市民に開かれた哲学とは何か:哲学カフェ VS 哲学道場
極論を控えてほしいというのは、市民にひらかれた哲学を目指すなら実は矛盾だよねぇ。ついてこれないひとをついてこれないままにしちゃうのはたぶんまずい。
2010-06-12 03:06:55仮定の話であることは承知しておりますが、一応誤解があるとまずいので。現状、「阪大は市民に対して敵対的である」という立論をしている人は居ないと思います。 RT @goodmad だから阪大が「市民」(私はこの概念をよく知らないが)に対して敵対的だとしても(それが真だとしても)
2010-06-12 03:21:54何だか、議論が具体的な落し所に着地しかけている気がして、個人的には残念。一回参加しただけで全てを語るなんて、どだい無理があるのだけど、「たまたまある回のまとまりが悪く、一部の参加者が不満をいだいた」という話に落すのは単純すぎやしないか。
2010-06-12 03:32:09ぼくは、そこには哲学カフェの哲学と、哲学道場の哲学との、明白な相違のある気がして、その「異質さ」をあえて表面化してみることは、どちらに対しても有益なことだと思った。だから、最初から一貫して「どこが哲学なのですか、どうして哲学なのですか」と尋ね続けているのです。
2010-06-12 03:37:10ああ一点注意ですが、ぼくは当初より「哲学道場の一参加者」という立場だけから発言し続けています。「哲学道場の哲学はこれだ」とか、「哲学道場を代表して」みたいなことは一切考えておりませんので、その点は重ねて誤解なきよう。
2010-06-12 03:39:47.@miurata 先日はお世話になりました。まず、ご多忙の中、初参加者の度を越した批判に対してわざわざ応答下さったこと、本当にありがとうございます。無視されて当たり前の態度だったと思っています。今後とも、ご面倒でしたら好きなタイミングで打ち切っていただいて構いません。
2010-06-12 03:49:55.@miurata 当方には非常に本質的だと思われる点に言及されておられるので、お答えします。「配慮の欠けた」を括弧で強調したのは、特に卑下や居直りの意図があったのではありません。それどころか、まさに「配慮を欠く」ということに対する態度が、当方の批判の眼目だったと考えています。
2010-06-12 04:00:01.@miurata 確かに、哲学カフェは「配慮」に充ちていました。「癒し/ケア」的なものと言い換えることもできます。「絶対に人を傷つけないように」「どんな人にも分かる言葉で」という周到な配慮の行き届いた空間だと感じました。そのことを、ぼくは「無言の圧力」と表現したのです。
2010-06-12 04:07:15.@miurata それは、哲学カフェの〈コード〉に従う方々には、暴力の排除された居心地の良い空間に感じられたと思います。ですが、その文脈から完全に外部の人間には、その「配慮」自体がある意味での「暴力」に感じ取れるわけです。むしろ哲学的な言葉の芽を摘み取るもののように。
2010-06-12 04:13:49.@miurata 逆に、哲学カフェの〈コード〉を居心地良く感じられる方には、哲学道場の「配慮を欠いた」進行は暴力的だと感じられると思います(哲学道場はご存知ないでしょうが)。そこでは、批判は容赦ないですし、発言が遮られることも日常で、殆んど進行というものがありません。
2010-06-12 04:19:39.@miurata ぼくの「配慮を欠いた」批判は、まさに〈こちらのコード〉の実演だったわけです。案の定、三浦さんは、そこに暴力的なものを感じ取られた。全く同様に、〈そちらのコード〉に対して、ぼくは暴力的なものを感じました。このことは、ただの無益な対立だとは思いません。
2010-06-12 04:27:16.@miurata そんな「配慮を欠いた」進行で、前提知識ゼロの素人を集めて、哲学道場は立派に「哲学的対話」を遂行して来ました(まず、当方自身、大学とは全く無縁な素人です!)。そして(ぼくは運営ではありませんが)そのことに矜持を感じています。
2010-06-12 04:36:09.@miurata 同様に、これだけ多くの市民の方を集めておられる哲学カフェさんにも、当然それだけの矜持があるだろうと思ったのです。だから、哲学カフェさんの「哲学」とは何ですか、と(配慮を欠いた方法ではありましたが)お尋ねしたのです。この「異質さ」を言語化できればと思いました。
2010-06-12 04:41:10.@miurata ですから、当方が「異文化コミュニケーション」と書いたのも、ただの思いつきではありません。語りの空間を支配する不可視の〈コード〉を言語化して、双方の「暴力性」に気づきを送ることができたなら、それはまさに「「他者」へと開かれた空間」だとは思いませんか?
2010-06-12 04:49:02.@miurata だから、ぼくが「哲学道場」という完全な〈他者〉の立場で「哲学カフェ」を批判することは、メタ哲学カフェ(メタ哲学道場)になりうると思った。そこで異質な「哲学」がぶつかり合うことは不可能ではないと思いました。それが今回の動機です。長文連投申し訳ありませんでした。
2010-06-12 04:53:13「分かり合う」ことなんか決してできないことを確認すること。それでも、言葉で語り出そうとする意志を決して棄てないこと。そのとき、「本当のこと」を語って人を傷つける勇気をなくさないこと。これが、ぼくの考える「哲学的対話」の条件。中島義道ぽいですかそうですか。
2010-06-12 05:08:42個人的感想だけど、「分からない人」「ついて行けない人」が出たって良いんだよな。そんなに簡単に、他人の哲学的立場を「分かれる」筈はないし、「ついて行ける」筈がない。「分かれないこと」の確認こそが、「分かれること」を語ることに較べたら、より哲学的だと思う。
2010-06-12 05:11:44なんだろ、何か和む展開なのだけど、あれだけ dis った当事者としては、ここで和んじゃいけないわな。dis る技術が足りないのです。結果的に、哲学カフェさんを不幸にしてしまったのなら、それは大変悲しむべきことだし、そうではないと祈りたい。
2010-06-12 06:08:50だいたい哲学道場って、哲学カフェさんから流れて来た方が結構おられた気がするのだけど。次行ったら哲学道場哲学カフェ派からタコ殴りにされるのかしらw
2010-06-12 06:11:41