- jonathanohn
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晋書刑法志曰く、漢の安帝の頃に廷尉陳忠が宮刑の廃止などを上奏し、事は皆施行されたそう。そうすると後漢後期から宮刑は行われなくなったようだから、宦官は自宮者が供給源になったのかな。
2013-06-25 21:50:11光武帝以来、一代一回は出されてた天下の死刑囚を減刑して宮刑にせよって詔が和帝を最後に出されなくなったのは、安帝期に宮刑が廃止されたからなのかな。
2013-06-25 21:52:01生まれたばかりの男の子の金玉を揉み潰して宦官にする専門の職人がおったそうやで。RT @sweets_street: @daradara3594 曹騰のように幼少から宦官だった人もいるので、宮刑以外の宦官供給源もあったのでしょうね
2013-06-25 22:39:26困窮していた士大夫の家の子とかなのかなー? あとは跡継ぎがきっちり決まってる家とかなのかねえ? RT @sweets_street: @Jiraygyo @daradara3594 どういう子を宦官にしたんでしょうね
2013-06-25 22:45:25@Jiraygyo @daradara3594 霊帝の時代に猛威を振るった曹節は「世吏二千石」と言われる名門の出。中常侍趙忠は不仲な従弟が孝廉になるような家の出。霊帝の時代には経書を引用しながら議論できる宦官や、儒者とともに五経の文字を正した宦官などもいたそうですよ
2013-06-25 22:58:01名家の跡継ぎじゃない子息を宮廷との人脈やらなにやらの繋ぎに送り込んだんだろうなあ。武家が大奥に子女を出仕させるノリに近い? RT @sweets_street: @Jiraygyo @daradara3594 霊帝の時代に猛威を振るった曹節は「世吏二千石」と言われる名門の出。中常
2013-06-25 22:59:52@Jiraygyo @daradara3594 それなりに良い家の跡取りでない子が身を立てるルートのひとつだったのかもですね
2013-06-25 23:06:19実際、宮中内の情報や人脈を得るのに都合のいいところにいるものねえ、宦官たち。やっぱり宦官と士大夫の対立なんて単純な構図には思えないよねえ。RT @sweets_street: @Jiraygyo @daradara3594 それなりに良い家の跡取りでない子が身を立てるルートのひと
2013-06-25 23:08:31@Jiraygyo @daradara3594 宦官は宦官同士で抗争しているし、士大夫は士大夫同士で抗争しているし。霊帝の時代に陽球という士大夫官僚が宦官とのコネクションを使って政敵を陥れる反面で、当時の宦官のトップだった王甫を告発して死刑に追い込んだなんてことも起きてますよ
2013-06-25 23:13:36皇族や後宮のプライベートの近くにいる宦官たちは、政治やるには大なり小なり抑えておきたいものね。単純に。RT @sweets_street: @Jiraygyo @daradara3594 それなりに良い家の跡取りでない子が身を立てるルートのひとつだったのかもですね
2013-06-25 23:09:48@Jiraygyo @daradara3594 外戚の閻顕や梁冀は息がかかった宦官に皇帝を監視させていました。梁冀は士大夫とも結託しています。外戚と宦官と士大夫はそれぞれ個人の都合でつるむこともあれば、ケンカもするんですよ
2013-06-25 23:26:56そういうの考えると名家の子弟や庶子やらが宦官として育てられるってのもあったんだろうなあ RT @sweets_street: @daradara3594 宦官は宦官同士で抗争しているし、士大夫は士大夫同士で抗争しているし。霊帝の時代に陽球という士大夫官僚が宦官とのコネクションを使
2013-06-25 23:15:37@Jiraygyo @daradara3594 後漢後期には宦官の一族が高官に取り立てられて三公九卿に至る人も出たほどですが、もともと学問がある人間が大勢いるような一族だったんでしょうね。遊学してみっちり儒教を学んだ人でないと、政府高官は務まらない時代ですから
2013-06-25 23:21:00宦官は宦官で上の方は無教養どころか下手な政治家たちより教養と儒学を修めていなければならんかったろうしね RT @sweets_street: @Jiraygyo @daradara3594 後漢後期には宦官の一族が高官に取り立てられて三公九卿に至る人も出たほどですが、もともと学問
2013-06-25 23:25:07@Jiraygyo @daradara3594 経書の言葉や典例を引きながら政治的な議論を行い、儒教的なレトリックを使って文書を作る能力は高級官僚の必須技能なので、皇帝の意思決定を補佐する中常侍や、禁中と尚書の間を取り次ぐ小黄門ともなれば相応の教養が求められるでしょうね
2013-06-25 23:33:13普通にそういうものだよねえ。しかし、生まれた時から宦官になることを運命づけられた少年とか、ちょっと小説の役によさげだな RT @sweets_street: @daradara3594 外戚の閻顕や梁冀は息がかかった宦官に皇帝を監視させていました。梁冀は士大夫とも結託しています。
2013-06-25 23:29:15三国志で創作やるとき「宦官の視点」って便利だよなあ、とよく思うようになってる RT @sweets_street: @daradara3594 外戚の閻顕や梁冀は息がかかった宦官に皇帝を監視させていました。梁冀は士大夫とも結託しています。外戚と宦官と士大夫はそれぞれ個人の都合でつ
2013-06-25 23:29:50@Jiraygyo @daradara3594 本家の袁隗や袁逢と結託して彼らを三公に押し上げ、自らも宦官トップの中常侍にのし上がった汝南袁氏の袁赦とか
2013-06-25 23:35:30これは面白そうな人物だなあ。にもかかわらず後に袁紹が宦官虐殺やらかすんだよな……やっぱり袁紹ってなんかネジ外れているね(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル RT @sweets_street: @Jiraygyo @daradara3594 本家の袁隗や袁逢と結託して
2013-06-25 23:39:54@Jiraygyo @daradara3594 実は二十年前に竇武も宦官皆殺し計画を立ててるんですよ。大后の許可が降りずにいるうちに宦官に察知されて反撃を受けるという顛末も何進・袁紹の計画と似ています
2013-06-25 23:46:16逆に宦官にしてみればその顛末で終わったと思ってたら…… RT @sweets_street: @daradara3594 実は二十年前に竇武も宦官皆殺し計画を立ててるんですよ。大后の許可が降りずにいるうちに宦官に察知されて反撃を受けるという顛末も何進・袁紹の計画と似ています
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