「音を手探りするように、ウルリヒは寝惚けて這い出すような呼びかけを指で辿り、和音の中からよろばいながらにじりよる応答の欠片を繰り返した。漸く探り当てたと言わんばかりの和音は、殆ど身体的な痛みを伴っていた。(ミノタウロス文庫版P282)」
2011-01-30 19:04:03「ぼくはその曲を知っていた。ポトツキの家で——あの薄気味悪い客間で、何とか言うピアニストが弾いたワーグナーの前奏曲だ。(ミノタウロス文庫版P282)」
2011-01-30 19:05:33「何とか言うピアニスト」というのは二度出てくる。ただの「ピアニスト」ではなく「何とか言うピアニスト」。何かいわくありげ。実際には名前があるのにぼかして書いてるように思う。
2011-01-30 19:10:53といっても、彼は『トリスタンとイゾルデ』をレパートリーにはしていなかった筈で、最晩年に録音しているだけ。それに、ホロヴィッツは1903年生まれ。1912年にキエフ音楽院に入学してるので、大金持ちの家で私的な演奏会を開いてもおかしくはないものの、時代が少し合わない。
2011-01-30 19:18:01ネイガウスもリヒテルもウクライナ出身か。チェルカスキーなんかもいる。名前をぼかしてるのは、そういった名ピアニストたちを1900年前後に大量に排出したのを背景にしてるのかな。
2011-01-30 19:32:48『ミノタウロス』は「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という有名なテーゼへのひとつの解答ではないだろうか。そうだとすれば、ヴァシリは逆説的ではあるが非常に倫理的な人物なのかもしれない。
2011-02-02 21:21:18ヴァシリはワーグナーやドストエフスキー、シェイクスピア等を腐してみせるが、これはどこまで本心なのだろう。わからない「ふり」をしているのではあるまいか。
2011-02-02 22:25:05で、なぜヴァシリが倫理的なのかというと、彼はその教養で、自らの行いを『ロリータ』のハンバート・ハンバートのように、弁明に用いることも可能だった筈。でも、ヴァシリはそれをしない。剰え、教養を否定してみせる。
2011-02-03 17:32:43「幾ら知能が高くても、ぼくは本質的にけだものだ」という言葉は、ハンバート・ハンバートにも当てはまる。『小説のストラテジー』の枠組みを借りれば、これは回想と告白の違いなのかもしれない。
2011-02-03 17:33:08あー、岡和田晃さんが注意を喚起している『ミノタウロス』終盤の『金』はゾラの『金』か。で、『戦争の法』の冒頭でも引用されているのもこれなのか。
2011-02-05 12:06:31@portunus69 エッセイでも何回か『金』は言及されたような……ただ、うろ覚えです。そういえば、『トリスタンとイゾルデ』を弾いたピアニストの謎は私も気になっていました。
2011-02-11 21:40:27