詩人の城戸朱理氏による高橋源一郎氏批判とその反応 2

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9y @__9yZ

逆に言えば、彼にはそれくらいしか信じられるものがないのかもしれないね。なんて門外漢が言ってるけれど、そもそも、門外漢が現代詩の選考委員やってる時点で門外漢じゃないじゃん、っていう。

2010-07-11 00:25:01
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」12・たとえば「現代詩文庫」の最初の100人ぐらいなら公刊された詩はほとんど読んでいるだろう。おれは、生涯に読んだ詩集の数を計算しようとしたことがある。5千冊と1万冊の間でたぶん後者にかなり近いんじゃないだろうか。それでも「ふだん詩を読まないのに威張るな」といわれるが。

2010-07-11 00:25:14
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」13・おれはそうやって詩を読みながら不満をつのらせていった。だが、困ったことに、その不満の理由が長い間わからなかった。おれの感受性がもう古いのだろうか? それとも、詩の方がおかしくなったのか? おれが、自分に対して説明できるようになったのは、最近のことなんだ。

2010-07-11 00:26:35
9y @__9yZ

読んだ数とそれが詩として理解できているか、には絶対的な差があるはずです。 RT @takagengen: 「門外漢」12・たとえば「現代詩文庫」の最初の100人ぐらいなら公刊された詩はほとんど読んでいるだろう。~それでも「ふだん詩を読まないのに威張るな」といわれるが。

2010-07-11 00:27:35
なつめ @na2me321

批判は批評と違って喧嘩売ることだから、勝ちたきゃ材料揃えるのは当たり前だけど、ここで騒いだ人たちは勝つために挑んできたんじゃなく、負け犬の遠吠えしてるだけなんじゃないのかなあ。 QT @takagengen: …誰かを批判する時には、そいつの主要著作ぐらい読んでからするものだ…

2010-07-11 00:28:07
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」14・ところで、1990年代に入った頃だ。おれは『ゴーストバスターズ』という小説を書き始め、そして作家として深刻な危機に陥った。おれは確かに「書きたい小説」を書いていた。しかし、おれが書いているのは、ほんとうに「書かれるべき小説」なんだろうか、という声が絶えず聞こえた。

2010-07-11 00:28:35
9y @__9yZ

いやまあ、詩は本当に門外漢だから困るけど、小説だって同じじゃないかなぁ? 読めない人は読めないし、読める人は読めてしまうし。自分は前者ですけど。

2010-07-11 00:28:53
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」15・もちろん当時のおれは「書かれるべき小説」なんて言葉は使っていなかった。「おれの小説に、ただ書きたい小説、という以上の意味や価値があるのか」と思ったんだ。つまらない悩みだというやつもいるだろう。そんなことで悩んでいる暇があったら、無心で書け、と。

2010-07-11 00:29:58
綾門優季 @ayatoyuuki

源ちゃん熱い…。灰になりそう…。

2010-07-11 00:30:10
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」16・おれには、それができなかった。その声を無視できなかった。だが、それは、なにかを表現しようとする者が必ず聞いてしまう問いだと思う。「ただ絵を描く」「ただ曲を作る」「ただ小説を書く」「ただ詩を書く」、その先に、それ以上の「有用性」が問われるのだ。

2010-07-11 00:31:22
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」17・だが、その「有用性」は、「売れる」とか、「人に知られる」ということを、直接には意味しているわけではないことを知ってほしい。困惑したおれは、それでも小説を書きたかった。小説を取り上げられることは、おれにとっては死を意味していたから。

2010-07-11 00:32:38
m @Entwurf

「詩として理解」というのがもう詩じゃないんだよね。プーシキンが亡くなったとき長蛇の列をつくった民衆はだれひとり詩として理解などしていなかった。

2010-07-11 00:33:38
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」18・だから、おれはおそろしくアホなことを始めた。近代日本文学がこの百数十年でどのように変化していったかを「すべて」調べ、それがどこに向かおうとしているのかを調べ、その流れの中で自分の小説がどこにいるのかを探ろうとしたのである。バカだ、こいつ……。

2010-07-11 00:34:32
ns @asebami

話がそれてきたw 

2010-07-11 00:36:56
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」19・1997年に「日本文学盛衰史」の連載を始めてからずっと、おれは、近代日本という時代、その時代と共に走り続けている「日本語という共同体」について読み、眺め、考えている。『日本文学盛衰史』550頁、『ニッポンの小説』450頁、(未刊の)『ニッポンの小説・2』700頁。

2010-07-11 00:37:04
綾門優季 @ayatoyuuki

ああ…もう…絶対にきれいに決着はつかない…誤解が誤解を呼ぶ現代詩問題…きゅうきゅう(汲々とした僕のなきごえです)。

2010-07-11 00:39:15
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」20・そしていま連載中の「日本文学盛衰史・戦後文学篇」まで、おれはざっと5千枚も書いてきた(捨てたものも多い)。そして、なんとか、この「日本語という共同体」について、おれのイメージを掴めたと思っている。「でも、日本語をすべて読んだわけじゃないでしょ」なんて言うなよな。

2010-07-11 00:39:18
ns @asebami

@senami_asato ああ、でも高橋さんは中也賞の選考委員だから、ぺーぺーは文句言えないんだと思います。圧倒的に力関係に差がありすぎて。

2010-07-11 00:39:21
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」21・その5千枚は、おれの、「言語」に関する「資本論」だ。そんなものなしでもいくらでも書けるやつは書けばいい。おれには無理だと言ってるだけだ。誰もおれにはっきりとは説明してくれなかっので、おれは自分に説明するために、長大な「資本論」が必要だったんだ。

2010-07-11 00:41:05
m @Entwurf

小説にとって批評は外にあるけど、詩にとって批評が中にあるのが問題。詩論は詩で書かれ、詩が詩論となっている。

2010-07-11 00:43:32
高橋源一郎 @takagengen

「門外漢」22・おれの「日本語という言語」に関する「資本論」は、小説と詩を両輪としている。それに短歌が少々。俳句には手が回らなかった。それでもおれには十分だった。そこでおれが独力で発見したのは、ある意外な事実だった。小説では90年代以降、短歌では80年代から暫時90年代にかけて…

2010-07-11 00:43:33
@tamanoirorg

日本語と言う共同体、とか勘弁してほしいな。

2010-07-11 00:44:56
9y @__9yZ

ふむふむ。でもたいていはそういう感じですよね。 RT @Entwurf: 「詩として理解」というのがもう詩じゃないんだよね。プーシキンが亡くなったとき長蛇の列をつくった民衆はだれひとり詩として理解などしていなかった。

2010-07-11 00:45:37
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