@ikoishy そうなんですよね、フォローを外される方が結構居て、、まあそれと同程度増えてはいるのですが。そういう観点からすると、共感覚を瞑想で行うというのが広まったらいいなと思ったりします。疲れますが、楽しいので。
2010-06-27 19:13:36@nenten そうですね。楽しいです。僕も瞑想とか疲れるほど徹底的にはやりませんが、知覚と結びつけたイメージ操作は、寝る前とか入浴中とか歩行中によくやります。明晰夢とか見やすくなるし、何より気持ちいいですよね。一時期は金縛りに悩まされましたがw
2010-06-27 19:42:13#kyokankaku 私の意見が共感覚者の典型例だとは思ってないが、先天性の共感覚者として共感覚を超能力とかスピリチュアル系と結びつけるのはやめてほしい。『「超能力は存在する」まとめ』 http:/.. http://togetter.com/li/32021
2010-06-28 04:48:34@Cristoforou 先天性の共感覚と「超能力」やスピリチュアル系の境界はどのようにわけるのが妥当でしょうか? http://togetter.com/li/32021
2010-06-28 18:28:12@Cristoforou あるいは共感覚と言う言葉をいっさい使わずに、言葉を新たに定義して使うのが望ましいでしょうか? 配慮が足りず申し訳ないと思っています。
2010-06-28 19:08:06@nenten あんまり参考にならないかもしれないけど…「『共感覚』―“オーラ”は“共感覚”か?」ということについて書いたブログです http://bit.ly/bjQFwW
2010-06-28 23:17:21ということで(詳しくはとぅぎゃのコメント欄参照)「共感覚」以外の言葉を作る。「感覚結合」「意味結合」「認識結合」はい、できた。これら三つを以下のようなものだとする。
2010-06-29 00:54:25感覚結合とは、ある感覚的刺激/想起を、1つあるいは複数の感覚として認識化する仕組みであり、一例として共感覚や、瞑想時に意図的に作り上げた認識の枠組みの一つとして存在する。意味結合とはたとえば、ある事象に対する論理的操作のように、何らかの意味から新たな意味を認識化する仕組みを指す。
2010-06-29 00:54:48認識結合とは、例えば音の響きや文字などから意味が想起される言語的認識のように、感覚と意味の横断的な合成による認識化の仕組みを指す。
2010-06-29 00:56:24通常人間の認識において、感覚に対して意味を全く感じ取れない、あるいは意味は分かるがそれを感覚的(シンボル的)に表現できないということは、あまり多くあることではなく、大抵が感覚結合と意味結合の合成としての認識結合の中で生きている。
2010-06-29 00:56:30全ての認識の特徴を切り分けるなら感覚とか意味とかあるよね。感覚的な情報変化には、よくある五感的な知覚や共感覚的な知覚や、それを意図的にまねてみる瞑想や、頭の中でイメージした声とか映像があるよね。意味的な情報変化は論理とかよばれるものがあるね。これらの集まりって認識に含まれてるよね
2010-06-29 02:52:20この用語はとぅぎゃの上の方に書いた「意味の弱い/強い幻覚」と、大体同じになっているので、共感覚という言葉を使いたくない方は、こんな感じのを適宜置き換えたり説明しやすいように言い換えるなりしてやってみたらどうでしょうか。
2010-06-29 01:01:33共感覚って言うより、感覚結合が存在する。って感じでよろしく。共感覚でもあるし、共感覚にインスピレーションを受けてやってみた瞑想をも含む概念が感覚結合で、これは生まれつき持っている部分であると同時に後天的に(瞑想や夢を見てるときのように)揺らがせることができる枠組みね。
2010-06-29 01:12:19「他者の心が聞こえる」という経験は、感覚や記憶の中の情報を利用して、無意識的に推測し、その結論を音声としてに認識上に出力するということで説明できる。そのような現象は実際、統合失調症などに見られ、無意識的な推測能力が高ければ、聞こえた声の妥当性はより高いものになる。
2010-06-29 01:59:44ここで、無意識的な推測能力というのは、意識していない脳機能的な意味結合の働きで、これと、意味から音声への言語的な感覚結合が意図せずに働くことで、まるで相手の心が聞こえるかのような認識が生じることになる。
2010-06-29 02:16:11共感覚が、何か特別な幻覚であるという認識に、共感覚者は敏感にならざるを得ないのかもしれない。僕が言ってる幻覚はあらゆる認識のことだから、もう幻覚という言葉を使わないことにした。そして、統合失調症についても、幻覚という言葉を使わないことにした。
2010-06-29 02:45:07認識の仕方に関する特殊性を、霊感や超能力であるとか、ないし障害であるとか、あたかも感覚が他の人間より一種類以上多いかのような言葉で表すことには違和感がある。見えればそれは在るのであり、それ以上の頼りが無い程度に全ての色(実在)は空(虚構)である。見方は多様だが見る行為は一種類だ。
2010-06-29 01:03:59