@kurmacf @bakagane 現代のように申告させるシステムないから、毎年年貢の額を算定するのはそれだけで大仕事になりそうですね
2012-07-07 22:43:50後北条の時代ですが、武蔵の百姓が、「新田を開いたので検地(所有者を自分にする)して欲しい」と訴えでて、そのあたりの土地を持つ武士が検地を阻んだというトラブルでは、最終的に検地をしたことで百姓2人がそこそこの土地を得て百姓代官になったとあります。(『百姓の江戸時代』)
2012-07-07 22:45:08@trinh_JP @sweets_street 江戸時代の地方(じかた)書には、「すべて寄せ集めたるを辻という」「集めるという義なり」などとあるようです。
2012-07-07 22:46:37@HighTaka その武士は、10年前に大ざっぱな「あのへんはお前のものだからー」というのを太田資正から書状でもらってたので、所有者が確定しない限りかなり好きなようにする権利があったみたいです 『申すに任せ出し置き候』だそうで
2012-07-07 22:49:14@sweets_street @bakagane ですので、享保の改革で定免法に移行することになります。
2012-07-07 22:49:32@kurmacf @bakagane 収穫に左右されるから税収安定のためにやったと思ってましたが、経費や手間を省くというのもあったんですね。むしろこっちの方が大きいかも
2012-07-07 22:52:12@kurmacf @trinh_JP @sweets_street 横から失礼。「辻」って後北条の文書でよく出てくるようになったという印象なのですが、そうだとすると一種の関東弁なんでしょうかねえ?
2012-07-07 22:56:30@bakagane なるほど、でほっといたら開墾されてて「所有権承認してー」といわれてあせったと。あいまいな土地の区割りで今でも時々あるトラブルですよね
2012-07-07 22:57:10@takkawato @trinh_JP @sweets_street 後北条の文書に頻出するのは仰る通りなんですが、『日本国語大辞典』の高辻の用例は、天正19年の秀吉条目(高野山文書)となっています。ですので、近畿、特に近江でも使われていたものと思います。
2012-07-07 23:01:17@wdaimon @kurmacf @trinh_JP @sweets_street なるほど。特に地域偏差はないようですね。「辻」という言葉は、突き詰めて考えると語源のよくわからない不思議な語です。国字ですし。
2012-07-07 23:04:43@takkawato @wdaimon @trinh_JP @sweets_street 『日国』で「辻」を引くと、四番目に「物の合計。または物事の結果」とあり、用例に鵤荘引付と地方凡例録。前者は明確に合計としか訳せず。後者には「字義、会也、物の集りたる形…道の出会集る意也」と。
2012-07-07 23:42:02@kurmacf @wdaimon @trinh_JP @sweets_street 16世紀の事例のようですね。「物の合計」としての「辻」という言葉は、やはり戦国期に使われるようになったのでしょうかね。
2012-07-07 23:57:59@takkawato @wdaimon @trinh_JP @sweets_street 中口久夫氏は「中世における「高」の用例は「高頭・高辻」など複合語が多く、単独での頻用が始まるのは豊臣政権」と。高頭は日国では実隆公記長享元年条が凡例。中口氏のいう中世が戦国ならよいのですが。
2012-07-08 00:10:49@wdaimon @takkawato @trinh_jp @sweets_street 日国が引用してないところをみると、ないのではないかと推測。
2012-07-08 00:12:54