ほしおさなえさんの140字小説2
- akigrecque
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曇っていて、町は静かだった。さらさらと水の音が聞こえて来る。耳を澄ます。マンホールの下から聞こえてくるらしい。地下に水が流れているのだ。下に血管のように水の道がはりめぐらされていると思うと、町が生き物のように思える。身体の上を歩いていく。家々もひっそりと息づいているように見える。
2012-09-13 13:25:59雨の山道を歩いている。ひとりぼっちで、心細い気持ちがふくらんでくる。自分がしてきたことが正しかったのかわからなくなりながら、雨音をきいている。井戸に着く。底の水に星が光っている。もう会えない人たちが雨や光になって会いに来てくれたのだと気づく。鳥が鳴く声がして、空が晴れて来ている。
2012-09-13 20:30:47活字屋に行った。むかし、うつくしい文章に出会ったのです、と店主は言った。ふさわしい字を作りたくて、何十年もかかりました。ようやく完成したというのに、その文章が思い出せないのです。さびしそうに言って活字を出した。鉄色の活字は一字ずつがうつくしく、組まれることを拒んでいるようだった。
2012-09-14 17:20:07その街の人は巻貝の中に住んでいるらしい。ここはもともと海のすぐ近くにあったのです、と貝を持った人が言った。貝の中では海の音が聞こえるんです、海がなくても響きが貝にしみこんでいる。でもどうやってあの小さな貝にはいるのか。夜になり人影がなくなる。みな貝の中で螺旋の形で眠っているのか。
2012-09-15 08:38:07おもちゃの電車が走っている。息子のものだったが成長してもう遊ばなくなった。かたんかたんと音がして、いつのまにか駅にいる。電車がやってくる。乗り込む。走り出す。外に街が見える。遠くでだれか遊んでいる。子どものころの僕と息子だ。通り過ぎてゆく。気がつくと部屋にいる。夕日がさしてくる。
2012-09-16 09:08:59駅前で、空気の地図というものを渡された。広げてみると、ふんわりした渦がいくつも書かれている。こんなもの、なにに使うんだろう、と思ったが、見回すと、同じ地図を持った人たちが熱心に地図を見ながらあっちこっちに歩いている。みんなどこに行くのか。地図に書かれた渦を見つけることもできない。
2012-09-19 15:41:07押し入れにもぐっていく。湿った木の匂いがする。黴とか変な虫に出会うんじゃないかとどきどきする。雛人形もへその緒もみんなこの上の天袋にしまわれているらしい。ふかふかのふとんにもぐりこみ、丸まっているうちに眠っていた。へその緒になった夢を見て、切られそうになったところで目が覚めた。
2012-09-19 15:42:03畳の上に大の字になって寝転がる。すだれから漏れて来た光が腕に筋をつくる。すうと息を吸い込むと、畳の匂いがする。ひぐらしの声がする。もう夏がすぎていくのだ。こうして寝転がっていると、夏に溶けて身体がなくなっていくようだ。死ぬ間際に好きなものを食べられるなら、水羊羹にしようと思った。
2012-09-19 20:59:45古い図書館に行った。壁一面の本を眺めながら、ここにある文字はすべてかつてだれかがが刻んだものなのだ、と思う。空中になにかが光っている。言葉が羽ばたいて活字から抜け出し、宙を舞っているようだ。人類が滅んで文字を読む者がひとりもいなくなっても、言葉はここで羽ばたき続けているだろう。
2012-09-20 20:43:11ベランダで街を見下ろす。どこかからなにか来ないかなと思う。郵便物のようになにかが突然やって来るのを夢見ていた。そういうものと出会うために生まれてきたのだと心のどこかでずっと思っていた。わたしはもうそれに出会ったのだろうか。それとも会わないまま死ぬのだろうか。雷の音が聞こえて来る。
2012-09-21 09:41:10