「いじめの責任は教師にある」ということの本当の意味

子どもの欠点を公然と指摘できる教師のクラスは、明るくなる。子どもの欠点を隠そうとする教師のクラスは、暗くなる。
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福嶋隆史@ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo

はい。 RT @jj555jj: @FukushimaKokugo 現に誰もが、能力や性能やデザインで、ブランドや製品を購入しているはず。なにより外見の快・不快は皆が一律ではないだろうし、受け手の主観を完全に否定する【「人の顔で判断するな」派】が一番ラベリング先行主義者。

2012-07-10 16:14:59
福嶋隆史@ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo

障害も個性、まあそれは間違ってはいない。しかしそれならば、受け入れがたい個性があるのと同じように受け入れがたい障害もあるということになる。これまた当然。

2012-07-10 16:19:45
福嶋隆史@ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo

「障害も個性」という言葉には、「障害は全て受け入れるべきもの」という圧力を感じざるを得ない。RT @fukushimakokugo 障害も個性、まあそれは間違ってはいない。しかしそれならば、受け入れがたい個性があるのと同じように受け入れがたい障害もあるということになる。当然。

2012-07-10 16:23:32
福嶋隆史@ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo

欠点は、それを隠そうとしたときに初めて欠点になる。

2012-07-11 21:18:24
福嶋隆史@ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo

教師がその生徒の「欠点」に触れないようにし、隠そうとしたときに初めて、他の生徒はそれを「欠点である」と認識あるいは確信する。一方、教師がその生徒の「欠点」を公然と指摘すれば、他の生徒はそれを欠点であるとは認識しない、あるいは欠点じゃないのかもと思い始める。

2012-07-11 21:27:40