@jiei_yushi001 それはよくわかります。空海の「法身説法」の思想とも響き合いますよね。御指摘の「本覚思想にハマる危険」というのも、そこから考えればよくわかります。
2012-08-09 01:53:48@neetbuddhist スマナサーラ長老が以前、禅で言う「ブッダ」というのは真理のことであって、テーラワーダではそれは違うと(多分皮肉を込めて)云われていましたが、実は何気に本質に触れていたことになります。
2012-08-09 01:53:49@jiei_yushi001 わかります。しかし、『法華経』の阿羅漢に対する授記に、そういう意味での「仏」の思想を読み取ることができるかなあ。もちろん『法華経』の教主は久遠実成の法身仏で、「諸法実相」の思想も説かれてはいるけれども。→
2012-08-09 02:04:50@jiei_yushi001 →というのも、「山川草木悉皆成仏」「有情非情同時成道」というのは、和尚も既に御指摘のとおり、「将来いつか成ることが約束されている」ものではなく、既に私たちがそうであるところのものですよね。私たちにできることは、→
2012-08-09 02:06:32@jiei_yushi001 「自己をならう」ことで、「万法に証せらるる」ことだけ。だから曹洞禅では「見性成仏」を言わない。すごくよくわかるけど、『法華経』の釈迦牟尼仏が、そういう「仏」なのかどうか。いや、そうなのかも知れないですね。ここはちょっと、私のレベルではわからんです。
2012-08-09 02:09:22@neetbuddhist 正直わたしもわかりません。しかし私は「時間」の概念がカギなのではないかと、アタリをつけてます。時間については、アビダルマにいくつも伝統があれど、イマイチよくわからない。
2012-08-09 02:10:56@neetbuddhist 瞑想中、時間の感覚が変わることは誰しも経験しています。時間というのは、絶対的な基準がない。道元禅師で多くの人の注目する部分に正法眼蔵「有時」巻というのがありますね。
2012-08-09 02:12:13@neetbuddhist あそこでは有(bhava)そのものが時間だと道元禅師が語っている。存在するということが時間だというんで、ハイデガーの本みたいだということで、いろいろと持ち上げられてますね。
2012-08-09 02:13:17@neetbuddhist 道元禅師の時間の観念というのは面白くて、というか本来瞑想とか禅をしているとそういうものなのかもしれませんが、時間は、私たちは、過去から現在、未来へと進むものだと無批判に思い込んでいます。
2012-08-09 02:14:40RT @jiei_yushi001: @neetbuddhist 道元禅師の時間の観念というのは面白くて、というか本来瞑想とか禅をしているとそういうものなのかもしれませんが、時間は、私たちは、過去から現在、未来へと進むものだと無批判に思い込んでいます。
2012-08-09 02:15:52@neetbuddhist しかし本当にそうなのか。私たちは未来へ進んでいるのか、実は過去に向かっているのかもしれない。こういうところが、瞑想中にぐにゃぐにゃになります。妄想でしょうけれどもね。
2012-08-09 02:16:20@neetbuddhist 道元禅師は、目指すべき地点のいまここを、久遠実成の釋迦牟尼佛に置いている。それは、遠い過去に成仏したはずの出来事です。どういうことかというと、
2012-08-09 02:18:16@neetbuddhist 未来というのは不確定です。しかし「過去」というものは変わらない。だから「私たちの成仏は確定している」これは、
2012-08-09 02:19:53RT @jiei_yushi001: @neetbuddhist しかし本当にそうなのか。私たちは未来へ進んでいるのか、実は過去に向かっているのかもしれない。こういうところが、瞑想中にぐにゃぐにゃになります。妄想でしょうけれどもね。
2012-08-09 02:20:11