市民に開かれた哲学とは何か:哲学カフェ VS 哲学道場
まあ「ぬるい」と言って悪ければ解釈を変更して、「緊縛プレイ」と言ってもいいが、あれに快感を覚える人というのは僕にはなかなか理解できないようである。
2010-06-10 02:16:54数十名の一般聴衆者を集めてあの時間であの準備でやったら、哲学どころかちょっと込み入った議論すらも期待できないのは当然で、構造的にはなるべくしてなった状況だと言える。
2010-06-10 02:37:489日は哲学カフェ(中之島哲学コレージュ)に参加して来たが、残念ながら哲学カフェに哲学はないと感じざるをえなかった。哲学道場公式サイトのアップデート担当者という立場ではなく、生え抜きの哲学道場一参加者として、哲学カフェという場を批判したいと考える。
2010-06-10 03:02:22初参加者の個人的な感想であるが、哲学カフェという場は大変暴力的な言説空間である。哲学カフェの暴力性は周到に隠蔽されているが、そこでは、例えば「自己紹介してはならない」や「哲学用語を使ってはならない」などの数々のルールが、無言の圧力で参加者を圧殺している。
2010-06-10 03:03:23そして一番重要なことは、そこでは「哲学カフェとは何なのか」という問いが、綺麗に回避されているということだ。「哲学を語る」ということにどんな意味があるのか、「哲学である」とはどういう営為なのかを、参加者は決して問うことが許されていない。
2010-06-10 03:04:29そこでは「具体的な事柄であること」が至上価値とされ、抽象的な発言は「極論」として斥けられる。にもかかわらず、なおそれを「哲学」と呼ぶなら、「哲学である」とはどういうことなのかが問われねばならない。その問いを等閑にして、ただ「分かりやすいこと」だけを語ることに、何の価値があるか。
2010-06-10 03:07:09それを「大学からの知の解放」と呼べるだろうか。ただ具体的な事柄だけを語ることが哲学なのか? だが、哲学という場においては、「哲学用語」という抽象的な言葉こそが、実感に即して語るためになくてはならない道具なのであり、それを明白に斥けることは「哲学」を棄てることにほかならない。
2010-06-10 03:07:29結局「究極的な問いを問うこと」としての哲学を、哲学カフェという場で語ることは許されていないのである。具体的な物事にだけ即して語るのは、ただの雑談である。ただの雑談だと言われたくないのであれば、そのようにして語ることが何故「哲学」なのかが問われなければならない。
2010-06-10 03:10:46そのような問いを周到に回避し、与えられた無言の圧力のなかで交換される言説は、一見暴力とは対極のものにみえながら、実は極めて暴力的である。しかも、その暴力性が自覚されることは決してない。そのような閉域のなかで交わされる雑談が、ぼくの目撃した「哲学カフェ」だった。
2010-06-10 03:13:59そこには耐えられないほどの「非哲学性」がある。それを「哲学」と呼び、市民に対して哲学が開かれたと考えるのは、ただの思考停止に過ぎないのではないか。以上、完全に市民に対して開かれた非営利の“哲学”討論会、「哲学道場」の生え抜き(一参加者)からの批判です。
2010-06-10 03:18:28などとdisってたら、こんな時間か。いや、ただ文句を言いたいわけじゃなくて、市民に対して哲学が開かれる可能性(ぼくは一市民だし)を認めながらも、哲学カフェのやりかたは違うんじゃないの? と思ったからわざと批判したのですが。応答求む。
2010-06-10 03:23:09いろいろあるんだなあ。「哲学カフェ」という名の雑談集会、とか、ねぇ。まあ、「哲学」って名乗ればとりあえずカッコいいから集客にはいいんじゃないかなーって思うけど。どういう意味を「哲学」に持たせてるのかってことかしら。
2010-06-10 03:23:23「哲学」かあ。だれにでも「哲学」を名乗ることは可能。(この「哲学」は任意の語に置き換えられるけども。)わたしは「哲学」にどんな意味を持たせてますよ、というルールの表明は必要。集団で哲学するならそのルールをある程度、どこかのレベルにそろえておかないといけないだろうな。
2010-06-10 03:26:30.@203da まあ、ぼくはそう批判したいわけですが、一応身内の哲学道場びいきということがありますのでw どうぞ哲学カフェの方にも、ご興味がありましたら参加なさって下さいw http://www.cafephilo.jp/index.html
2010-06-10 03:29:11要するに「世界をどのように定義しようか」っていうのが哲学の働きだと、わたしは思っている。わざわざ見慣れぬ哲学用語を使うのは、いままでの慣習から一度きっぱり離れるためだろうな。曖昧な世界の再定義をしたいのだろう。
2010-06-10 03:31:50まあ、批判がある程度、党派性を持たざるをえないということはあるけど、別に哲学道場参加者としてだけではなくて、永井均派としても、中島義道派としても、あの雑談で「哲学」を名乗るのはありえないと思ったナー。普通に、個人的に、肚立たしかった。なので、あえて呟こうと思いました。
2010-06-10 03:36:28ただ単に、哲学をネタに雑談しましょうぜ、っていうノリもそれはそれで好きだなあ。人とぐだぐだしゃべるのって面白いし。哲学が手段であって目的じゃないんですよってこと、参加者が了解してないと居心地悪いのだろうけれども。主催者側の責任だよなー、「哲学」にこんな意味を持たせてますよ、って。
2010-06-10 03:37:03大富豪のローカルルールみたいな。わたしは8切りと革命くらいでいいと思う。イレブンバックとか階段とか加わると別のゲームみたいで、それはそれでまあ楽しいんだけど、わたしのやりたい「大富豪」と違う。
2010-06-10 03:40:09わかりあえるわけないから細分化されていけばいいと思う。どちらもマーイインジャナイっていえる人間が中間色をになえばいいと思う。/そう言うこともできるよ、グラデーション。だれひとりとして同じ色は許されないと言うことについて思ってみたかい?言葉をどう使うかなのだよねぇ結局。/ねよねよ。
2010-06-10 04:07:10@Taroupho @goodmad @203da とても興味深かく、道場でのことを思い出しながら読ませてもらいました。分野は問わず他の会(セミナーなど除く)に参加経験がほぼ無いので、いくつか体験してみるのもいいかなと思いました。
2010-06-10 04:16:14