お菓子っ子さんが語る、董卓伝~政権掌握まで~
- tetteikaikyou
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董卓は皇帝擁立の功によって軍権を示す節と斧鉞を与えられ、郿侯(県【市相当】を領土とする最高位の貴族)の爵位を授かり、現役の最高位武官である前将軍として、事実上の国軍最高司令官に就任。宦官との政争で処刑された人々を名誉回復して人気を集め、相国(首相)に進み、政権首班になりました
2012-05-28 15:04:20ここまでが董卓の経歴と政権掌握までの流れ。董卓が単なる横暴な軍人ではなくて、気鋭の地方政治家であったこと。後漢政界の末期ぶり。内戦寸前だった状態を鮮やかに収拾した董卓の辣腕ぶりと、それに対する期待がよくわかると思います
2012-05-28 15:09:14てわけで、一休み。次は政権掌握後の董卓の政治について触れるつもりです。こんなクソ長いツイート読んでる子がいるかどうかわからないけど
2012-05-28 15:10:59@yukino_20 董卓の経歴と、当時の込み入った情勢を考えたら、「クリーンな豪腕」に皆が期待する気持ちがわかると思いますよ。何で政権をあっさり握れたのかも
2012-05-28 15:34:50@kashiggggg 後で触れますが、董卓にとっては「何進派の手垢がついてない」というのが重要だったのだろうと思います
2012-05-28 15:36:05ぶっちゃけ董卓の失敗は少帝廃位だと思うな。ただでさえ反感を持ってた袁紹派に大義名分を与えてしまったわけだから。
2012-05-28 15:28:35董卓政権下で、公卿から黄門侍郎の家から一人を郎中として宦官の代わりをさせた。それは当然宦官殲滅のせいでもあるが、桓帝期の尚書朱穆の進言「中常侍はかつて士人(非宦官)を用いました。宦官を除いて士人をもちいるべきです。」というのをふまえた政策かもしれない。
2012-05-28 15:48:12@my_birthday0128 少帝廃位は、当時においてはそれほど董卓の評判を傷つけなかったんじゃないかという気がしています。それに、旧何進派の手垢が付いた皇帝が玉座にいたら、袁紹一派に担がれてしまう可能性もありますし
2012-05-28 15:42:44@sweets_street そのまま少帝であれば、何太后および袁紹ら何進派が董卓の座を奪う可能性があったでしょうから必要な行動でしょう。少帝廃位は董卓の評判は傷つけなくても、袁紹との決定的決裂を招いたことが問題だったと思いす。
2012-05-28 15:54:22@my_birthday0128 妥協は無理だと思いますよ。何進が謀殺された時に、強引に宮中に攻め込んでクーデターを決行したほどの人が、自分が動かせない政権を認めるとは到底思えないですね
2012-05-28 15:56:26@sweets_street ええ、董卓は詰み気味だったと思います。少帝にしろ献帝にしろどちらにしても問題を抱えてしまうわけですから。ただ董卓は袁紹の人脈と行動力を甘く見てたんじゃないかと思います。
2012-05-28 15:59:52@my_birthday0128 甘く見るも何も、正当に評価したらその場で殺すか政権を譲り渡すしか無いですよ。袁紹はそういう人です。本当にヤバイんですよ
2012-05-28 16:02:51@sweets_street いっそのこと殺してしまった方がよかったんじゃないかとw まあそうすると朝廷内にも袁紹人脈がいますから政権運営に支障をきたしてたでしょうが。
2012-05-28 16:04:48@my_birthday0128 董卓のブレーンの多くが袁紹一派ってほどに食い込まれてるから、どうにもならないですね(´・ω・`)
2012-05-28 16:06:31