- king1234stone
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で知的障害養護学校に1996年に異動して、いろいろ目の前で展開されている「指導」にびっくりしたのはずっと書いてきた通り。しかし1996年から1年間は「自閉症」について何も勉強しなくても誰からも文句は言われなかったし、私も必要性を認識していなかった。
2012-05-14 22:27:27私の担任してたお子さんはそうだったけど、他に校内に「自閉症」のお子さんがいるのかどうかもわからなかったくらいで・・・(当然のことながら特性についての研修も無い。だいたい「自閉症」と言ってはいけない時代だったし・・・)
2012-05-14 22:29:20これはいろいろあかん、と自分で「自閉症」と名のついた本を片っ端から読みだしたのが1997年4月くらいから。それでも何をどうやったらいいかわからなかった。1997年の6月段階でこれ。「自閉症のお子さんとの授業の失敗例1997年」 http://t.co/fs3nEa7a
2012-05-14 22:33:33なお1997年の9月までの読んだ本の中にTEACCHの本もあったはずだけど、特性とかなんとかは全然わかっていない。10月に特殊教育学会に行き、そこで斉藤宇開さん(当時大学生)の発表を聞き、初めて「あれ?TEACCHってこんなふうに考えて、こんなふうに指導するんだ」と印象に残る。
2012-05-14 22:38:38でその特殊教育学会から帰って来た時のエピソードが「撃沈」で、その後、校長室に行き、わんわん泣くわけですが・・・ http://t.co/pyW1Wbs6
2012-05-14 22:41:11で、その時、校長室で話した内容が「えらいね、かしこいね」になるわけで。 http://t.co/2UF8sDlI
2012-05-14 22:43:52私は2009年頃の記憶では「自閉症の特性」とか知識を持ってから、自閉症の人が大好きになったと思っていたのですが、この「えらいね、かしこいね」を読むとどうもそれ以前から「自閉症」かどうかなんかに関わりなく子どもたちのことを「好き」だったんじゃないか、と思い出しました。
2012-05-14 22:45:24ってことは、私は「知識・技術」を持ったかどうかに関係なく「変わっていない」のか?私は「知識・技術」が身についてから自分が「変わった」と2009年頃までは思っていたのですが・・・
2012-05-14 22:46:44その後1997年10月にあった朝日新聞社厚生文化事業団主催の「自閉症の子どものクラスルーム」という2日間セミナー(実はTEACCHの2日間セミナーと言っても良いもの)に行き、目の前の自閉症のお子さんが視覚的にサポートされ、自分で判断して動いているのを見て
2012-05-14 22:50:12「あっ、自閉症のお子さんだって信頼できるんだ」みたいなことを強く実感します。そしてこの時「自閉症の特性」というものも少しは頭に入ります。しかし、いざ学校の現場に戻ったら、何をどうやったらいいかわからなかったですが。(つまり学校での私の行動はまだ「変わらない」)
2012-05-14 22:52:19初めて意図的に視覚支援を使ったのはこれ。靴を脱ぐ場所に#の形にビニールテープを貼ってみた。この効果は呆然とするようなもの。しかし・・・1997年度に、自立課題学習以外でできたのはこれくらい。「2日間セミナーから帰って来て1」 http://t.co/q5PPTnnt
2012-05-14 22:55:111997年12月の自立課題学習の様子はこんな感じ。まだ全然私には肝心なことがわかってないです。しかしそれでも担当していたA君、Bさんだけでなく、C君も私が望んで引き受けています。「自閉症のお子さんとの課題学習1997」 http://t.co/SD1NwuLO
2012-05-14 22:58:28なぜ引き受けたかと言えば、「威嚇の上手な超ベテランさん」に担当して授業してもらうよりC君にとってよほどいいだろう、という判断はできましたから。
2012-05-14 22:59:59まあ、ここらへんは少しは私の行動も「変わった」かな。(たぶん学校の他の教師とはめちゃくちゃ「変わって」いたというか・・・)
2012-05-14 23:01:14しかし4月から考えて8ヶ月相当勉強して(たぶん一生で一番勉強した)もこの程度・・・(知的障害養護学校に異動して1年8ヶ月も経って・・・)
2012-05-14 23:03:45@king1234stone 普通校の先生してた頃から、子どものことをとても「好き」そうでした。障害児も健常児も、ひとりひとりを「好き」な本質は、変わっていないと思います。「好き」だから寄り添う「技術」を色々探してるのでしょう?
2012-05-14 23:09:32まあ、そやね。でもはっきり言って通常校4年目まで「かなりひどい先生」やったと思うけど(^_^;)知識・技術・態度とかね・・・ QT @dondoko99: 普通校の先生してた頃から、子どものことをとても「好き」そうでした。
2012-05-14 23:13:44なお周囲から「変わっていく」「引き戻されない」ですんだ大きな理由は「自閉症の子どものクラスルーム・研究科」を作ったから。 http://t.co/1ZKy6WEE
2012-05-14 23:15:14ここで、月一回集まり、それぞれの実践・疑問点を出しあったり、講師をお呼びして勉強したりできたのが大きいなあ・・・それが無かったら「引き戻され」てたやろと思うなあ。それほど「常識」の力は強い。
2012-05-14 23:16:56なお「研究科のあゆみ」 http://t.co/u1j4yCbR 2004年から私はウツ・引きこもりに入って行きますが・・・
2012-05-14 23:18:34話は戻って1998年度も、まだまだ何をどうやっていいかわからなかったです。(おい、もう知的障害養護学校2年目が過ぎてんだぞ・・・3年目に入ってんだぞ・・・)
2012-05-14 23:21:56しかし1998年度は名目上私は前年度に引き続き4人の教師の学年主任。まず配属されるはずの先生が1人病休で何も知らない大学出たての新人Aさんがやって来ます。で1学期の途中で「若い目のベテラン」さんがお休みになりやはり大学出たての新人Bさんがやって来ます。
2012-05-14 23:26:41