@kimkeio先生の恋愛寺子屋

読書の秋、恋愛の秋。うん、恋愛寺子屋の秋ですね。
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ジョン・キム @kim_firenze

恋愛においては真実や事実よりそれらに対する解釈や空想の方が力を持つときがある。特に恋愛の初期には。

2010-09-27 22:24:42
ジョン・キム @kim_firenze

愛を表現するということは常に不完全である。そのため終わりなき確認の連続への誘惑に陥るが残念ながら人間には自分の愛を表現するそして相手の愛を確認する完全なる手段は用いない。

2010-09-27 22:21:42
ジョン・キム @kim_firenze

恋愛とは自分独りでは完結しない人生においてもう片方の自分を探し求める行為である。

2010-09-24 23:43:03
ジョン・キム @kim_firenze

それに対しTweeter上で思わぬ反響があり、僕は誰も読まないだろう真夜中に恋愛論を書き始めたのだった。公的な場で学者が恋愛論を論じることに批判もあるだろうがそういうのは宿命と受け止め乗り越えます。ご期待下さい。

2010-09-23 19:57:50
ジョン・キム @kim_firenze

それに対し、私が次のように反応してしまった→ [恋愛とは内面を侵略され統制できない度合いに応じて深い喜びや時にはどん底の喪失感を味わうものでとても美しい行為である。]

2010-09-23 19:53:02
ジョン・キム @kim_firenze

@matsubara_s 先生から「恋愛」を除いた金先生、かわゆいかも。これ、理論、個人的経験?今度お会いしたときに伺いたく @kimkeio ただし恋愛は除く」という突っ込みに反応したのが始まり。

2010-09-23 19:52:06
ジョン・キム @kim_firenze

半年程前の私の「他者からの絶対不可侵領域としての内面的な完全独立状態を一刻も早く手に入れること(ただし恋愛は除く)」という呟きに対し、

2010-09-23 19:51:19
ジョン・キム @kim_firenze

まさか私が恋愛本を書くことになるとは夢にも思わなかった。全ての発端は、

2010-09-23 19:50:52
ジョン・キム @kim_firenze

恋に落ちるには現実そのものよりも「現実に対する解釈における想像力」が重大な役割を果たすがのちにそれは恋愛対象に対する疑い深さを増大させる力にもなる。

2010-09-17 01:24:02
ジョン・キム @kim_firenze

社会性は恋愛の対極にあるもの。社会性・道徳・倫理に対し後ろめたいところに羞恥心というのが存在するが実はその羞恥心の存在こそが恋愛を無限にときめく世界へといざなうのである。いわば羞恥心の度合いと恋愛の激しさは比例する。その社会的是非はともかく。

2010-09-17 01:15:53
ジョン・キム @kim_firenze

恋愛主体は恋に落ちた瞬間から自分と恋愛相手の間で起きる全ての出来事は偶然ではなく必然だと思い込みどんなに些細なことに対しても大げさな意味付けをしたがるものだ。

2010-09-17 01:10:02
ジョン・キム @kim_firenze

恋する乙女は臆病者である。本当に好きで大事な人の前で素直になる勇気を持ちにくいのはありのままの自分を表現することに起因する失敗の可能性やその代償が大きすぎると思うからである。

2010-09-17 00:59:43
ジョン・キム @kim_firenze

時間に代表されるリソースが限られた中でリストアップされた全てのタスクをこなすことは不可能で望ましくもない。優先順位付けの徹底に基づき常に最も優先順位の高いことに全ての心血を注ぐ割り切った選択と実行が出来るかどうか。

2010-09-05 21:41:01
ジョン・キム @kim_firenze

そして目的を達成した男性はもう少し忍耐強く過程を楽しめれば良かったと後悔する。 RT @love_career: 恋愛において、男性は目的志向で女性は過程志向・・なるほど。 RT 恋愛の夏季特訓講座、第二弾!@kimkeio先生恋愛寺子屋 http://bit.ly/bpvMvZ

2010-08-31 12:44:25
ジョン・キム @kim_firenze

恋は綺麗なものだけを見たがる利己的なものであるのに対し愛は綺麗なものもそうではないものも受け入れる寛容さがある。愛は理解や思いやりを必要とするが恋は一方的な思い込みで構成されており理解や思いやりのための余裕など存在しない。統制できない自分の気持ちのことで精一杯なのである。

2010-08-22 03:57:04
ジョン・キム @kim_firenze

恋の前に愛はなく愛の後に恋はない。もし愛の後にもう一度恋が訪れた場合その時の愛の炎は限りなく熱くいつまでも長く燃え続けるはずである。

2010-08-22 03:55:50
ジョン・キム @kim_firenze

そこで恋愛のプロは恋愛の成立がそこに見えても急がずあえて遠回りをし不安定で予測不可能な状態が持つ未来の進行経路の無限性の存在やそこからくる期待と不安というある種のときめきを喜びとして感じることが出来る。

2010-08-22 03:44:41
ジョン・キム @kim_firenze

一旦愛を手に入れた後になってはじめてもう戻ることの出来ない恋愛成立前のあの不安定な状態が如何に素晴らしかったのかを思い出し悔やむのである。

2010-08-22 03:41:28
ジョン・キム @kim_firenze

しかし人間は近視眼的なもので不安定な状態での愛への情熱を吟味することが出来ずその状態から抜けだし安定状態へ向かうための言動を行いその結果として時に愛を手に入れることもあるが

2010-08-22 03:41:06
ジョン・キム @kim_firenze

少々の確認は燃える愛にガソリンとなれるが行き過ぎた確認は水となる。

2010-08-22 03:38:30
ジョン・キム @kim_firenze

燃える愛には不安定性や苦悩が必要不可欠である。完全予測・完全統制が可能な状態では燃える愛は成立しないのだ。付き合う期間が長くなりそして相手の自分に対する愛情を確認すればするほど不思議なことに愛に内在する情熱は知らぬ合間に逃げていくものだ。

2010-08-22 03:37:38
ジョン・キム @kim_firenze

本気である場合は戦略的な駆け引きを使いこなせない。なぜなら本気の場合は相手に夢中になってしまい自己統制が難しい状態に陥るので冷静で客観的な言動が出来ず近視眼的にしかなれないからである。

2010-08-22 03:33:52
ジョン・キム @kim_firenze

本気の相手に素直になれないのが乙女心。相手への思いが強ければ強いほど自分の言動によって生まれる相手の受ける印象を気にするあまり自分らしくなれない。この場合本気度と恋愛成立度は反比例する傾向がある。

2010-08-22 03:31:51
ジョン・キム @kim_firenze

この種の人達は自分が求めているのが愛することであって愛されることではないということをはっきりとわかっている。つまり届かない相手を追い求める自分に陶酔しているのである。

2010-08-22 03:27:35
ジョン・キム @kim_firenze

恋する相手の獲得には興味あるが獲得した途端に相手に対する興味を失う人がいる。そういう人は追いかけたい対象が必要なわけで自分のために立ち止まって歩調を合わせてくれる相手を求めてはいない。相手を手に入れるためというよりは追いかけること自体に喜びを感じるのである。

2010-08-22 03:24:34
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