2012年5月30日

お菓子っ子さんが語る、董卓伝4~暴君化するまで~

拙纏め 「お菓子っ子さんが語る、董卓伝~政権掌握まで~【http://togetter.com/li/311227】」 と 「お菓子っ子さんの語る、董卓伝2~袁紹との対立表面化まで~【http://togetter.com/li/311582】」 と 続きを読む
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お菓子っ子 @sweets_street

前回は董卓が反董卓連合軍の豫州刺史(豫州行政管区監察官)孫堅に敗北して、長安に退いたところまでお話しました。これから、長安に退いてからの董卓の内政政策についてお話しようと思います

2012-05-30 17:17:26
お菓子っ子 @sweets_street

董卓は孫堅軍との戦いの最中に、相国(首相)から太師(天子の師傅)に昇進。席次は諸侯王(貴族や皇族)の上とされました。節(軍事指揮権)を持つことは前に同じ。名実ともに漢帝国の第一人者となりました。皇太子や皇子が乗るのと同じ金華青蓋の車に乗り、天子に擬した衣服を身にまといます

2012-05-30 17:28:34
お菓子っ子 @sweets_street

董卓の一族は老若男女の別を問わず、皆貴族に叙されて封土を賜りました。董卓は政務を自分の邸宅で行い、官僚たちも董卓の邸宅へ報告に行きました。これによって董卓は朝廷を通さずに政務を執って独裁を敷いたのです

2012-05-30 17:34:24
お菓子っ子 @sweets_street

董卓の権勢は絶頂に達しましたが、内外に多くの難題を抱えていました。その中で最も深刻だったのは財政難です。その発端は三代皇帝章帝の御世から始まる地球規模の寒冷化でした。寒冷化は干魃や蝗害を引き起こします。さらに黄河の水害も重なって、華北では大飢饉が頻発するようになります

2012-05-30 17:47:23
お菓子っ子 @sweets_street

政府は飢饉が起きるたびに、被災地に対して減税や食料配給などの救済措置を講じました。多大な財政負担が国庫にのしかかります。さらに飢饉に苦しんだ北方の鮮卑や烏桓や匈奴、西方の羌といった異民族が蜂起。これらに対処するための軍事費も財政を圧迫しました

2012-05-30 17:54:36
お菓子っ子 @sweets_street

終わることのない飢饉と対異民族戦争が一世紀以上続き、閉塞感が帝国全体を覆います。政治への不満は政争を引き起こし、外戚や宦官が政権を握っては失脚。不安定な政治は飢饉や対異民族戦争、財政難などへの一貫した対応を困難にするという悪循環を生みました

2012-05-30 18:00:14
お菓子っ子 @sweets_street

11代皇帝桓帝は外戚で摂政の大将軍(国軍最高司令官)梁冀を粛清し、側近の宦官を用いて皇帝独裁を指向します。それに対し太尉(副首相)陳蕃や河南尹(都知事)李膺らを中心とする官僚や、太学(帝国最高学府)の学生たちが抵抗しましたが、桓帝は関係者を全員逮捕して公職追放処分を下しました

2012-05-30 18:11:30
お菓子っ子 @sweets_street

しかし、その後間もなく桓帝は崩御。陳蕃は桓帝の外戚竇武と共に霊帝を擁立して政権を掌握し、桓帝の側近だった宦官たちを粛清しようと試みます。竇武一派と宦官はそれぞれ自派の軍隊を動かして洛陽で市街戦を展開し、宦官側が勝利。皇帝並びに宦官の外戚・士大夫に対する優位が決定的になりました

2012-05-30 18:25:06
お菓子っ子 @sweets_street

陳蕃や竇武の支持者や、皇帝独裁を助ける宦官を批判する士大夫などは「党人」と認定され、多くの士大夫が死刑判決や禁錮(永久公職追放処分)を受けました。これを党錮の禁といいます。批判勢力を弾圧して独裁権を盤石にした霊帝は、傾きかけている国家の建て直しに乗り出しました

2012-05-30 18:33:27
お菓子っ子 @sweets_street

霊帝が特に重視したのが財政問題。霊帝は課税強化や官職競売といったなりふり構わない搾取によって財政再建を図りました。ただでさえ飢饉や戦災に苦しむ民衆の不満は爆発し、黄巾の乱や韓遂・辺章の乱のような天下を揺るがす大乱を招きます

2012-05-30 18:41:42
お菓子っ子 @sweets_street

霊帝の側近として財政再建路線を主導してきた宦官たちへの批判が高まり、黄巾の乱を契機に党錮の禁を解かざるを得なくなり、過激な批判勢力が大手を振って政界復帰。外戚の大将軍(国軍最高司令官)何進のもとに結集しました。宦官と何進の抗争が内戦寸前まで発展したことは最初の章で述べたとおりです

2012-05-30 18:47:55
お菓子っ子 @sweets_street

董卓は何進一派の呼びかけに応じて、「宦官を武力で排除する」と宣言して洛陽に進軍した人物。当然、霊帝や宦官たちの課税強化・官職競売路線には批判的です。董卓が登用した官僚たちも霊帝や宦官の路線には批判的。民間からお金を吸い上げる形での財政再建路線を採用できるはずもありません

2012-05-30 18:53:50
お菓子っ子 @sweets_street

そこで董卓が採用したのは貨幣の改鋳。洛陽と長安にある銅製品をことごとく鋳潰して、質の低い銅銭を大量に市場に流通させました。貨幣の供給量を増やして財政再建を図ったわけですが、インフレの抑制に失敗して、一石あたり数十銭から100銭ほどだった穀物価格が、数万銭まで暴騰します

2012-05-30 19:07:00
お菓子っ子 @sweets_street

財政難によって董卓は窮地に陥りました。最大の支持層である軍隊に給料を払えなくなると、瞬く間に求心力を喪失します。そのため、貴族や富豪の屋敷を略奪したり、歴代皇帝の陵墓を盗掘するなど、なりふり構わない金集めをせざるを得ませんでした

2012-05-30 19:13:44
お菓子っ子 @sweets_street

袁紹一派が造反すると、地方からの税収が入ってこなくなります。さらに軍事費の支出も嵩みます。そのため、董卓は徐栄や胡軫の軍を出撃させて反乱勢力の早期鎮圧を目論みましたが、胡軫の敗北で困難となりました。董卓が長安に退いたのは、これ以上の戦費支出に耐えられなかったのも大きいと思われます

2012-05-30 19:23:09
お菓子っ子 @sweets_street

董卓は長安に退くと、司隷校尉(首都圏警察長官)劉囂に命じて、親不孝な子、主君に忠実でない臣下、清廉でない役人、兄に従順でない弟をリストアップさせ、該当した者は全員処刑して財産没収することにしました。その結果、誣告が相次いで多くの人が冤罪で処刑され、財産はことごとく国庫に入りました

2012-05-30 19:30:51
お菓子っ子 @sweets_street

道徳の擁護者董卓が「儒教道徳に背く悪人」というレッテルを貼った人間を処罰して、その財産を国家のために役立てるという、人気取りのパフォーマンスと実利を兼ねた実にえげつない政策です。さらに関中(長安圏)の有力者に「あいつは反逆者だ」とレッテルを貼って次々と処刑していきます

2012-05-30 19:37:00
お菓子っ子 @sweets_street

洛陽にいた頃から董卓は厳罰主義の政治を行って来ましたが、経済政策の失敗と洛陽失陥で低下した求心力を維持するために、さらに過激になって行きました。不仲だった韓遂・辺章の乱討伐の時の上司張温を処刑し、嫌いな人間を理由をつけては処罰していきます。処刑方法もどんどん残虐になって行きます

2012-05-30 19:43:08
お菓子っ子 @sweets_street

董卓は弟の董旻を左将軍(中央軍司令官。閣僚相当)に任命して軍部のナンバー2に据え、甥の董璜を侍中(宮中顧問官)・中軍校尉(旅団長)として中央軍の要に据えて、長安の軍隊を完全に掌握しました。もはや、暴君と化していった董卓に逆らえる者は誰もいません

2012-05-30 19:51:17
お菓子っ子 @sweets_street

董卓の権力を軍事面で支えたのが董旻と董璜とすれば、政治面で支えたのは司徒(副首相)・尚書令(皇帝官房長官)王允と太尉(副首相)や司隷校尉(首都圏警察長官)や前将軍(中央軍司令官。閣僚相当)を歴任した趙謙と、侍中(宮中顧問官)・左中郎将(近衛司令官)蔡邕の3人です

2012-05-30 19:59:28
お菓子っ子 @sweets_street

司徒(副首相)と尚書令(皇帝官房長官)を兼ねて、行政機構を掌握する王允は霊帝が最も信頼する宦官張譲と黄巾の内通疑惑を追及しようとして命を落としかけた人物。権力者と戦って三度収監された筋金入りの闘士。黄巾の乱で皇甫嵩・朱儁とともに賊軍を打ち破って数十万の敵を降した名将でもあります

2012-05-30 20:10:40
お菓子っ子 @sweets_street

何進のクーデター計画では袁紹と並ぶ参謀役として暗躍。密かに河南尹(都知事)に指名され、司隷校尉(首都圏警察長官)に指名された袁紹とともに実働部隊となりました。董卓政権では一貫して尚書令(皇帝官房長官)を担当。清廉で厳格な王允は、董卓と政治姿勢が近かったために重用されたと思われます

2012-05-30 20:19:52
お菓子っ子 @sweets_street

遷都の際に太尉(副首相)となった趙温は、宰相や閣僚を輩出した名門の出で、遷都後に司隷校尉(首都圏警察長官)に転じました。董卓が寵愛していた人物の犯罪を摘発して処刑したために怒りを買って逮捕されましたが、堂々と抗弁したために許されたというエピソードがあります

2012-05-30 20:34:40
お菓子っ子 @sweets_street

趙謙は後に前将軍(中央軍司令官。閣僚相当)に転じ、かつて董卓が洛陽にいた頃に北から首都圏を脅かした反乱勢力白波を討伐して功績を立て、郫侯(県【市相当】を領土とする貴族)の爵位を賜りました。治安機関のトップや、董旻と並ぶ中央軍の重鎮として董卓政権を支えた優秀な治安・軍事官僚です

2012-05-30 20:41:28
お菓子っ子 @sweets_street

侍中(宮中顧問官)と左中郎将(近衛司令官)を兼ねる蔡邕はかつて霊帝の側近だった学者。宦官との確執から失脚して、官界に復帰してからは董卓のブレーンとなりました。董卓の驕った振る舞いをしばしば諌め、聞き入れられるほど信用されました。「批判者=敵」と考える董卓にしては珍しいことです

2012-05-30 20:54:09
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コメント

すまいそん @migitenitokei 2012年5月30日
「暴君は暴君になりたくて暴君になったわけじゃない」ってどっかで読んだなあ。 それにしても面白い。董卓といえば正直、強欲残虐デブぐらいの認識しかなかった。政治姿勢とかも知らんかった
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土谷真治 @densataxp 2012年5月31日
本当に董卓に関しては極悪非道の限りを尽くして最後は臍に火を灯される凄いデブぐらいの認識だったから びっくり。興味深い話です
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吉弘 @ShoukoYoshihiro 2012年6月2日
目の前の問題を解決すればするほど泥沼にはまり、その結果暴君になったのか…
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アーサー=アルトリウス @excaliburchalic 2012年6月12日
目の前の財政難を貨幣の鋳造や倫理の強化と取り締まりで乗り切ろうなんてどこかの保守っぽい政党みたいだ。
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TM @TM_KG 2013年8月3日
董卓と言うと某コーエー無双のイメージしかなかったが、これを読むとむしろ神経質で、登場当初は新進気鋭の改革者と言うイメージを持ってきた。袁紹がある種癌状態だったのだというのは初耳だ。
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