1)フロー 農産物、作付け出荷制限の実害。いま議論しているのはここだけ。フローの損害賠償は県全体で1000億ぐらいでしかない。重要なのは2)農地、施設といったストック、そして3)社会関係資本。地域ブランド(飯舘牛、伊達地鶏とか)、文化資本、コミュニティ」
2012-01-29 15:04:12小山「風評被害について。このことばは間違いだと思う。生産者、消費者双方が被害者だが、風評被害というと消費者が加害者になってしまう。この対立は不幸。きちんとした調査がまず必要。現在は正規分布していないのにサンプル調査をしている。その状態で安全というのはおかしい。」
2012-01-29 15:08:47小山「良心的な生産者ほど疑問を感じている。メディアは『農家が売りたがっている』『消費者センシティブすぎる』という対立を煽るだけ。まず地域の汚染状況を調べる必要。いまは順番がおかしい。」「なにかあったときに計れるという体制作り。それが安心につながる。」
2012-01-29 15:14:23小山「時間がないので結論。伊達市小国でマップつくり。300人居住。2kmメッシュのマップを文科省つくってる。だが、空間線量が高いのは、100mメッシュでやってみると、そのうちのほんの一部。これでは除染も非効率。だが、政府も自治体も100mメッシュは嫌っている。」
2012-01-29 15:17:52最後は、仁平典宏さん(法政大学社会学部、2011年4月より大学の多摩ボランティアセンター長)。専門は社会学。『「ボランティア」の誕生と終焉〈贈与のパラドックス〉の知識社会学』(名古屋大学出版会・2011年)などの著作あり。報告タイトルは「3.11後の大学とボランティア~何を見ようとしなかったのか~」。
仁平「現在大学のボランティアセンター長。しかし福島にはかかわってきていない。自分としては、研究者、教員、学生を送り出すセンター長、などのかかわりがある。南三陸にボランティアにも。できることが少なくて、無力感も募った」
2012-01-29 15:23:07仁平「研究者として。陸前高田に関わっている人に、何が必要かと尋ねたら、ものはいらないから、知恵をくれといわれた。連合チームを作ってこの間関わってきた。仮設住宅での聴き取り。行政系列で話が進むところへのカウンターのような感じ。住民の意見の集約という側面」
2012-01-29 15:24:55仁平「今回また集落がバラバラに仮設への入居がすすんでいる。聞き取りしていくとそれに対する反対意見が出てきた。そのほか、陸前高田でも周辺部は、復興計画の空白地区になってしまっている。その部分の意見集約もしている。」
2012-01-29 15:26:56仁平「この間の大学をめぐる動き。ボランティアの単位化が文科省から通達。被災学生の経済的支援。被災地支援として募金、ボランティア派遣。貢献競争になっている。『被災地を支える学生を支える仕組み』にしていこうと。法政では大学全体ではなく、学生・教員・ゼミが個別に動く」
2012-01-29 15:30:30仁平「学生自身もボランティア志向。はがゆい思いをした学生も多かったようだ。ボランティアのしにくさがあった。まず空間的障壁。今回は三陸などが交通が途絶。福島も低空飛行。」
2012-01-29 15:33:11仁平「心理的障壁。ボランティアへのシニカルな視線。いきたいのにいけない側からのバッシングもあったか。〈出来事〉に十全に関われない。被災地では100万単位で求められていた。」
2012-01-29 15:34:23仁平「被災地出身の学生が休学してニーズ把握。次の二つにしぼる。被災児童館支援(宮城)。写真洗浄作業。「家族が喜んでくれるから」ではない。(うけとる気分になれていない)そうではなくて、「その人が生きた証」として」
2012-01-29 15:42:35仁平「このふたつは、忘れることの支援と忘れないことの支援。現在も活動は継続中。ボランティアに批判的な層からの問題提起もでている。『震災ボランティアってマジ必要?』→人災の側面から目をそらさせ、避難的に考えないようにしている」
2012-01-29 15:44:32「避難的」→「批判的」です。
仁平「都市からボランティアにいくだけでは届かないもの。都市中心の政策の見直し。津波や原発事故の前から地方は疲弊していたことが見逃されている。」
2012-01-29 15:46:31仁平「東京都は福島からの自主避難者をどうしたか。法の適用外ということで、援助をしないボランティアもさせない。まず法をこじあけないと、ボランティアがそもそもできないこと」
2012-01-29 15:48:01コメンテータ石井「放射線の知識はもっていた。だからこそ震災後不安になった。逃げると逃げ続けなければならない、負のスパイラルがある。」「小山さんと一緒にチェルノブイリに行ったが、社会環境も異なるので、まず福島の状況がわからないと比較もできない。」
2012-01-29 15:57:49石井「二本松でかかわってわかったこと。チェルノブイリでこうだった、と思ったら、測定してみるとそれほど移行していない。現地で初めて分かったことが多い。」「東京では客観的リスクが低いのに、ストレスを感じているひとが多い。福島では対処するすべを身につけたりも」
2012-01-29 16:00:31石井「阪神淡路のときに専門家が何をしていたか。地質の人は、翻訳や地図上に被害をマッピングとか。98年頃にきいた話。微妙に専門と違うことをして『貢献』している。」「地域計画、復興計画も自分たちが関わることが必要。自分が主体となるプロセス」
2012-01-29 16:04:54