お菓子っ子さんが語る、董卓伝~政権掌握まで~

三国志の3流悪である董卓の実像は? 中国史にめっちゃ詳しいお菓子っ子さんの董卓語り。
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お菓子っ子 @sweets_street

今から、ある政治家の話をしようと思います。政治が混乱した時代に地方で実績を積み、政治改革しようと意気込んで中央に乗り込んで政権を握るも挫折して、ままならない現実をどうにかしようとあがくも行き過ぎたクリーンさの追及から世間に見放されて失脚し、後世に至るまで悪名を残した人のお話

2012-05-28 12:26:16
お菓子っ子 @sweets_street

その政治家董卓の経歴をざっと述べますと、故郷は異民族の居住地に接した涼州は隴西の地。父は県尉(市警察署長)を務めた下級官僚。孝廉から高官になるようなエリートではありませんが、皇帝から直接任命された職なので、地方長官のスタッフで終わる大抵の地方豪族よりは出世しています

2012-05-28 12:35:30
お菓子っ子 @sweets_street

そこそこ良い家柄の豪族の子として生まれた董卓は、若い頃は異民族の顔役とつるんで遊び、その後家に帰って農業に従事しました。やんちゃしてたけど更生したってところですね。昔馴染みの顔役が遊びに来ると、董卓は畑を耕すのに使った牛を潰してごちそうします

2012-05-28 12:39:15
お菓子っ子 @sweets_street

小作を使わずに自ら耕作していたことといい、農耕牛を潰してご馳走したことといい、董卓の家はあまり裕福ではなかったのでしょう。父が早くに死んで困窮していたか、あるいは宗族の中でも力がない家だったせいで単純に財産がなかったか。いずれにせよ、この時代の豪族でも貧乏することはわりとあります

2012-05-28 12:42:46
お菓子っ子 @sweets_street

困窮しているにも関わらず、大切な牛を潰してもてなしてくれた董卓の気持ちに感激した昔なじみたちは、みんなで相談して董卓に1000頭以上の家畜をプレゼントします。「昔のダチが貧乏してるから、カンパして助けてやろうぜ」ってノリです。ヤンキー漫画に出てきそうな話ですね

2012-05-28 12:45:51
お菓子っ子 @sweets_street

この美談のおかげで有名になった董卓は、やがて郡の役所に就職して兵馬掾(郡役所の部長職)になります。怪力で騎射の名人だった董卓は異民族との戦いで活躍して、羽林郎(近衛騎兵部隊士官)に推挙されました。不遇だった董卓に運が向いてきたのですね

2012-05-28 12:58:59
お菓子っ子 @sweets_street

そして護匈奴中郎将(対異民族部隊司令官)張奐指揮下の軍司馬(連隊長)として異民族を討伐して大功を立て、郎中(キャリア官僚になる人間が最初に就く官職)に昇進し、絹九千匹を恩賞として賜ります。董卓は「君達が支えてくれたおかげだ」と言って、恩賞を残らず将兵に分け与えました。イケメンです

2012-05-28 13:05:31
お菓子っ子 @sweets_street

期待の若手として官界デビューを果たした董卓は。県令(市長)、蜀郡北部都尉(郡【県相当】の治安司令官)、西域戊己校尉(西域駐屯軍司令官)と地方の要職を昇進。何らかのトラブルで罷免されましたが、復帰して并州刺史(州【地方相当】の広域行政管区監察官)・河東太守(県知事相当)と昇進します

2012-05-28 13:13:08
お菓子っ子 @sweets_street

地方統治で着実にキャリアを積んだ董卓は、黄巾の乱が始まると東中郎将(近衛軍団司令官)に任命され、張角討伐を命じられました。過去の経験を見込まれてのことでしょう。久々の軍務でしたが、黄巾に敗北して罷免されました。その後、涼州で反乱が勃発して、再度中郎将に起用されて討伐に向かいました

2012-05-28 13:18:20
お菓子っ子 @sweets_street

董卓は左車騎将軍(元帥・国軍副司令官)皇甫嵩の副司令官となりましたが、途中で司令官が司空(副首相)張温に交代。董卓は破虜将軍に昇進しました。後漢は滅多に方面軍司令官格の将軍職を置かないので、董卓への期待の程が伺われます。戦いは不利でしたが、逆転して大勝を収めます

2012-05-28 13:24:52
お菓子っ子 @sweets_street

総司令官の張温は董卓と盪寇将軍(方面軍司令官格)周慎を派遣して追撃させましたが、周慎が張温から派遣された参謀の孫堅(あの孫堅です)の言うことを聞かずに敗退してしまい、敵の大軍に包囲された董卓はトンネルを掘って全軍を無傷で撤退させることに成功しました

2012-05-28 13:29:25
お菓子っ子 @sweets_street

敗戦したものの、無傷で敵の包囲から撤退したことを評価された董卓は郷侯(郷【町相当】を領土とする貴族)の爵位を賜り、扶風に駐屯して長安圏の防衛を担当することになりました。堂々たる貴族です。その間、中央の方針の混乱から董卓たちが動けずにいる間に、涼州では反乱軍が勢いを取り戻します

2012-05-28 13:35:10
お菓子っ子 @sweets_street

十万の兵を集めた反乱軍の総帥韓遂と辺章は隴西郡(董卓の故郷)を攻撃して太守(郡【県相当】の知事)を降伏させた後に、涼州刺史(広域行政管区監察官)を殺害。涼州刺史の軍の司馬(連隊長)だった馬騰を始めとして、各地で反乱軍が蜂起して韓遂らに合流し、長安に迫ります

2012-05-28 13:39:44
お菓子っ子 @sweets_street

今の日本で言うと、県知事が反乱軍に降服して、数県単位のの広域行政を統括する監察官が殺害され、各地で反乱軍に同調する軍勢が蜂起して、正規軍の連隊長までが合流して皆で首都に進軍しているという有様。この世の終わりのようなカオスです

2012-05-28 13:42:19
お菓子っ子 @sweets_street

董卓は前将軍(中央軍司令官。閣僚相当職)に昇進。戦況が不利なのに官職だけがどんどん上がっていくところが、当時の後漢の切迫ぶりを感じさせますね。董卓は左将軍(前将軍に同じ)の皇甫嵩とともに反乱軍を迎え撃って勝利。反乱軍は責任のなすり合いで分裂して四散しました

2012-05-28 13:47:56
お菓子っ子 @sweets_street

董卓は少府(宮内大臣)に任命され、将兵を皇甫嵩に引き渡すように命じられましたが、「異民族が不安がって引き止めるので、しばらく残って慰撫したいと思います」と上書して召還命令を拒みます。次いで并州牧(広域行政管区総督)に任命されて再度将兵の引渡しを求められますが、これも拒否します

2012-05-28 13:55:16
お菓子っ子 @sweets_street

董卓は二度も召還命令を無視して指揮下の軍勢を手放しません。本来ならば謀反として討伐されてもおかしくないのですが、朝廷は憂慮するだけで手出しができませんでした。宦官と大将軍(国軍最高司令官)何進が皇帝の後継を巡って政争を繰り広げて政治が混乱している最中だったからでしょう

2012-05-28 14:01:05
お菓子っ子 @sweets_street

政局が混迷する中、何進は腹心の袁紹の進言を受け、地方の軍勢を中央に集結させてクーデターを起こそうとします。正規の手続きで首都駐留の軍隊を動かそうとしても、皇帝と官僚の間の文書取次を担当する宦官に握り潰されてしまうからです。そして、皇帝直轄部隊西園軍の指揮権も宦官が握っていました

2012-05-28 14:07:48
お菓子っ子 @sweets_street

何進は地方長官たちに使者を送って中央への派兵を呼びかける一方で、自分の側近を地方に派遣して兵を集めさせます。この呼びかけに応じた董卓は朝廷に対して「洛陽に進軍して、政治を乱す宦官を排除する」と宣言し、三千の兵を率いて洛陽に向かいます。どう見ても内戦前夜ですね

2012-05-28 14:12:35
お菓子っ子 @sweets_street

その時、洛陽ではクーデターを準備していた何進が宦官によって暗殺。クーデターの準備として密かに司隷校尉(首都圏警察長官)に任命されていた袁紹は、虎賁中郎将(近衛司令官)袁術とともに報復として宮殿を攻撃。正規の司隷校尉樊陵を殺害して首都圏の警察権を掌握するとともに宦官を皆殺しにします

2012-05-28 14:21:30
お菓子っ子 @sweets_street

混乱のさなか、皇帝側近の宦官たちは大臣らとともに皇帝を連れて洛陽を脱出。洛陽進軍中の董卓は皇帝一行と遭遇します。皇帝が怯えて泣くのを見かねた大臣が「兵を引くように」と伝えると、「こうなったのは君たちの責任じゃないか。私は兵を引かないぞ」と叱りつけて、皇帝を保護して洛陽に入りました

2012-05-28 14:27:31
お菓子っ子 @sweets_street

洛陽に入った董卓は三千しか兵を持っておらず、首都圏の警察権を掌握する袁紹や、何進が地方から呼び寄せた部隊、もともと首都に駐屯していた部隊などと比べると劣勢でした。そこで董卓は夜の闇に紛れて兵を城外に出し、明け方に「董卓軍の増援である」と入場させるトリックで大軍と見せかけました

2012-05-28 14:35:15
お菓子っ子 @sweets_street

その一方で何進が呼び寄せた并州の兵を率いる執金吾(首都治安軍司令官兼軍需大臣)丁原を主簿(秘書室長)呂布を寝返らせて謀殺して兵を奪い、さらに何進の部下たちを扇動して、弟の董旻と共に何進の弟の車騎将軍(国軍副司令官)何苗を攻め滅ぼさせ、何進と何苗の兵も手に入れ、最大勢力になりました

2012-05-28 14:40:30
お菓子っ子 @sweets_street

圧倒的な軍事力を手に入れた董卓は速やかに洛陽の混乱を収拾した後に、司空(副首相)劉弘を「長い間雨が降らないのは、天が政治を咎めているからだ」という名目(当時は災害が起きると大臣を罷免するのが通例だった)で退任させて、自分がその後釜に座り、4人いる宰相の1人として政権に参画しました

2012-05-28 14:47:43
お菓子っ子 @sweets_street

晴れて政権入りを果たした董卓は「皇帝はひ弱で天下を治めるには相応しくない。暗愚な皇帝を退位させた伊尹や霍光の先例にならって、皇弟殿下を擁立したらどうだろうか」と提案。袁紹や盧植が反対したものの、董卓は皇太后に迫って「皇帝を廃位せよ」との言葉を引き出して、皇弟劉協を即位させました

2012-05-28 14:56:07