美学校特別講座「中ザワヒデキ文献研究番外篇」第二回

美学校にて2012年6月より毎月第一、第三水曜日に開催されている「中ザワヒデキ文献研究番外篇」の第二回。 開催日:2012年6月20日 前半で読み進めた文章↓ 続きを読む
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ひらま @qwertyu1357

その前身の「パンリアル」は1948年3月に陶芸家2名を含む8名で結成され、その語の意図は、リアリズムの「リアル」に「汎」の接頭辞を付すことによって、抽象表現をも包含することでした(本書1c参照)。” #番外

2012-06-21 03:16:53
ひらま @qwertyu1357

中ザワ「リアリズム論争の所ですね。前衛芸術もリアルなのだと言い出す人も出てきたわけです。民主主義芸術でもなく前衛でもなく、また別のリアルということを言ったわけです。それを受けてパンリアルと言ったのではないかと言えるわけですね。」 #番外

2012-06-21 03:17:06
ひらま @qwertyu1357

”陶芸家2名は1948年7月に走泥社を興した八木一夫と鈴木治で、両名はパンリアル美術協会には加わっていません。パンリアル美術協会には三上誠、不動茂弥のほか、星野真吾、大野俶嵩、下村良之介らがいました。” #番外

2012-06-21 03:17:18
ひらま @qwertyu1357

中ザワ「パンリアルの話はもう終わりです」 #番外

2012-06-21 03:17:25
ひらま @qwertyu1357

”日本の書道とアンフォルメルの関係はもっと密接でした。1951年に書家の森田子龍が創刊した「墨美」第一号には二つの特集が載せられ、一つは「書道五十年史」でしたが、もう一つはアメリカ抽象表現主義の画家フランツ・クラインの紹介でした。” #番外

2012-06-21 03:20:35
ひらま @qwertyu1357

”たしかにフランツ・クラインの作品は、字体を崩し始めた日本の前衛書道に外見が似ていました。一方、アンフォルメル絵画に外見が似ていた森田子龍の作品は、早くからミシェル・タピエの関心を喚んでいました*2e3 *2e4。” #番外

2012-06-21 03:20:40
ひらま @qwertyu1357

”互いの類似に気づいた欧米のアンフォルメル画家たちと日本の前衛書家たちとの間には双方向的な影響関係が生まれ、それは、日本美術界に起きたアンフォルメル旋風においても注目されました。” #番外

2012-06-21 03:20:47
ひらま @qwertyu1357

”すなわち書道という東洋の伝統と、アンフォルメルという西洋の現代との間に関連性を指摘することが、日本の画家たちにとっては、アンフォルメルの追求を異文化への追随でなく自文化の継承であると正当化する口実となったのでした*2e5。” #番外

2012-06-21 03:20:54
ひらま @qwertyu1357

”「アンフォルメルをめぐって」と題された1957年の「美術手帖」の誌上座談会には、「西洋と東洋・伝統と現代」という副題が添えられました。当時の関心が如実に顕れていたといえるでしょう。” #番外

2012-06-21 03:21:02
ひらま @qwertyu1357

中ザワ「では注の所を読んでいきましょう」 #番外

2012-06-21 03:21:11
ひらま @qwertyu1357

”*2e3 ミシェル・タピエのアンフォルメル理解の中には、西洋近代主義の行き詰まりの打開という考え方がありました。” #番外

2012-06-21 03:21:23
ひらま @qwertyu1357

”しかしそれは、東洋趣味という異文化搾取に変形された側面もあったといえるでしょう。どのみち日本人にとっては、ミシェル・タピエと考えを同じくすれば、アンフォルメルの追求が西洋近代批判を意味することにもなりました。” #番外

2012-06-21 03:21:34
ひらま @qwertyu1357

”*2e4 なおアンフォルメルの語は、フランツ・クラインやジャクソン・ポロックらのアメリカの抽象表現主義に政治的に対抗する言い方として、ヨーロッパの画家を念頭に使われた側面がありました。” #番外

2012-06-21 03:21:46
ひらま @qwertyu1357

”ところが政治的あるいは非政治的にアメリカの画家も含む概念としても使われており、まったく非政治的に抽象表現主義と同義とされることもありました。当時の日本での認識は後者だったようです。” #番外

2012-06-21 03:21:55
ひらま @qwertyu1357

”*2e5 東洋では伝統的に書道と絵画は同じものとされ、「書画」と称されてきました。また、漢字は象形文字なので、書道はもともと絵画だったという指摘も可能です。書道と絵画を分別する現代西洋の常識は、東洋の伝統にはもともとありません。” #番外

2012-06-21 03:22:03
ひらま @qwertyu1357

不動茂弥です。”パンリアル美術協会の日本画家の多くはアンフォルメルに触発され素材への関心からコラージュ表現に進みました。なかでも不動茂弥は、梵字や漢字で埋められた紙片を曼陀羅状に貼り付ける特異な作風に至りました。” #番外

2012-06-21 03:22:45
ひらま @qwertyu1357

中ザワ「素材への着目からコラージュに向かうという流れが、日グラで起こったんですが、、それが日本画でも起きていると言うことがここで読み取れることができるわけですね。」 #番外

2012-06-21 03:22:54
ひらま @qwertyu1357

比田井南谷です”1945年、比田井南谷は書道の歴史の中で初めて「自覚的な文字を書かない書」を書きました。これは「書は線の芸術である」という考えを押し進めた結果でした。” #番外

2012-06-21 03:23:03
ひらま @qwertyu1357

”ところで陶芸の分野では、1954年、八木一夫の作品を見た鈴木治が壺の口を閉じようと決心しました。これは単純に造形が目指された結果でした。” #番外

2012-06-21 03:23:11
ひらま @qwertyu1357

中ザワ「モンドリアンの抽象は意味を高めるためのものなのですが、アンフォルメルの場合は物質を精神に従属させないわけです」 #番外

2012-06-21 03:23:17
ひらま @qwertyu1357

以上になります。ありがとうございました~

2012-06-21 03:24:13
MAYA @uyuyu_uyuyu

書道と絵画の話で、ズレるかもしれないけど、フランツ・クラインよりちょっと時代は後になるけど、私は、Brice Marden好きでした。彼は書に触発され、文字を線に還元し絵画として見せるような仕事をしました。ミニマリズムに書の要素が入り込んだような作品。#番外

2012-06-21 03:42:38
MAYA @uyuyu_uyuyu

あと、アンフォルメルと書道に触れられているところでアンリ・ミショーが出てきてないのは意図的なのかもしれないけどミショーも思い出す。あと同じくベルギーの詩人で画家のクリスチャン・ドートルモンも個人的に好きだわ。#番外

2012-06-21 03:46:01
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