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それでは、今から政権を握った董卓の政治についてお話ししましょう。まず、吏部尚書(皇帝官房人事担当秘書官)周珌、侍中(皇帝の顧問官)伍瓊・尚書郎(皇帝官房秘書官補)許靖らに人事を委ねました。彼らに尚書鄭泰、相国長史(首相府官房長)何顒を加えたメンツが董卓の主要なブレーンです
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董卓とそのブレーンたちは、人事の刷新を進めます。党錮の禁でパージされていた名士の荀爽を司空(副首相)、陳紀を侍中(皇帝の顧問官)、蔡邕を尚書(皇帝官房秘書官)、韓融を大鴻臚(外務大臣)に起用しました。皆天下に名高い名士で、董卓政権の目玉と言える人事です
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さらに、何進のブレーンだった新進気鋭の若手も抜擢を受けます。先に述べた鄭泰・何顒に加え、尚書令(皇帝官房長官)王允、黄門侍郎(宮中と朝廷の間を連絡を担当する皇帝側近)荀攸らです。不遇の士が多く抜擢されたと史書は述べています
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そして、反宦官闘争に敗北して殺されて、清流派の偶像的存在とされるかつての宰相陳蕃の腹心の予州牧(広域行政管区総督)黄琬を太尉(副首相)、最大の名門弘農楊氏の嫡流で大物宦官王甫を摘発して名を上げ、閣僚ポストを歴任したたサラブレッド太中大夫(名誉職)楊彪を司徒(副首相)に登用
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これまで宦官を使っていた皇帝側近のポストにはすべて士大夫を充てることとしました。宦官を政治から徹底排除ということです。この人事で皇帝側近の職を得た人としては、守宮令(皇帝の御物管理担当の宮内省局長職)荀彧が有名です
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このようなサプライズ人事は地方人事にも及びます。尚書(皇帝官房秘書官)韓馥を冀州牧(冀州行政管区総督)、侍中(皇帝の顧問官)劉岱を兗州刺史(兗州行政管区監察官)、孔伷を豫州刺史(豫州行政管区監察官)、張邈を陳留太守(郡【県相当】の知事)に抜擢しました。いずれも評判の高い名士です
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人事刷新によって反宦官の闘士や、クリーンで厳格な人物をポストに就ける一方で、民政面ではこれといった政策はありません。董卓が皇帝を廃立してからわずか8か月で関東の地方長官たちが一斉に造反したので、人事だけで精一杯だったのでしょう
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クリーンな董卓の政治も明るい面だけではありません。山西に拠点を持つ白波という反乱勢力が十万の大軍で首都圏の河東に侵攻してきます。河東はかつて董卓が太守を務め、洛陽に進軍する前に駐屯していた土地。董卓の有力な地盤です。中郎将(近衛司令官)牛輔が討伐に向かったものの苦戦を強いられます
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また、都では董卓の軍隊の横暴ぶりが問題になっていました。莫大な財産を蓄えていた洛陽の貴族や富豪の屋敷に「捜索である」と称して押し入って略奪や婦女暴行を行いました。また、墓を暴いて副葬品を奪っています。刑罰があまりにも過酷だったので、民衆は恐れおののきました
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昔なじみに耕作用の牛を潰してごちそうしたことや、部下に恩賞を全部分け与えたことから考えると、董卓は蓄財に執着するどころか、むしろ気前がよい人物です。そんな董卓が略奪や墓暴きに手を染めたのは、当時の国庫が破綻しかけていて、公金では兵士に分配する金品を賄えなかったからでしょう
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また、長年地方で勤務していた董卓には、民衆が長年の飢饉と失政で貧窮しているのに、洛陽の貴族や富豪が莫大な財産を蓄え、墓にも豪華な副葬品を入れていることへの憤りもあったでしょう。金持ちを痛め付けて、自分と気持ちを同じくする地方出身の将兵の溜飲を下げるという意味もあったと思われます
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董卓の政治基盤は実のところ、それほど強固ではありません。相国董卓は軍権を示す節と斧鉞を保持して軍事権を握っていますが、正式な政務のトップである録尚書事の資格は、太傅(皇帝の師傅)袁隗が保持しています。制度上の政権首班は袁隗なのです
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そして、袁隗という人物はお飾りの政権首班ではありません。四世代にわたって宰相を出した名門汝南袁氏の総帥。政争が激しい後漢政界で全く経歴に傷を負わずに顕職を歴任しつつ、非主流派にもつながりがあり、「気がついたらいつも権力の座に座っている」という似ても焼いても食えない人物です
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袁隗の録尚書事(首相)の資格は、董卓が廃立した先の皇帝が即位させた時に、外戚の何進とともに授かったもの。何進が宦官を排除する前に死んだため、前政権からの最高権力者は袁隗のみです。つまり、董卓は前政権からの最高権力者袁隗と連立政権を組んでいるわけです
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袁隗というのは「気がついたらいつも権力の座にいる」という人物なので、彼の立場から見たら、「宦官と何進の抗争では何進をパートナーに選んだけど、死んじゃったから、混沌としていた首都に駐留する軍隊の指揮権の一本化に成功した董卓を新しいパートナーに選んだ」わけです。
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そして、董卓のクリーンな人事も、地方勤務が長くて中央政界に顔が利かない董卓よりは、あらゆる派閥に顔が利く袁隗の政治力を強めるものとなります。宦官の政治に憤ってクリーンな政治を望んだ董卓の志に袁隗が乗っかって、自分の政治力強化に利用した構図ですね
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袁隗は悪魔的なほどに老獪ですが、積極的に董卓を揺さぶるような人間ではありません。彼はどこまでも調整型の保守的な政治家なので、その政治力は政権安定に大きく寄与するはずです。董卓政権最大の不安定要因は袁隗の甥である司隷校尉(首都圏警察長官)袁紹でした
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袁紹という人は何進の片腕的存在で、旧何進派の最有力者でした。何進が集めたブレーンの多くは袁紹の人脈に連なる人間です。何進のクーデター計画を主導し、地方の兵を呼び寄せて中央の兵を握る宦官を打倒する策を立てたのも袁紹でした。何進が宦官を倒したら、政権ナンバー.2になれたはずの人です
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何進が暗殺された後に宮中を攻撃して宦官を皆殺しにするという暴挙に出たのも袁紹。皇帝直々の命令で指名手配された政治犯たちを公然と匿い、命知らずの荒くれ者を大勢養って宦官に危険視されるなどといったきな臭い経歴があり、反体制的な若手知識人の間に広い人脈を持っていた極めつけの危険人物です
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彼は長い間官職に就かずに反体制的な活動をしていましたが、何進のブレーンになると、仲間をどんどん何進の大将軍府に引っ張って、反体制知識人の巣窟にしてしまいました。董卓政権で旧何進派の若手が重用されたことは先に述べましたが、董卓の主要ブレーン5人のうちの実に4人が袁紹の友人です
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袁隗を代表する既成勢力の手垢が付いていない若手反体制知識人をブレーンとして重用した董卓は、とうぜんその代表格である袁紹とも仲良くしようと考え、皇帝廃立の際に袁紹を内密に呼んで相談を持ちかけたほどでしたが、袁紹は反対の意を示して退出しました
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そして、そのまま司隷校尉(首都圏警察長官)の職を放棄して、河北に逃亡してしまいます。董卓は袁紹を指名手配しようとしましたが、董卓が最も信頼するブレーンで袁紹の友人である周珌と伍瓊が、「袁紹さんには他意はないですよ。追い詰めたら何するかわからないから懐柔しましょう」と口添えします
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その結果、袁紹は指名手配どころか逃亡先で渤海郡の太守(郡【県相当】の知事)のポストを与えられ、なんと邟郷侯(郷【町相当】を領地とする貴族)の爵位まで授かってしまいます。董卓が甘いのか、袁紹一派が狡猾なのか、ともかくも袁紹のとんでもない政治力の一端が伺えると思います
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袁紹はありがたく太守(郡【県相当】の知事)の地位と爵位を受け取り、さらに「私は今でも司隷校尉(首都圏警察長官)だ」と言い張ります。実に舐めきった態度です。いずれ袁紹が造反することは火を見るより明らかだったので、董卓は冀州牧(冀州行政管区総督)の韓馥に、袁紹の監視を命じました
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袁紹がここまで反抗的だったのは、「何人たりとも俺様の上に立つことは許さない」という反骨心と、「宦官を倒したら俺の時代が来るはずだったのに董卓の奴が横取りしたから、倒して俺の時代にする」という闘争心からでしょう。袁紹の異常なまでの反骨心と闘争心が董卓を認めることを許さなかったのです
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