ソ連人民最大の敵が気ままに呟く女傑伝 第2章 マダム梁
- tetteikaikyou
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韓世忠の妻、梁夫人。宋史列伝百二十三、韓世忠の伝に記載あり。他に孟后の伝にも記載があります。ちなみに列伝一百二十三は韓世忠のみの伝となっており、この後の一百二十四が岳飛、一百二十五が劉キ・呉カイ・呉リンの伝になっています。所謂、「抗金名将」の伝が連なっているわけです。
2012-05-29 13:06:44妓女出身という話もありますが、やはりこれも夫の伝には伝わっていません。さて、史書にどのような記述があるか、少し追っていきたいと思います。建炎三年(1129年)、苗傳・劉正彦らが反乱を起こします。
2012-05-29 13:19:53夫の韓世忠は張浚と協力して、この反乱の鎮圧にあたります。韓世忠は、「万人之敵」「勇冠三軍」と称えられた稀代の猛将らしく、短期戦を主張しますが、張浚は不足の事態を恐れ、反乱軍の内部崩壊を誘う手に出ます。
2012-05-29 13:24:25このとき、梁夫人は子供と一緒に苗傳の人質となっていました。苗傳は韓世忠を懐柔すべく、梁夫人を安國夫人に封じます。
2012-05-29 13:31:18しかし、梁夫人は「疾駆出城」し日夜兼行の強行軍で秀州の夫の下に馳せ参じます。乗馬の技量は相当に優れていたようですね。
2012-05-29 13:34:38のち、南宋にウジュ(完顔宗弼、完顔阿骨打の第四子、斡啜とも)が攻め入ってきます。南宋の高宗も一時は臨安から脱出しなければならないほどの苦境のなか、韓世忠は奮戦し、金将の李選を降伏させます。
2012-05-29 13:43:58ウジュはそんな韓世忠と会戦にて雌雄を決すべく使者を派遣し、世忠に決戦を挑みます。韓世忠もこれを受け、激戦が展開されました。(「戦将十合」とある)
2012-05-29 13:48:38梁紅玉で検索すると出てくる、こういった画はこのときの活躍に由来します。http://t.co/RsuCTM2b
2012-05-29 13:56:41さらにこの後、歴史に名高い「黄天湯の戦い」で韓世忠はウジュを撃破します。史書には「兀術兵号十万、世忠僅八千余人」とあり、この数値をそのまま受け取ると兵力比十万対八千という絶望的な差を跳ね返しての勝利、ということになりますが、
2012-05-29 14:00:48こういった数字は中国史では誇張されていたりするのが常ですので、韓世忠の兵力は実際にはもう少し多かったのかもしれません。金軍の実際の兵力もこれよりは少なかったはずです。(どのくらい少ないか、については様々な意見があると思います)
2012-05-29 14:05:15ただ、寡兵で多数を打ち破ったのは事実ですし、韓家軍(韓世忠の軍)の兵力は三万を超えなかった旨が伝にはありますので実際にこの兵数だった可能性もあると思います。
2012-05-29 14:08:22なお、列伝第二后妃下にある孟后(哲宗昭慈聖献孟皇后)には苗傳、劉正彦の反乱のおりの脱出劇は、孟后の意を受けてのものだった、という主旨のことが書かれています。
2012-05-29 14:29:08田中芳樹氏の小説「紅塵」などで知名度がある梁紅玉ですが、このように、意外にその記述は史書には少ないのでした。
2012-05-29 14:30:53